誰かの一言で立ち直ることもある
朝から重たいメールの山にうんざりしながらパソコンを立ち上げたあの日。いつものように深呼吸もせずにメールを開いた。すると、ひとつだけ違う空気の文面が目に入った。「先生、いつもありがとうございます」。依頼人からの短いメールだった。業務内容でもなければ、質問でもない。ただ、それだけ。それだけの言葉に、背筋が一瞬だけ伸びた気がした。体の芯まで疲れきっていた自分にとって、まさに救いの言葉だった。大げさに聞こえるかもしれないが、こういう何気ない一言が、働く人間を支えることもあるのだと、改めて思い知らされた朝だった。
朝イチのメールが妙に沁みた日
その日はたまたま、前日から登記手続きのトラブルが続いていて、夜中まで書類の見直しをしていた。寝不足のまま迎えた朝に、開いたメールの最初の一文が「いつもご丁寧にありがとうございます」だった。正直、最初は流そうと思った。でも、そこから目が離せなくなったのは、自分でも不思議だった。書いてある内容は簡素で、業務上の感謝だったけれど、その「ご丁寧に」という言葉に、少しだけ自分の仕事が認められた気がした。誰かがこちらの丁寧さに気づいてくれている。それだけで、今日を頑張ってみようか、という気持ちになった。
「いつもありがとうございます」たったそれだけの言葉
司法書士の仕事は、基本的には感謝されにくい。うまくいって当たり前。遅れれば文句。そんな日々のなかで、「ありがとうございます」という一言が、どれほどの意味を持つかは、やっている本人にしか分からないと思う。しかも「いつも」とついているだけで、こちらの積み重ねを見てくれている気がするのだ。依頼人は何気なく書いたのかもしれない。でも、その一文が、前の晩に自分が書いた何十枚の書類に、やっと意味を与えてくれた気がした。
仕事が終わらない日々に差した一筋の光
やることは次から次へとやってくる。登記の準備、依頼人への説明、銀行との連絡。そういう毎日の中で、自分の努力が誰かに伝わっていると感じられる瞬間は少ない。でも、あの朝のメールは、自分の中にこびりついた疲労感をほんの少しだけ溶かしてくれた。やるべきことは変わらないけれど、気持ちが違う。それだけで一日を耐えられることがある。そんな「救い」は、意外と近くにあるのかもしれない。
心がカラカラに乾いていた頃の話
今思えば、あの頃は何をしても楽しくなかった。仕事は回っていたが、感情がついてこなかった。依頼が終わっても、達成感より虚無感のほうが強かった。特に人と深く関わることもなく、事務所と自宅を往復する毎日。ただ淡々と、業務をこなすだけの日々だった。そんな状態に慣れてしまっていたときに、不意に届いた「おかげさまで助かりました」の言葉。驚くほど心に沁みた。そのとき、自分がどれだけ干からびていたのかに気づいた。
優しさに鈍感になっていた自分
疲れすぎていると、人の優しさにすら気づけなくなる。依頼人が親切な言葉をくれていても、それを受け取る余裕がなかった。事務員が気を使ってくれても、面倒に感じることさえあった。それが、たった一言で変わるなんて。ほんの少しの言葉が、こんなにも自分を救ってくれるなんて、思ってもみなかった。鈍感になっていたのは、他人じゃなく、自分だった。
本当に欲しかったのは「評価」よりも「共感」だった
「先生はすごいですね」と言われることもある。でも、正直なところ、それよりも「大変ですね」と言ってもらえるほうが嬉しいことがある。すごいと言われても、実態が伴っていなければ苦しいし、何より孤独だ。共感のある言葉には、心の奥に届く温度がある。それは承認欲求ではなく、「あなたも人間だよ」と言ってもらえる安心感なのかもしれない。
事務員の一言がやけに嬉しかった日
ある日、書類の整理で机が埋まるほど忙しくしていたとき、事務員の子がぽつりと言った。「先生、あまり寝てないんじゃないですか?ちゃんと寝てくださいね」。冗談交じりだったが、妙に心に残った。誰かが自分の体を気にしてくれる。それがこんなにも嬉しいとは思っていなかった。業務とは直接関係ないが、こうした気遣いが、士業には何より効く。
「先生もちゃんと寝てくださいね」
普段は事務的なやり取りしかしない事務員が、ふと見せた気遣いの言葉。しかも業務のミスや注意ではなく、「寝てますか?」という、まさに人としての健康を気遣った一言。こちらは仕事を抱えてピリピリしていたし、ミスの一つもあれば小言のひとつやふたつ言いたくなる。でも、その言葉を聞いた瞬間、どこかで何かが解けた気がした。
業務報告のついでに挟まれた言葉
その言葉は、業務報告の最後に、軽く書かれていた。「登記完了しました。先生もちゃんと寝てくださいね」。本当にそれだけ。でも、ただの業務連絡ではなく、個人的な一言が添えられているだけで、ぐっと距離が近くなった気がした。そういえば、自分も誰かにそう言ったことがあったか。振り返ると、あまりない。自分が受けた優しさを、自分は誰かに返せているだろうか。
その日だけは少し早く寝る気になった
気が張っていた毎日。やることばかりで、寝ることすら「後回し」にしていた日々。でもその日は、少しだけ気を抜いてもいいか、と思えた。仕事は残っていたが、いつもより早めに風呂に入り、布団に入った。気がつけば、久々に朝までぐっすり眠れた。そして翌朝、少しだけ気分が違った。身体の休息もそうだが、「気を抜いていい」と許されたことが何より大きかった。