補助者は二度微笑まない
雨音の昼下がりに訪れた依頼人
戸籍謄本にこぼれた涙
午後一時。しとしとと雨が降り続くなか、事務所のドアが重たく開いた。そこに立っていたのは、傘をたたみながらも手元が震えている老婦人だった。年齢は七十を超えていそうだが、背筋はまっすぐでどこか気品を感じさせる。
彼女が提出したのは、一通の戸籍謄本だった。見れば、戦後まもなくの改製原戸籍。古びた紙には、養子縁組、婚姻、死亡といった複雑な履歴が連なっていた。その中の一行に、彼女は指を置き、ぽつりとつぶやいた。
「この子が…この子が、私のすべてだったんです」
サトウさんの冷たい視線と温かいお茶
キーボードを打っていたサトウさんがちらりとこちらを見て、何も言わず立ち上がった。数分後、湯気の立つお茶が二つ、机の上に並べられる。片方は老婦人へ、もう片方は黙って疲れた顔をしている俺へ。
「確認します。登記名義人は故人で、その方の養子縁組が正当にされたかどうかを確かめたいということでよろしいですか?」
冷たい声でそう言ったサトウさんの顔に、老婦人は一瞬だけ微笑んだ。だが、サトウさんは微笑み返さない。ただ一言、「内容を確認します」とだけ残し、奥の部屋へ消えていった。
古い契約書と消えた登記情報
名義変更の裏に潜む影
調査を進めると、不思議なことがわかってきた。登記簿には、被相続人である故人の名義が最後の記録となっている。だが、そこに至る過程にどうにも不自然な空白がある。相続登記も、遺産分割協議書も、存在しないのだ。
「あの…これ、どういうことなんでしょう?」
俺がつぶやくと、サトウさんはパソコンの画面を指差しながら淡々と言った。「一度抹消されて、その後なかったことにされた痕跡があります。多分、何かを隠すためですね」
謄本に記されたもう一つの住所
さらに調査を続けるうちに、一つの住所が浮かび上がった。謄本の中に記されていた養子縁組当時の住所だ。現在の住所とは異なるが、その土地がある地域の法務局に問い合わせると、奇妙な事実が発覚した。
「こちらの物件、十年前に名義変更がされていますが、所有者が失踪扱いになっていますね」
失踪扱い。つまり、その人物は存在していたが、途中で“消された”というわけだ。俺の背中を冷たい汗が伝う。サザエさんの波平が、どこかで「バッカモーン!」と叫んでいる気がした。
シンドウのうっかりとサトウの推理
確認ミスか意図的な見落としか
「えっと、この書類の綴じ方って……逆じゃないか?」
俺がふと気づいた一言に、サトウさんが眉をひそめた。「それ、もしかして……」と無言でファイルを奪い取るようにして確認する。
「案の定、改ざんされてます。ページ順を逆にして、印鑑証明を最後に持ってきてる。これ、第三者が偽造したんですよ」
証明書綴りに挟まれていた小さな紙片
そして決定的な証拠が出た。古い書類の間に挟まれていた、手書きのメモ。そこには見覚えのある地名と、数列。そして、「サクラ案件、進行中」と記されていた。
「やれやれ、、、これは一筋縄ではいかなさそうだな……」
俺の肩をすくめる声に、サトウさんが小さくため息をついた。「あんた、まだ気づいてないの? これ、最初から仕組まれてたんですよ」
土地家屋調査士からの不可解な電話
登記簿に残された一行の空欄
その日の夕方、一本の電話が鳴った。相手は地元の土地家屋調査士で、声が妙に低い。「あんた、あの地番のこと調べてるらしいな。気をつけた方がいい。前に関わった奴、辞めさせられたぞ」
まるで探偵漫画の中の台詞みたいだった。俺は電話を切りながらも、その警告がまるで現実離れしていて、逆に怖くなってきた。
調べてみると、登記簿の備考欄に、本来記されるべき「原因」欄が白紙のまま残っていることに気づく。ここまできて、ようやく俺にも見えてきたものがあった。
やれやれ、、、昼メシ抜きか
気づけば外はもう暗く、腹も鳴っていた。だが、もう後には引けない。謎の中心にいるのは、やはり依頼人の「養子」だった。その存在そのものが、どうやら虚構だったのだ。
「やれやれ、、、昼メシ抜きか」
俺がそう呟くと、サトウさんは一言、「コンビニの焼きそばパン買ってあります」と言って、引き出しを開けた。まさかの救世主だった。
夜の法務局と暗闇の応接室
行方不明の名義人は誰か
闇に沈んだ法務局の前で、俺とサトウさんは管理人に事情を話して中に入れてもらった。問題の台帳を開いた瞬間、俺たちはある一文に気づく。
「名義人 故人確認済み 取下げ処理未了」
つまり、その名義変更は未遂だったのだ。誰かが成りすましをしようとし、未遂に終わった。だが、その途中経過だけが登記簿に残った、というわけだ。
補助者が語る真実の一手
「つまり、名義は今も実質的には依頼人のもの。勝手に相続を装った人物は……」
サトウさんは静かに言い切った。「元調査士。依頼人の養子になりすまし、土地を転売しようとした」
なるほど、ようやく全貌が見えた気がした。
シンドウの逆転劇と登記の矛盾
消えた地目と遺産の行方
数日後、俺たちは警察と連携し、偽造書類を提出した人物を告発。証拠はすべて整い、依頼人の権利は保全された。
しかし、その過程で浮かび上がったのは、地目変更の虚偽申請、空き家の不正取得、そして市役所内部の人間の関与だった。まるでルパン三世の泥棒一味みたいな連携プレー。
「まったく、俺の事務所はいつから探偵事務所になったんだろうな」
真犯人の意外な動機
逮捕された元調査士は、かつて依頼人に土地を売り損ねたことを恨んでいたらしい。その復讐のため、偽の養子を名乗り、遺産を奪おうとした。
「しっかりしてるようで、やっぱり人間て脆いもんね」と、サトウさんが珍しくつぶやいた。
結末とサトウの一瞬の微笑
司法書士という名の探偵の仕事
事件が終わったあと、老婦人は深く頭を下げて帰っていった。俺はなんとか、また一件、正しく処理できたことにほっと胸をなでおろしていた。
「シンドウ先生、次は山林の筆界確認です」
無情なサトウさんの声に、俺は椅子の背にもたれた。「やれやれ、、、」
次の依頼がドアを叩く音
そしてその時、また事務所のドアがノックされた。ガチャリと開くと、そこには若い男が立っていた。
「相続放棄について相談したくて……」
俺は立ち上がった。サトウさんがふっと口元をゆるめた。一瞬の、まるで奇跡のような微笑だった。