あれ?最近、結婚式に呼ばれてない
ある日、郵便ポストを覗いてふと思ったんです。「そういえば、最近結婚式の招待状をもらってないな」と。昔は年に2〜3件は届いていたはずなのに、ここ数年はぱったり。SNSを開けば誰かのウエディングフォトが流れてくる。知らなかったのは自分だけだったようで、他の共通の知人たちはちゃんと招かれている様子。別に呼ばれたくて仕事してるわけじゃない。でも、こうも分かりやすく“輪”の外にいるのを見せつけられると、さすがに応える。
以前は呼ばれていたのに、気づけば音沙汰なし
若い頃、司法書士になりたてのころは、学生時代の友人からの結婚式の案内がよく届いた。都内で開催される披露宴に、仕事の合間を縫って出席し、お祝い金を包んで「次は俺かもな」なんて冗談を言い合っていたのに。今じゃ、呼ばれることもなければ、冗談を言い合う相手すら連絡してこない。自分だけ時間が止まってるみたいで、何か取り残されたような気分になる。
SNSで知る「ご報告」が、胸に刺さる
最近の結婚報告は、招待状じゃなくてSNSでの「ご報告」が主流。いいねを押すだけの関係。それが今の“友人”の形かと思えば、それまでなんだけど、やっぱり少し寂しい。「あれ、大学時代はあんなに一緒にいたのに、今は何の連絡もないのか」と思うと、結局はその程度の縁だったのかと自分を慰めるしかない。
呼ばれなかったことよりも、話題にすらならない自分
本当に辛いのは、呼ばれなかったことよりも、自分の存在が「呼ぶ・呼ばない」の対象にすらなっていないということ。忘れられてるのか、それとも最初からそんなに大事な存在じゃなかったのか。田舎で司法書士やってるだけの自分には、もうあの頃の仲間の会話に登場する権利もないんだろうか。
司法書士って、呼ばれにくい職業?
これは被害妄想かもしれないけど、司法書士ってあまり“華やかな場”に呼ばれない職業なのかも。スーツ着て、固い顔して、いつも書類に囲まれてるイメージがあるからなのか。ましてや僕の場合は独身で、話が明るくない。そんな人間を結婚式に呼びたいと思うか、と言われると自信はない。
職業で判断される悲しさと、社会的な距離感
仕事柄、堅苦しいイメージがついて回る。相談者には信頼されても、プライベートでは「話しづらい」とか「面白くなさそう」とか思われているのかもしれない。気の利いた冗談の一つも言えず、周囲と会話のテンポが合わないこともある。それがだんだん人との距離を作っていったんだろう。
堅い仕事=呼びづらい…という誤解
司法書士はたしかに法律に関わる仕事だけど、それは“堅物”とは違う。でも外から見れば、なんとなく“つまらなそう”とか“お説教されそう”って思われてるんだろうな。結婚式って、楽しくてちょっと浮かれた空気がある場だし、そこに「仕事一筋」の男が来ても場違いに思えるのかもしれない。
「独身だから呼びにくい」説に思うこと
これもたまに言われる。「独身だと、こっちが気を遣うから呼びにくいよね」って。でも、そういうこと言う人に限って、呼ばれてない人の気持ちはわかってないんだよね。呼ばれたくて独身やってるわけじゃないし、祝福する気持ちはある。でも、結局“こっちの都合”で距離を置かれてる感じがして、胸が痛む。
家庭を持っていないことが、こんな形で効いてくるとは
昔は「結婚はまだ?」と聞かれるのが面倒だったけど、今では誰もそんなことも聞いてこない。話題にもされない。家庭を持たないことで、社会的な信用や繋がりすらも薄れていく現実に、気づきたくなかった。結婚してないという“欠け”が、こんなにも人との関係に影響するとは思ってなかった。
こちらだって気を遣わせたくて独身なわけじゃない
何度か付き合った人もいた。でも結局は、仕事が忙しいとか、タイミングが合わないとか、そういう理由で終わってしまった。独身でいることは、自分が選んだ道でもあるけど、だからといってそれが人に気を遣わせる理由になるとは思わない。むしろ、そっと普通に扱ってくれたほうが救われる。
忙しいふりで誤魔化していた孤独
「今日は登記が詰まってるから」「依頼者対応で一日潰れるな」。そう言って予定を詰めることで、自分の孤独を隠してきたのかもしれない。事務所にいれば、少なくとも誰かと会話はある。でも、その会話が終わったあと、夜に戻ってくるのは、自分一人の静けさだけだ。
仕事は山積み、でも心は埋まらない
仕事はたしかに多い。手続きも期限も、毎日ギリギリだ。でも、いくら案件をこなしても、心の空白が埋まることはない。やればやるほど空虚になるような気さえする。何のために働いてるんだろう、と思う夜も少なくない。事務員の前では明るく振る舞ってるけど、本音ではけっこうしんどい。
事務所に戻っても、迎えてくれるのはパソコンだけ
「ただいま」と声に出しても返ってこない。当たり前だけど、それがやけに寂しく感じる夜もある。仕事場に戻れば、いつも通りのモニターと書類の山。誰かと笑い合った記憶よりも、ひとりきりで処理した書類の方が多い人生って、果たしてどうなんだろうと思うこともある。
事務員には言えない小さな寂しさ
優秀な事務員が一人いるけれど、彼女に弱音を吐くことはない。プロとしての信頼関係はあっても、孤独を打ち明ける相手ではない。むしろ、自分が元気でいることで、事務所全体の空気を保っている気がする。そうやって、誰にも言えない寂しさを溜めて、また明日も笑顔で「お願いします」と言う。
それでも、この仕事を続ける理由
こんなふうに愚痴ばっかり言ってるけど、それでも司法書士の仕事は嫌いじゃない。誰かの人生の節目に、確かに関わっているという実感がある。たとえ結婚式には呼ばれなくても、誰かの「ありがとう」がある。それだけで、なんとかやっていける。
孤独でも、誰かの人生を支えている実感
登記や相続、成年後見。直接的に“感謝される”場面は少ないけれど、それでも「助かりました」と言われると、少し救われた気持ちになる。自分の存在が、誰かの人生にとってちゃんと意味を持っていたと確認できる。それが、今の自分にとっては何よりの救いだ。
「ありがとう」に救われることが、たまにある
事務所を出るとき、そっと「先生、本当に助かりました」と言ってくれた依頼者の声が忘れられない。その一言だけで、数日間は前向きに働けるから不思議だ。結婚式には呼ばれなくても、自分には自分の場がある。そう信じて、また地味に書類を重ねていこうと思う。