話の途中で遮られるときの心のざらつき
「ちょっと待って」と話の途中で遮られるたびに、胸の奥に小さなとげが刺さるような感覚になる。たいした話じゃないかもしれない。だけど、自分の中ではずっと溜め込んできたことだ。話すことで少しでも気持ちを整理したかったのに、途中で止められると、まるで自分ごと価値がないと言われた気がしてしまう。司法書士として日々いろんな人の話を聞いているが、自分が話すときはいつも中断される。そんな些細なことに思えて、実は意外と深く傷ついている。
なぜ最後まで聞いてほしいのか
最後まで聞いてもらえたという経験、それだけで人は「理解された」と感じられる。内容の良し悪しじゃない。正論かどうかでもない。私たちは、ときに話すことで気持ちを整理し、状況を受け入れる準備をしている。特に、相談相手を抱えながら日々の業務をこなす司法書士にとって、誰かに話せる場は心の安全弁だ。だが、理解者不在の日々が続くと、少しの遮りにも敏感になり、やがて話すこと自体が億劫になっていく。
共感よりもまずは受け止めてほしい
「大変だね」と共感の言葉をかけられるのもありがたい。でも、それよりもまず、最後まで黙って耳を傾けてくれることが欲しい時がある。「なるほど」とひとことでもいい。途中で話を取られたり、論破されたりするより、何も言わずに聞いてくれるほうが、ずっと救われる。元野球部だった頃、監督に黙って話を聞いてもらった記憶がある。あのときの安心感が、今でも心のどこかに残っている。
司法書士としての苦しみは外から見えにくい
この仕事のつらさは、意外と人に伝わりにくい。相談者には頼れる専門家として映るし、事務員にも冷静な判断を期待される。でも、業務の裏では膨大な書類と神経戦のような確認作業、ミスの許されない重圧がある。話したくても話せない。愚痴をこぼしたくても、誰も聞いてくれない。そんな日が何度も続くと、自分の存在すら薄れていくような錯覚に陥ることがある。
事務所という密室の世界で起こるすれ違い
司法書士事務所というのは、外から見るよりずっと狭い社会だ。小さな空間に少人数。私のところは事務員と私の二人だけ。気心が知れているようで、話のタイミングや受け止め方にすれ違いが起こることもある。とくにこちらが気を遣って言葉を選んでいるときに、サラリと返されたりすると、少しだけ心がすり減る。仕事の関係だからこそ、言えないことも増えてくる。
事務員との会話でも思うようにいかない
たとえば、ちょっとした世間話のつもりで話しかけたとき。事務員は書類作成で忙しいのか、「はいはい」と軽く流される。それが何度か続くと、もう話しかけるのをやめようと思ってしまう。でも、こちらも朝から晩まで事務所に詰めていると、誰かとつながっている実感がほしくなるのだ。そういう些細なすれ違いが、だんだんと会話の隙間を広げていく。
忙しさにかまけて伝える余裕を失う自分
私自身も、余裕がなくなると相手の話を途中で遮ってしまうことがある。いけないとわかっていながら、次の案件が頭をよぎったり、電話が鳴っていると、どうしても相手の話に集中できなくなる。そんな自分に気づいたとき、情けなくなる。人に話を聞いてほしいと思うくせに、相手の話は受け止められない。これじゃ、誰からも話してもらえないのも当然かもしれない。
結局孤独に戻ってくる言葉たち
途中で途切れた話は、頭の中で何度も繰り返される。言いたかったこと、伝えたかったことが、心の中でぐるぐる回る。まるで返答のないキャッチボールをしているみたいだ。投げても返ってこないボールを、いつまでも待ち続けている。結局、自分の話は自分で抱えるしかない。そんな日々が続くと、だんだんと人との会話そのものが怖くなってくる。
元野球部だった頃はもっと単純だった
中学から大学まで、ずっと野球をやっていた。グラウンドでは、言葉より行動。黙ってノックを受け、ミスすれば走る。ただそれだけの世界だった。でも、だからこそ、誰かに話しかけるときの言葉には重みがあった。「お前、最近調子いいな」と言われるだけで、自分が認められた気がして嬉しかった。今みたいに、言葉が複雑に絡むことはなかった。
話すことより声を出すことが役割だった
ベンチでも、声を出せば評価された。声量がチームの士気を高めるから、とにかく大きな声を出す。それが自分の仕事だった。話を聞いてもらうより、ひたすら応援や返事。黙っていると怒られたが、喋りすぎても怒られた。だから話すことよりも、求められる声だけを出す訓練をしていた気がする。その癖が抜けきらず、今も肝心なところで本音が出せずにいる。
信頼は理屈よりも声量と結果だった
あの頃の信頼関係は、実績と声で築かれていた。うまくいけば「ナイスプレー」、ミスすれば「次頑張れ」。それでよかった。でも司法書士の世界では、言葉選びも表現もすべてに責任が伴う。一言で信頼を失うこともある。理屈で納得させることが求められる今、あの単純だった関係性が少しだけ懐かしく感じる。声を張れば伝わる世界とは違うのだ。
今は沈黙に押しつぶされそうになる
今、誰もいない事務所で書類をめくっていると、静けさが時々怖くなる。電話も鳴らない午後、ふと時計を見ると、もう夕方。誰にも話しかけられず、誰にも話しかけず、時間だけが過ぎていく。あの頃のグラウンドの喧騒が、恋しくなる瞬間だ。沈黙は時に優しいが、毎日続くと息が詰まる。話せる誰かがいれば、それだけでだいぶ違うのに。