ひとりで背負っていることに気づくのは、だいたい夜
昼間はバタバタしていて、登記の準備だの、銀行とのやりとりだのに追われてるから気づかない。でも、ふと一息ついてコーヒーを飲んでいるとき、夜になってふらっとコンビニに出た帰りなんかに、ふと「今日、誰ともちゃんと話してないな」って思うことがある。誰かと過ごしていたわけでもないし、別に寂しいはずじゃないのに、何かがポッカリ空いてる。そんな夜は決まって寝付きが悪い。
静かな事務所に響くキーボードの音
パチパチとキーボードを叩く音だけが事務所に響く夜、まるで自分が機械になったような気分になる。仕事は好きだし、嫌いではない。でも「人と関わる仕事」をしているはずなのに、実際には一人で処理することのほうが多い。たとえば遺産分割協議書を作成するとき、依頼人の人生の一部に触れているのに、こっちは感情を交えてはいけない、淡々と事務的に済ませなければならない。それが積もると、だんだん心のどこかが無感覚になっていく。
「今日は誰とも話してないな」と気づく瞬間
一日が終わって、車に乗り込んだときにふと気づく。「あれ、今日は一言も声を出してないぞ」って。もちろん電話はしたし、依頼人とも会っている。でも、それはあくまで業務の範囲内。誰かと「心から話す」ことがないまま終わる日が、実はとても多い。そんな日は、車の中でラジオを聞いて、パーソナリティの雑談に無理やり笑ってみたりして、ごまかしている。
相談じゃなく、雑談がほしいだけの日もある
世の中には「誰かに相談したい」という人は多い。でも、「ただ誰かと他愛もない話がしたい」っていう需要は、実はかなり見落とされてる気がする。事務所でも、相談ごとは山のように来る。でもこちらから「今日は暑いですね」とか、「最近どうですか」とか、そういう他愛ない話を投げかけても、返ってくるのはたいてい「で、登記はいつできますか?」という現実的な話ばかり。たまには、雑談でもいいんじゃないか。こっちだって人間なんだから。
コンビニ店員とのやりとりが唯一の会話だった日
「あたためますか?」と聞かれて「はい」と答えた、それが今日一番まともな会話だったなと気づく瞬間がある。コンビニ店員さんに「袋いりますか?」と聞かれただけで少し心が温まるなんて、我ながらどうかしてると思う。でも、そんなもんだ。人との接点が極端に少ない日々を続けていると、ほんの一言が救いになる。たとえば「いつもありがとうございます」なんて言われた日には、その夜はなんとなく機嫌がいい。
「さみしい」と思っても、それを口に出す勇気がない
「さみしいね」って、誰かに言ったことがあるだろうか? 少なくとも私はない。子どもの頃は「さみしい」と言って泣いたこともあったと思う。でも、いつからだろう。大人になるにつれて、「さみしい」は感情の棚の奥にしまい込むようになった。代わりに「疲れた」とか「なんかやる気出ない」が口癖になる。でも本音は、たぶんただ「さみしい」だけなんだと思う。
男が寂しがるのはカッコ悪い?という刷り込み
昔から「男は強くあれ」「泣くな」「頼るな」と言われ続けてきた世代だ。私もご多分に漏れず、その影響を受けている。司法書士なんて職業は、頼られることが多い立場だからなおさら、「寂しい」なんて言ったら信頼を失いそうで言えない。でも、実際は内心で「誰かに聞いてほしい」とか「一人で抱えるのはしんどい」と思っている。誰かに「それ、しんどいね」と言われるだけで、救われる気がするのに。
「頑張ってるよね」って言われたときのむなしさ
「いつも頑張ってますね」と言われても、素直に喜べない自分がいる。むしろ「頑張ってるね」と言われると、「あ、ちゃんと報われてない感じに見えてるんだな」と思ってしまって、なんとも言えない気持ちになる。頑張ってるのは事実だけど、誰かに寄りかかりたい気持ちもある。だけど、それを表に出すことができない。仕事柄、感情を表に出すことがタブーみたいになってるところもある。
優しさに触れたときの、戸惑いと涙腺のゆるみ
不意に誰かの優しさに触れたとき、心のバリアが一気に崩れる瞬間がある。以前、登記手続きを終えたおばあちゃんから「ほんとにありがとうね。これで安心して眠れるわ」と言われて、思わず目頭が熱くなった。こんなに感謝されたのは久しぶりで、嬉しいよりも、なんだか申し訳なくて。「自分はこの人の不安を少しは取り除けたのかな」と思ったとき、じわっと涙がこぼれた。
司法書士という仕事は、意外と孤独だ
この仕事は人と関わる職業に見えるかもしれないけれど、実際は一人でやることが大半だ。特に独立開業していると、すべての決定を自分で下さなければならない。相談する相手もいないし、背中を押してくれる上司もいない。責任もプレッシャーも、自分ひとりのものだ。だからこそ、心のどこかで「誰かに話を聞いてほしい」と思うことがある。
悩みを共有できる相手がいない
業界内に知り合いがいないわけではない。でも、同業者には言いづらい悩みもある。「こんなことで悩んでるなんて思われたくない」という気持ちが勝って、つい話すのをやめてしまう。家族がいればいいのかもしれない。でも独身だと、仕事の話をする相手すらいない。SNSもいいけど、画面越しじゃこの孤独は埋まらない。そんなとき、ふと「誰か、いないかな」と思う。
相談するより、聞かれる側になることが多い
この仕事をしていると、人の話を聞く機会が多い。相続、離婚、会社の清算…みんな自分の悩みを抱えてやってくる。こちらとしては誠意を持って対応するけれど、ふと「じゃあ自分の話は、誰が聞いてくれるんだろう」と思ってしまう。まるで、聞き役ばかりをしているカウンセラーのような気分になる。時々、自分が空っぽになっていくのがわかる。
事務員さんがいてくれるだけで救われてる
たった一人の事務員さんが、どれだけこの事務所の雰囲気を支えてくれているか。私が少しでも笑えるのは、彼女が黙々と業務をこなしてくれているおかげだ。雑談は少ないけれど、その静かな気遣いに何度も助けられている。でも、職場の関係としての距離感は常に気にしている。必要以上に近づくことも、踏み込みすぎることも避けなければならない。
でも、距離感が難しいのも正直なところ
事務員さんとは、あくまで仕事上の関係。でも、時々雑談ができるとホッとすることもある。ただ、その距離を誤れば、職場の空気が一気に重くなる可能性もある。たとえば「最近どうですか?」と聞くのも、タイミングや言い方を間違えると、不快に思われてしまうかもしれない。そう思うと、結局また自分の心を閉じてしまう。だから「さみしいね」とも言えないままだ。
プライベートに踏み込みすぎるのも違う
彼女にも生活があるし、こちらの寂しさを埋めてもらおうなんて、それは依存だと思っている。職場での信頼関係は、あくまで距離があってこそ成り立つ。それでも、たまに何気ない言葉に救われる。「今日、寒いですね」とか「お昼まだですよね」とか、その一言が一人の司法書士の心を支えていることに、彼女は気づいていないだろう。
でも誰かが「お疲れさま」って言ってくれるのはありがたい
たったそれだけの言葉が、どれだけ救いになるか。「お疲れさまでした」って言われると、それだけで今日一日を頑張った意味が生まれる気がする。きっとみんなそうだと思う。でも、普段はそんな当たり前の言葉すら、もらえるとは限らない。だから、誰かに言ってもらえる「お疲れさま」が、本当に沁みる。もしできるなら、誰かに「さみしいね」とも言ってほしい。そうしたら、少しは楽になるのかもしれない。