職印よりも重たいのは、心の孤独だった

職印よりも重たいのは、心の孤独だった

職印よりも重たいのは、心の孤独だった

机の上には書類の山、心の中には言葉にならない何か

朝の事務所。机の上に積まれた登記書類を前に、私は静かにコーヒーを啜る。事務員の彼女は隣の部屋で黙々と作業中。聞こえるのはキーボードの音と、プリンターの駆動音だけ。これが毎日の風景だ。業務は滞りなく進んでいる。だが心の中には、何か言葉にできないものが沈殿している。仕事に意味がないわけじゃない。誰かの助けになっている。それでも、この無音の中にいる自分が、ときどき透明になったような気がする。書類は片付き、判も押される。それでも、私は何かを片付けきれずにいる。

「片付けた」はずの書類が、心には残る

登記の手続きは正確でなければならない。形式、期限、法的要件。間違えれば信頼を失い、訴訟の原因にもなる。だからこそ、毎日神経を尖らせている。けれど、仕事が終わったあと、自分の心の中に残るものは書類の達成感ではない。ふとした時に思い出す、依頼者の疲れた顔。冷たい対応をしてしまったこと。もう少し言葉をかければよかったと後悔する夜。片付いたはずの書類の背後に、私の未処理の感情がまだ積もっている。

形式通りが求められる毎日、感情の行き場はどこに

司法書士の仕事は「正しさ」がすべてだ。感情に揺らぐことは許されない。だからこそ、気づけば感情をしまい込むクセがついている。依頼者が泣いていても、怒っていても、こちらは淡々と手続きを進める。それがプロだと、自分に言い聞かせてきた。でも感情を殺し続けると、いつしか自分の中に「誰とも共有できない孤独」が育っていく。感情の行き場をなくした私たちの心は、どこで息をつけばいいのだろう。

仕事を終えても、心が終わらない夜がある

退勤後の夜、自宅でテレビをつけても音が耳に入らない。スーパーの総菜をつまみに缶チューハイを飲みながら、ただぼーっと座っている。「今日も何もなかった」と思っていたはずなのに、心のどこかがずっとざわついている。依頼者に言われた一言、電話口のクレーム、机の上のメモ書き。それらが頭の中でループし続ける。肉体は休んでいても、心は仕事をやめてくれない。それが、司法書士としての日常だ。

事務員さんの笑顔に救われているけれど

彼女がいなければ、この事務所は正直まわらない。書類整理も電話対応も、最近はほとんど彼女の采配に助けられている。気が利くし、言葉も柔らかい。そんな存在がいてくれることに、本当に感謝している。けれどそれでも、こちらから踏み込んで「しんどい」とは言えない。年上の自分が弱音を吐くのは恥ずかしいし、向こうも困るだろう。だから私は、今日も「大丈夫なふり」を続ける。

頼れる存在がいてくれる幸運と、言えない本音

彼女が「先生、今日はちょっと疲れてるんじゃないですか?」と声をかけてくれたことがある。その時、一瞬泣きそうになった。でも、「ああ、大丈夫大丈夫」と返してしまった。本当は「実はちょっとしんどくて」と言えたらよかったのかもしれない。でも、言えなかった。それが自分という人間だ。支えられているのに、心を見せるのが怖い。仕事の上下関係を超えるほど、私の心にはまだ壁がある。

弱音を吐けないのは、自分が勝手に背負ってるだけ

「経営者だから」「士業だから」と、自分で勝手に背負ってしまっている部分は多い。誰も「完璧であれ」とは言っていないのに、自分にだけそう求めている。それがこの仕事のしんどさでもあり、厄介なところでもある。もっと「疲れましたね」「しんどいですね」と言える文化があれば、救われる人も多いのに。結局、孤独をつくっているのは、自分自身なのかもしれない。

昼休みに食べるコンビニ弁当が、やけにしょっぱい日

事務所で食べるコンビニの唐揚げ弁当。味はいつもと同じはずなのに、やけにしょっぱく感じる日がある。外で食べることもできるけど、ひとりでラーメン屋に入るのもなんとなく気が重い。たまには誰かと食事したいなと思っても、誘う相手もいない。気づけば昼休みも、書類に目を落としたまま終わっていく。味じゃない、気持ちの問題なんだろう。

ひとりの食事、誰とも交わらない時間

人は「食事は孤独を癒す」と言う。でも、私は逆だと思っている。孤独なまま食事をすると、かえってその孤独が際立ってしまう。誰かと「どうでもいい話」をしながら食べるだけで、心はだいぶ軽くなる。でも、その「どうでもいい話」ができる人がいない。特別な話をしたいんじゃない。ただ、「今日の弁当、味濃いな」って笑える相手が欲しいだけなのに。

結婚しなかったのか、できなかったのか

40も半ばを過ぎると、周囲は家族を持ち、子どもがいて、休日は公園やショッピングモールで過ごしている。SNSには幸せそうな写真が並び、同級生の奥さんが投稿している姿を見るたび、なんとも言えない感情になる。「結婚しなかった」のか、「できなかった」のか。正直、自分でもわからない。ただ、帰り道が一人きりなのは、今も変わらない。

孤独は選択?それとも流れの結果?

「ひとりが好きなんですね」と言われることがある。たしかに、誰かと暮らすのが向いてない自覚はある。でも、じゃあ本当にそれが自分の望んだ姿なのかと問われると、少し言葉に詰まる。仕事を優先して、プライベートを後回しにしてきた。それは自分なりの選択だった。でも、今のこの孤独が、その選択の結果だとしたら……それは果たして正しかったのか。

それでも明日も職印を押す理由

孤独だ、苦しい、しんどい──それでも私は、毎日事務所のドアを開けて、机に向かい、職印を手にする。誰かの不動産、誰かの登記、誰かの人生の転機に、自分の仕事が関わっている。そう思うと、少しだけ心が温かくなる。誰にも見えないけど、確かに存在している「役に立っている」という感覚。それがある限り、私はきっと、明日もこの仕事を選び続ける。

誰かの手続きを、静かに支えている現実

感謝されなくてもいい。華やかでなくてもいい。けれど、この書類の向こうには、たしかに人の生活がある。その一部を、私は黙々と支えている。それだけで、十分だと思える時もある。そう思える日は、少しだけ心が軽い。

同じように頑張るあなたへ、伝えたいこと

司法書士であれ、他の仕事であれ、誰しもが孤独を抱えている。見せないだけで、実はみんな不安で、しんどくて、それでも何かを信じて働いている。あなたが今感じている苦しみも、決してあなただけのものじゃない。私もそうだから。だから、今日も生きているだけで、すごいことだと思ってほしい。誰かと比べず、自分を労わってあげてください。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。