失敗すら笑い話にできる誰かが、そばにいてくれたら

失敗すら笑い話にできる誰かが、そばにいてくれたら

一人で抱えるには、ちょっと重い日もある

司法書士の仕事って、地味だけど地道で、責任が重い。誰もがうまくやっているように見えるけど、正直、私はうまくやれていないと感じる日が多い。朝からバタバタして、昼ご飯も食べ損ねて、気がつけば終業時間。今日も何かミスしてるんじゃないかって不安になりながら、帰り道を歩く。誰にも話せないこの重苦しさを、せめて誰かと笑い話にできたら、って思う。

「こんなはずじゃなかった」って日ばかり

開業したての頃は、「自分のペースで仕事できるぞ!」って少し浮かれてた。でも現実は、そんなに甘くなかった。相談が重なった日には、話の中身がごちゃごちゃになって、うっかり別の案件と混同しそうになったこともある。そういうときほど、「なぜ俺はこんな基本的なことで?」と自分を責める。でも、それが日常なんだ。

午前中だけで3件の電話ミス、午後は登記漏れ

ある日、午前中だけで3回も電話対応で間違えた。相手の名前を取り違えたり、用件をうまく聞き取れなかったり。午後になって、ようやく書類作成に取り掛かれたと思ったら、登記申請書に肝心の一文が抜けていて、慌てて法務局に電話。そんな自分が情けなくて、帰り道に思わずため息。できれば「ドジだなぁ」って笑ってくれる誰かに会いたかった。

苦笑いすら出ない帰り道

その日、事務所を出たときには、もう外は真っ暗だった。誰とも話さずに過ごした一日。事務員さんには気を遣って、ミスのことも言えなかった。「なんで自分ばかり…」という思いが、心の中をじわじわと占めていく。コンビニで弁当を買って、部屋で一人で食べる夜。テレビのバラエティ番組の笑い声が、やけに遠くに感じた。

「誰かに話したい」が口癖になる日常

本音を言えば、毎日誰かに話を聞いてほしい。でも、それを「弱音」と思われたくなくて、つい黙ってしまう。仕事が終わっても、電話する相手がいない。友達とは疎遠になり、家族にも仕事の愚痴は話しづらい。気がつけば、「誰かに話したいなあ」が、口癖になっていた。

事務員さんに気を遣って愚痴れない

事務員さんはよく頑張ってくれている。だからこそ、こちらが愚痴を言ってしまうと、余計なプレッシャーを与えてしまいそうで言えない。仕事の負担や悩み、孤独感はあっても、我慢してしまう。「男だし、経営者だし」と思い込んで、言葉を飲み込む毎日だ。

飲みに行く友達も、最近は誘いづらい

昔は飲みに行く友達もいたけど、みんな家庭を持ったり、環境が変わったりで、今はほとんど連絡していない。久しぶりに連絡をしても、「今週は子どもの運動会で…」と断られることが多い。それが悪いわけじゃない。でも、寂しい。結局、誰にも話せず、一人でラーメン屋のカウンターに座る夜が増えた。

失敗が許されない空気が、息苦しい

司法書士という仕事は、ミスが致命的になる。だからこそ、慎重になるのは当然だ。でも、その慎重さが行き過ぎて、自分の首を絞めてしまう。完璧じゃなきゃいけない、ミスをしてはいけない、そんな空気の中で仕事をしていると、どんどん息が詰まってくる。

司法書士の“正確さ至上主義”が首を絞める

正確さが求められるのは当たり前。でも、「間違ってはいけない」という強迫観念に支配されると、ほんの些細なことも怖くなる。書類のチェック、名前の記載、押印の位置まで神経をとがらせる。その緊張が、積み重なって疲労になる。

「ミス=信頼喪失」のプレッシャー

ミスをすれば、「この人に任せて大丈夫か?」と思われる。たとえ些細なことでも、依頼者にとっては重大なこと。そう考えるほど、プレッシャーは増す。でも人間だから、完璧じゃない。それを誰もが口に出せない。だからこそ、自分だけが取り残されてるような気分になる。

自分を責めすぎてしまう性分

昔から「自分が悪い」と思ってしまうタイプだった。誰かの顔色が曇っただけで、自分のせいだと考えてしまう。だから仕事のミスも、「仕方ない」じゃ済ませられない。「自分なんて司法書士に向いてないんじゃないか」なんて考えてしまうこともある。

でも完璧な人間なんていないと思いたい

他人の失敗には寛容になれるのに、自分にはやたらと厳しくなってしまう。冷静に考えれば、誰だってミスはする。どんなベテランだって、過去にやらかしている。それを認められるようになりたいと思っている。けど、それが一番難しい。

「人間らしさ」って本当は武器かもしれない

不完全だからこそ、信頼が生まれることもある。弱さやミスを見せることで、「この人も自分と同じなんだ」と安心してもらえるかもしれない。そう思えるようになれば、もう少し肩の力を抜いて仕事ができる気がする。

たまには笑い飛ばしてくれたら、楽になる

自分で自分を責め続けるより、「やっちゃったね」と笑ってくれる誰かがいる方が、ずっと楽だ。その笑いが、本当の意味での癒しになる。完璧じゃなくていいと、誰かに言ってもらえるだけで、救われる夜がある。

「笑ってくれる誰か」がほしいだけ

大それたことは望んでいない。ただ、失敗したときに「そんな日もあるよ」と笑ってくれる人がそばにいてくれたら。それだけで、ずいぶん違う。孤独を癒すのは、共感と笑いだと、最近よく思う。

ミスを責めるんじゃなくて、茶化してくれる人

「またかよ〜!」と笑いながら言ってくれるだけで、心が軽くなる。怒られるのではなく、突っ込まれる方がありがたい。そういう存在は、仕事上のパートナーでも、友人でも、恋人でもいい。誰か一人でもそういう人がいれば、だいぶ救われる。

「あーやっちゃったね」って笑える関係性

自分の失敗を笑える余裕は、自分一人ではなかなか持てない。でも、誰かが一緒に笑ってくれたら、それがきっかけになる。「そんな自分もアリなんだ」と思えるようになるには、他人の存在が必要だ。

独身司法書士の孤独と、人肌恋しさ

正直、さみしい。帰っても話す相手がいない。誰かと失敗談を共有したいけど、その「誰か」がいない。恋人でもいい、親友でもいい。ただ、日々を一緒に笑い飛ばしてくれる存在がほしい。司法書士って、思ったよりも孤独な仕事かもしれない。

恋愛とかじゃなくて、“対等な相棒”

甘えるだけじゃなく、お互いに支え合えるような関係が理想だ。仕事のことも、人生のことも、くだらないことも全部話せるような相手。そういう存在って、実は一番難しい。でも、そういう人に出会えたら、もう少し生きやすくなる気がする。

一緒に笑って、一緒に落ち込めるような存在

一人で落ち込むのはしんどい。でも、誰かが「私もそうだよ」と言ってくれたら、前を向ける。一緒に失敗して、一緒に笑える相手がいたら、司法書士の仕事だって、もっと明るくなれるはずだ。

仕事を越えた「共鳴」の関係

損得抜きで、「あなたがいるから頑張れる」と思える関係。それは家族かもしれないし、パートナーかもしれない。肩書きなんてどうでもいい。ただ心の底から、「失敗しても一緒だよ」と笑ってくれる存在が、いま一番欲しい。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。