婚活アプリを開いて、3秒で閉じた夜
ある夜、仕事がひと段落ついた深夜1時、ふとスマホを開いて「婚活アプリ」をダウンロードした。別に恋愛に飢えていたわけじゃない。誰かと話したい、というよりも「誰かと繋がっている感覚」が欲しかったのかもしれない。でもアプリを起動した瞬間、何かがスーッと冷めた。無理だ、って思った。それは理屈じゃなくて、本能的な拒絶。誰かに会いたい気持ちと、誰にも会いたくない気持ちがせめぎ合って、結局アプリを閉じた。
「誰かと繋がりたい」と思ったはずなのに、無理だった
この仕事、孤独だ。相談に乗ることはあっても、こちらの話を聞いてもらえる場面は少ない。だから時折、ふと「誰かに受け止めてもらいたい」と思ってしまう。そういう時に、婚活アプリがちらつく。だけど、あの画面に並ぶ笑顔や肩書きを見た瞬間、「これは俺の世界じゃない」と感じてしまった。自分の生活の泥臭さや疲弊が、あのきらびやかなプロフィール写真に耐えられなかった。
プロフィール写真すら選べない自分に驚いた
最初に「プロフィール写真を設定してください」と表示されたが、そこで手が止まった。人に見せる顔なんて持ってない。スーツ姿の証明写真?それとも仕事帰りの疲れた顔?過去に旅行した時の写真を探そうとしたけど、そもそも最近は旅行なんてしてない。気がつけばスマホのフォルダには、書類の写真と登記簿のスクショばかり。なんだか、自分の人生が急に虚しくなってしまった。
年齢、年収、職業…条件を見られることが怖かった
アプリの仕様上、どうしても「条件」で見られる世界になる。それが怖かった。司法書士って職業名だけで構えて見られることもあるし、逆に知られてないとただの「士業」扱いで終わる。年齢も45歳、独身、子なし。正直、自信を持ってアピールできることなんてほとんどない。そんな自分を数値化されたフィルターで評価されるのが、どうしようもなくしんどかった。
司法書士の仕事が、人との距離を曖昧にする
士業というのは、不思議な仕事だ。相手の相談にのり、時には人生に深く関わる。それなのに、自分の感情は置いておかなきゃならない。心を開いているようで、実は常に「業務」として接している。それが当たり前になりすぎて、プライベートでも人とどう接していいかわからなくなる。笑顔も言葉も、自然に出てこない自分がいて、知らないうちに距離の取り方がわからなくなっていた。
親身になるほど、仕事の線引きが難しくなる
相手に寄り添いすぎると、仕事としての境界が曖昧になる。でも、突き放したような接し方をすれば、冷たい人間に見えてしまう。このバランスが本当に難しい。特に地元密着型の事務所では、相手との関係が長く続くことも多い。気がつけば、業務外の相談にも応じていたり、プライベートの時間まで割いていたりする。自分の時間を削ってまで他人に尽くして、ふと一人の夜に、何してるんだろう…と思ってしまう。
「信頼されている」の裏にある、都合よく使われる感覚
「○○先生ならわかってくれると思って」とか、「前にお願いしたから、今回もお願いね」と言われるたびに、ありがたく思う反面、どこかで「便利屋扱いされてるのかも」と感じてしまうことがある。信頼と依存は紙一重。こっちの人間関係のキャパシティが限界に近づいていても、誰もそれには気づかない。だからこそ、心の中にわだかまりが溜まっていく。
距離感を見失うと、プライベートに余裕がなくなる
仕事にのめり込みすぎて、気づけば土日も電話対応、夜中にメールチェック。そんな生活をしているうちに、自分の「休日」という感覚がなくなった。リズムも崩れ、心にも余裕がなくなってくる。人と会うのも億劫になって、婚活どころか外に出るのすら面倒になる。この悪循環、きっと誰かに頼ったり、ちょっとした支えがあれば抜け出せるのかもしれない。でも、その「誰か」が、なかなか見つからない。
孤独って、仕事のせいなのか、年齢のせいなのか
夜、仕事帰りに車を運転していると、民家の窓から漏れる明かりにふと目がいく。カーテン越しに見える家族のシルエット。それを見た瞬間、自分の生活に明かりが灯ってないことに気づく。事務所には灯りがあるけど、それは「業務」のための光であって、自分の心を照らすものではない。孤独は仕事のせいだけじゃない。でも、仕事に埋もれることで孤独をごまかしている自分もいる。
仕事帰りに灯る誰かの家の明かりがやけに眩しい
たまたま信号待ちで止まった時、家の中から楽しそうな笑い声が聞こえた。テレビの音かもしれないけど、それだけで「自分にはないもの」をまざまざと見せつけられた気がした。別に羨ましいわけじゃない。そう言い聞かせながらも、胸の奥で何かがチクリと痛む。あの明かりが眩しくて、思わず目を逸らした自分に、なんとも言えない気持ちになった。
「自由でいいね」と言われるたびに、ちょっと傷つく
「独身で自由でいいね」と言われることがある。でもその「自由」は、ただ誰にも必要とされていない状態と紙一重だ。確かに自由かもしれない。だけど、毎日一人でご飯を食べて、話し相手もいなくて、休日に出かける理由もない自由なんて、果たしてありがたいものなんだろうか。自分で選んだ道だとしても、やっぱりちょっと寂しいと思うことはある。
でも、寂しさを打ち明ける相手もいない
友人に電話するほどの間柄でもなく、仕事仲間には弱みを見せたくない。そんな中で、寂しさを誰かに伝えるというのは、思った以上に難しい。だからこそ、こうして文章にしてみるしかないのかもしれない。打ち明ける場がないなら、自分で作るしかない。そう思ってキーボードを叩く夜は、ほんの少しだけ心が軽くなる。
それでも、誰かに共感してほしかった夜の記録
この記事を書くことで何かが変わるとは思っていない。ただ、あの夜、婚活アプリを開いて閉じたあの瞬間の気持ちが、今も胸のどこかに引っかかっている。これはただの独り言。でも、もし同じような夜を過ごした司法書士さんがいたら、「ああ、自分だけじゃないんだ」と思ってくれたら、それだけで書いた意味があると思っている。
司法書士として、誰かの力になりたい自分もいる
普段の業務では、相手の不安を解消することが求められる。それがやりがいだとも思うし、誇りもある。でも、自分自身が不安を抱えた時、それを吐き出す場所がないのはきつい。だから、こうやって書くことで少しでも心の整理がつけばいいし、誰かの救いになるなら本望だ。
でもまず、自分が癒される場所がほしかった
結局、求めていたのは恋人や結婚じゃなくて、「安心できる場所」だったのかもしれない。それが家庭である必要も、恋愛である必要もない。ただ、誰かに話しかけられる日常があれば、それで充分だったのかも。そう思うと、まずは自分が心から休める場所を作ることの方が先かもしれない。
「婚活アプリ即閉じ」の話が、誰かの救いになるなら
もしこの記事を読んで、「わかるよ」と思ってくれる人が一人でもいれば、それだけで救われる。誰かにとっては他愛のない話かもしれないけど、私にとっては大事な感情の記録だった。孤独はなくならなくても、誰かと共感し合える瞬間があれば、それはきっと、心の明かりになる。