家に帰ってまず電気をつけない

家に帰ってまず電気をつけない

暗闇の中で始まる「ただいま」

夜、事務所の灯りを消してから帰宅するまでの道のりは10分もかからない。にもかかわらず、玄関のドアを開けてもすぐに電気をつけない癖がついたのは、いつからだっただろう。暗い部屋に入ると、まず深く息を吐く。電気をつければすぐに目の前に現実がくっきり映るけれど、その瞬間が億劫なのだ。スーツを脱ぐまでの数分間、暗闇の中で自分の存在をぼやかしていたい。誰にも気を遣わず、何者でもない自分に戻るために。

なぜ電気をつけないのか、自分でもよくわからない

最初は「疲れてるからかな」と思っていたが、そうでもない日でもやっぱり暗いままで過ごしてしまう。特に何かを考えているわけでもない。ただ、光を避けるように生活している自分にふと気づくと、少しぞっとする。誰かと一緒に暮らしていたら、きっと無意識に電気をつけて「ただいま」と言っていたはずだ。でもこの部屋には、返事をする人も、明かりをつけて待ってくれる人もいない。そんな事実を、光に照らされたくないのかもしれない。

「疲れた」が言葉にならない夜

仕事帰りの一人の時間、心の中では「疲れた」と何度もつぶやいている。でも声に出す相手がいないと、それはまるで存在しないもののようになる。昼間、登記のミスを指摘された件が頭を離れない。あのとき少し気を抜いていたこと、自分が悪いとわかっている。でも、それを正直に話す場も、共感してくれる誰かもいない。せめて電気くらい、つけずに済ませたい。弱音を吐く代わりに、暗闇の中でじっと立ち尽くすしかない。

静かな家が落ち着くという言い訳

「暗いほうが落ち着くんだよ」と言えば聞こえはいい。でも本当は、自分が何に疲れているのかも、何を避けているのかも、自分でもわかっていないだけだ。テレビの音も、蛍光灯の光も、今の自分にはうるさすぎる。世の中のリズムと自分のリズムがまったく噛み合っていない。そんな日は、何も考えずに、ただ座っているだけの時間が必要だ。誰とも会わず、誰にも気を遣わず、電気もつけずにいる。それが一番心地いいと、自分に言い聞かせている。

書類の山から離れても、頭は休まらない

事務所を出た瞬間、ようやく今日の仕事が終わった…と思いたいが、頭の中ではまだあれこれ考えている。明日の準備、依頼人の対応、事務員さんへの指示のことまで。司法書士という仕事には「完全なオフ」という概念が存在しない。だから家に帰っても、脳はどこか働き続けている。それならば、明るい部屋など必要ない。頭の中がうるさいとき、部屋の中だけでも静かにしていたいという気持ちの表れなのかもしれない。

仕事の区切りがつかないまま帰宅する

今日中に終わらせるつもりだった登記書類が、思ったよりも時間がかかって、結局持ち帰りになった。そんな日が月に何度あるか数えたくもない。残っていた事務作業をカバンに詰めながら、「これが最後」と自分に言い聞かせる。でも、それが本当に最後になった試しはない。仕事に“区切り”をつけるのが下手な性格なのか、司法書士という職業がそうさせるのか。帰宅しても、またPCを開く未来が見えているから、電気をつける気にならないのかもしれない。

頭の中で回り続ける登記の段取り

たとえば、不動産の所有権移転登記。書類に不備がないか、委任状の形式が間違っていないか、印鑑証明の期限が切れていないか…そんな確認事項がぐるぐると頭の中を回っている。頭の片隅では、今日のクライアントとのやり取りで少し嫌な感じがしたことを反芻している。寝ても覚めても、仕事から離れられない。電気をつけてしまえば、「もう今日は終わり」と思えるのだろうか。でもその一歩が、どうしても踏み出せない。

家に帰っても「思考停止」できない苦しさ

スマホを充電する間もなく、カバンを開いて資料を広げてしまう癖がある。ついでにメールもチェックする。急ぎの案件が来ていたら…と思うと、完全にスイッチを切ることができない。家にいるのに「自分の時間」ではない。思考を止めることが怖いというより、止め方を忘れてしまったような感覚。電気をつけず、暗い部屋で時間だけが過ぎていくのを待っているのは、せめてもの抵抗なのかもしれない。

誰もいない家に明かりは必要か?

この問いに、明確な答えを出せたことはない。ただ、心から「明かりがほしい」と思ったこともない。小さな部屋に帰ってきても、誰かが待っているわけでもないし、温かいご飯があるわけでもない。テレビの光がまぶしいだけで、孤独を癒してくれるわけじゃない。司法書士という仕事で日中たくさんの人と接しているのに、夜になると一気に世界が無音になる。だから、光もいらない。ただ、静けさと暗さが、ちょうどいい。

ただ明るいだけの部屋が虚しくて

試しに、一度帰宅してすぐに電気をつけたことがある。蛍光灯の光が部屋中に広がって、一瞬「生活感」が戻ってきた気がした。でも数分後には、その明るさが逆に虚しくなった。誰かと会話するわけでもない。テレビの音も、冷蔵庫のブーンという音も、全部「無人の部屋」に響くだけだ。明るくして、何かが変わるわけではない。だったら、そのまま暗いままでいい。静かな暗闇に包まれていたほうが、感情を隠しやすい。

一人分の生活音が響くだけの空間

コンビニで買ったおにぎりのビニールを破る音、レンジの「チン」という音、洗面所の蛇口から出る水の音。すべてが自分一人の音だ。ひとり暮らし歴が長いとはいえ、たまにこの音の孤独感に押しつぶされそうになるときがある。「おかえり」と言ってくれる誰かがいたら、こんな音たちも心地よく感じるのかもしれない。でも、今はただの機械音。それが余計に「ひとり」を強調してしまう。

昼間の喧騒とのコントラストがしんどい

日中は相談者の声、事務員との会話、電話のベル。にぎやかな事務所に身を置いている。その分、夜の静けさが異様に重く感じる。昼と夜、仕事と自分、そのギャップに体が追いつかない。電気をつけたらそのギャップがくっきり現れてしまう気がして、自然と避けてしまう。暗闇の中にいれば、何も見えないから、何も考えずに済む。そんな「逃げ場」としての暗い部屋。それが、今の自分には必要な場所になっている。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。