「独身貴族」なんてどこにもいない 〜静かすぎる夜と仕事に追われる日々〜

「独身貴族」なんてどこにもいない 〜静かすぎる夜と仕事に追われる日々〜

「独身貴族」って誰の話?

「独身貴族」なんて言葉、どこから生まれて、誰のことを指しているんだろうか。週末は自分の好きなように時間を使い、ワイン片手に映画でも観て、誰にも干渉されずに自由を謳歌する……そんなイメージなんだろうけど、現実の私はというと、気づけばもう何年も一人でスーパーの惣菜コーナーとにらめっこしてる。司法書士として忙しい毎日を過ごしているが、帰宅しても部屋は静かすぎて、冷蔵庫の音すら大きく感じる。これが「貴族」だとしたら、随分と寂しい国だ。

優雅な夜なんてどこにもない

たまに仕事が早く終わっても、「やった!」という感情のあとに訪れるのは、ぽっかり空いた時間の処理に困る感覚だ。テレビをつけても誰かと観るわけでもなく、スマホを眺めても特に連絡を取る人もいない。外食に行く気力もなくて、結局冷えたコンビニ弁当を黙って食べる。豪勢な食事より、誰かと「いただきます」を言えるほうがよっぽど贅沢だと思う。

晩飯はコンビニ、テレビはBGM

テレビから流れるバラエティ番組の笑い声が、かえってこちらの無言を強調してくる。仕事中は常に誰かと話しているのに、自宅では一言も発さないまま夜が更けることもある。そんな夜は、冷蔵庫を開けて「なんかないかな」と呟く自分の声にハッとする。誰かに聞いてほしいわけでもないけれど、沈黙に耐えられず、つい音を探してしまう。

“自由”が寂しさに変わる時間

かつては「一人で自由に生きるなんて理想的だ」と思っていた。でも今は、その“自由”が何かの代償だったんじゃないかと感じる。誰にも合わせずに済む代わりに、誰にも待ってもらえない。玄関の鍵を開けても「おかえり」はないし、ふと話しかけたくなっても話し相手はいない。静けさに包まれるたび、自由がこんなに寂しいとは知らなかったと思う。

仕事が終わらない、それでも終わらせなきゃいけない

司法書士の仕事は、終わりが見えにくい。依頼が片付いたと思ったら次が舞い込んでくる。忙しいことはありがたいが、それを一人で抱えるのはしんどい。事務員さんもいるけれど、全部任せるには心配がつきまとう。結局、自分で抱え込む形になってしまい、気づけば深夜。家に帰っても「もう少しで終わったのに」と、未練が脳内でループする。

誰にも頼れない現実

経営者として、職場のリーダーとして、「弱音を吐かないのが普通」になってしまっている。でも、本音を言えば、誰かに愚痴を聞いてほしい夜だってある。とはいえ、職場でそんな話をしたら「不安な事務所」と思われるかもしれないという不安もある。結局、言いたいことは胸の奥にしまい込む。司法書士は法律のプロだけど、人間関係のプロではない。

事務員さんに気を遣いすぎて逆に孤独

ありがたいことに、うちには気の利く事務員さんが一人いる。でも、彼女の前で弱音を吐いたことはない。むしろ「大丈夫です」と言いながら無理して仕事を引き受ける自分がいる。上司と部下という関係性の中で、気を遣いすぎて逆に孤立していく。優しく接するほど、距離ができてしまう。こんなバランスの悪さを、誰に相談すればいいんだろうか。

「任せる」って簡単じゃない

「もっと仕事を任せたほうがいいよ」と言われることがある。けれど、任せた結果ミスが出れば、それは事務員さんのせいではなく自分の責任になる。そう思うと、つい最終確認まで全部自分でやってしまう。信頼していないわけじゃない。ただ、責任を背負うのが怖いだけだ。結局、安心して任せられるようになるには、自分自身が変わらなきゃいけない。

ふと立ち止まると、生活音がない

平日の夜遅く、仕事の区切りがついてふと手を止めたとき、あたりがあまりに静かすぎてぞっとすることがある。エアコンの風、壁時計の秒針、そして自分の呼吸音だけ。誰とも言葉を交わさない一日が終わるとき、これは果たして「働いて生きてる」と言えるのだろうかと自問してしまう。

誰も帰りを待っていないという虚しさ

家に帰って、部屋が明るくて、いい匂いがして、誰かが「おかえり」と迎えてくれる。そんな日常を描いたドラマを見ると、思わずチャンネルを変えてしまう。誰も待っていない玄関に鍵を差し込む瞬間が、一番現実を突きつけてくる。「今日は帰り遅いの?」なんて聞かれることは、もう二度とないかもしれないという寂しさがじわじわと胸に広がる。

孤独に強くなると、弱さに気づけなくなる

長年ひとりで生きていると、感情の起伏が少なくなっていく。「慣れた」と言えば聞こえはいいが、実際は感覚が鈍っているだけかもしれない。ちょっとしたことに喜びを感じにくくなり、悲しみにも麻痺してしまう。弱音を吐かない強さではなく、弱さを感じる機会を失ってしまっているだけなのかもしれない。

声をかける相手が、いない

些細なことでも「ねぇ、これ見て」と言える相手がいないことに、じわじわと気づかされる日々がある。面白いニュースや変な虫を見つけたとき、「誰かに言いたい」と思っても、LINEを開いても送る相手がいない。だからといって無理に誰かと繋がろうとも思えない。結局、自分で自分の気持ちを処理するしかないのだ。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。





私が独立の時からお世話になっている会社さんです↓