婚姻届より登記申請の方が詳しい人生って、どうなのよ

婚姻届より登記申請の方が詳しい人生って、どうなのよ

婚姻届より登記の方がずっと見てきた

この歳になると、知り合いの結婚よりも相続の話の方が身近になってきた。司法書士という仕事柄、人の最期に触れる機会が多く、気がつけば「婚姻届」を直接見るよりも、「登記申請書」の方がはるかに多く手に取ってきた。誰かの結婚式に呼ばれることよりも、誰かが亡くなったという知らせを受けて登記に取りかかる日々。正直なところ、ちょっと切ない。昔の同級生が次々と家庭を持っていく中、自分はひたすら法務局に書類を運んでいる。喜びよりも義務、祝福よりも確認書類。そんな人生だ。

結婚の知らせより相続の知らせが多い日常

「先生、実家の母が亡くなりまして……」という電話は、もう何十件目だろう。結婚報告の年賀状は年々減り、代わりに喪中ハガキが増えていく。事務所で黙々と書類を作っていると、ふと、結婚という儀式がどこか遠い世界の出来事のように思えてくる。結婚するのが偉いわけではない。でも、司法書士という立場から見える「人の節目」は、どうしても離別や終焉に近い。たまには「新築しました!」とか「子どもが生まれました!」なんて依頼もあるが、やっぱり圧倒的に多いのは相続登記だ。

封筒を開けると、また誰かが亡くなっている

依頼の封筒を開けると、遺産分割協議書や除籍謄本がどっさり入っている。「あぁ、また誰かが亡くなったのか」とため息が出る。書類を確認していると、亡くなった方のことは何も知らないのに、戸籍や登記簿を通してその人の人生が少しずつ浮かび上がってくる。結婚、転居、購入、ローン完済——それらが文字として記録されている。生きた証が、紙に残されている。なのに自分の人生は、書類にも誰にも、何も残っていない気がして、ふと寂しくなる。

その名前すら知らなかった人の人生を読む

司法書士という職業は、名前すら聞いたことのない人の人生を、登記簿や戸籍から読み取る仕事だ。まるで知らない他人の自叙伝を読んでいるような、不思議な気持ちになる。だが、それに慣れすぎてしまうと、自分の人生がどこにも記録されていないことに気づいてしまう。結婚も出産もなく、住所も20年変わらない。登記の変更も何もない。そんな自分の履歴の“空白”に、不意に心が沈む。

登記簿を見れば、その人の人生がわかる…気がしてしまう

登記簿は無味乾燥な情報の集合だが、そこに人生のドラマが詰まっている。所有権移転のタイミング、抵当権の設定・抹消、地目の変更——すべてに理由がある。もちろん他人事でしかないのだけど、毎日見ているうちに「この人、がんばってたんだな」とか「ここで挫折したのかも」なんて、つい想像してしまう。それに比べて、自分の人生はどうか?と思うと、やっぱり何とも言えない気持ちになる。

戸籍よりも、登記に感情移入するようになった

戸籍は事実の羅列で、登記は動きがある。動きがあるからこそ、そこに人間の選択や事情が垣間見える。ある時、30代後半の女性から相談を受けた。「夫の借金が原因で、家を手放すことになったんです」と。登記簿にその痕跡はしっかり残っていた。彼女の口ぶりは冷静だったが、手続きの途中でポロっと涙がこぼれた。ああ、これが登記という書類の裏にある“現実”なんだと感じた瞬間だった。

「ああ、ここでローン返済できなくなったのかな」

住宅ローンの抵当権が抹消されないまま年月が経っている物件に出会うと、「ここで何かあったのかな」と思う。払いきれなくなったのか、生活が変わったのか。特に田舎では、家だけが残って、住人がいなくなっているパターンが多い。その空虚さに、どこか自分の心境が重なる。

債権者変更のたびに感じる、人生の揺れ

金融機関の合併や借り換えで債権者が変わっていく記録を見るたび、人生の不確かさを思い知らされる。依頼者が「すみません、何度も借り換えてまして……」と笑いながら話すけど、そこに見え隠れするのは必死さだ。日々の暮らしに追われながらも何とかやりくりしている、その足跡が登記簿に刻まれている。

自分の人生は、どこにも記録されていない気がしてくる

登記簿は誰かの人生の一端を記録している。でも、自分の人生はどこにも記録されていない。戸籍も変化がないし、登記の変更もない。持ち家も車もない。履歴がないということが、こんなにも虚しいとは思わなかった。年を重ねるごとに、「何も残せていないんじゃないか」という不安がじわじわと心に染みてくる。

結婚歴も、子どももいない司法書士の日常

仕事は真面目にこなしている。ミスも少ない方だと思う。だけど、ふとした瞬間に「このままでいいのか?」という声が聞こえてくる。子どもの運動会に参加することも、孫の顔を見ることもきっとない。そんな未来を、登記簿のように淡々と受け止められるほど、強くもない。

「登記が自分の履歴書みたい」って、ちょっと悲しくなる

法務局に提出する登記書類は完璧でなければならない。だけど、自分の人生はどうだろう?間違いだらけで、訂正印も押せない。人の履歴をきっちり整えてきたのに、自分の履歴は真っ白なまま。登記申請の精度と、自分の生活のバランスの悪さに、時々笑ってしまう。

それでも、明日もまた登記の準備をする

登記は誰かの人生を形にする作業だ。自分のことはさておき、誰かの人生を正確に支えるという意味では、誇りある仕事だと思っている。たとえ自分の登記簿がずっと変わらなくても、それでもまた明日も登記の準備をする。それが自分にできる、たった一つの貢献なのだ。

人生が登記のように整う日を、願いながら

登記簿のように、人生の出来事を一つひとつ整理して記録できたらどんなにいいだろう。悔いもあるし、不満も多い。でも、誰かの人生に少しでも役立てるなら、それでいいんじゃないかと、そう思い込むことで今日もなんとかやっている。婚姻届には無縁でも、登記申請には誠実でありたい。そんな気持ちで、今日もまた、書類と向き合う。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。