誰にも気づかれない忙しさ
「今日は静かだな」と思って時計を見ると、もう夕方。電話は鳴らず、誰とも会話を交わさずに1日が終わる日がある。だけどその間、手は止まらない。登記の書類、法務局への問い合わせ、オンラインでの確認作業……。誰にも評価されず、誰にも見られないこの仕事。だけど、止めた瞬間にすべてが自分の責任になるから、ひとつひとつを黙々とこなすしかない。元野球部のときはチームで声をかけ合って乗り越えられたが、ここには声援も、拍手も、喝もない。
書類の山と電話の無音に囲まれて
今日も机の上には書類が積まれている。ちょっと油断すると、あっという間に封筒の束が崩れて雪崩になる。「これを誰かに任せられたらどれだけ楽か」と思っても、そう簡単には人は雇えない。しかも、肝心なときに限って電話も来ない。電話が鳴らない日は、なぜか自分が存在していないような気がしてくる。まるで自分が透明人間になったみたいだ。誰にも頼られず、でもなぜか疲れている。そんな日が続く。
忙しいのに話す相手がいない不思議
あれもこれもやらなきゃいけないのに、ふと「声を発してないな」と気づくことがある。午前中からパソコンに向かって登記申請を作成し、午後は銀行と法務局の往復。終日一言もしゃべらないまま、帰宅してテレビをつけると、芸人たちの声が耳に痛いほど響く。自分の声が出るか不安になって、ひとり言を口にしてみる。こんな日があるから、たまに誰かと話すと、やたらと早口になってしまう。
どこにもぶつけられない焦りと苛立ち
書類がうまく通らなかったとき。法務局から補正の電話が来たとき。自分のミスじゃないと思いたいが、どこにも責任を押しつける相手はいない。だから余計にイライラする。家に帰っても「今日はさ」と聞いてくれる相手もいない。結果、頭の中で何度もシミュレーションしては、「ああすればよかった」「いや、あれでよかったはず」と自問自答の無限ループに入る。焦りと苛立ちが交互に押し寄せてくるのが、この仕事のしんどさだ。
一人で決めることの多さに疲れる
事務所の備品からお客様対応の方針まで、すべての判断を自分で下さなければならない。相談相手がいないというのは、本当に疲れる。たとえば顧客との距離感をどこまで縮めるか、あるいは報酬の設定でどこまで譲るべきか、迷っても迷っても最後は「自分がどうするか」。その積み重ねが、小さな疲労としてじわじわと体に残っていく。
責任の所在がすべて自分にあるという現実
以前、書類の記載ミスに気づかず提出してしまい、依頼者に迷惑をかけたことがある。誰かとダブルチェックできていれば防げたかもしれない。でも一人事務所では、それができない。責任は100パーセント自分にある。事務員がいても最終判断はすべてこちら。だからこそ、プレッシャーも重くのしかかる。「誰も見てないから大丈夫」と思えたらどんなに楽か。でもそう思えないのが司法書士の性かもしれない。
相談相手がいることのありがたさを噛みしめる
たまに同期の司法書士と電話で話すと、ホッとする。たった5分でも、同じ悩みを共有できるだけで、気持ちが軽くなる。以前は「独立したからには全部自分で背負わなきゃ」と意地を張っていたが、今では素直に頼ることの大切さを感じている。孤独は強さを育てるが、やせ我慢しすぎると心がもたない。話せる相手がいること、それだけで救われる瞬間がある。
事務員さんがいてくれるだけで救われる
一人事務所とはいえ、今は事務員さんが一人いる。最初は「教える手間がかかるな」と正直思っていたが、今ではいてくれるだけで安心する存在だ。電話を取ってくれるだけで、空気が変わる。無音が少しやわらぐ。会話があることで、自分の存在が少しだけ肯定されるような気がする。
雑談がある日は少し気持ちが軽くなる
「今日は寒いですね」そんな一言が、心にじんわりしみる。仕事の話じゃなくても、たわいもない話ができるだけで、なんだか元気が出る。元野球部だった頃、練習の合間に交わすしょうもない話が好きだった。たとえ深い関係ではなくても、人と会話をするというだけで、自分のペースが整う。ひとりの時間が多いからこそ、こういうやりとりの価値に気づかされる。
相手がいてくれることの安心感
ちょっと席を外して戻ると、事務員さんが電話を取ってくれていた。そんな小さなことが、本当にありがたい。自分ひとりなら全部対応しなければいけない。でも誰かがカバーしてくれるというだけで、「全部抱えなくてもいいんだ」と思える瞬間がある。その安心感が、事務所という空間の温度を一度上げてくれるように感じる。
それでも壁はある関係性の難しさ
すべてがうまくいくわけではない。言葉選びに気を遣うこともあるし、指示の出し方一つでも悩む。「やっておいて」と気軽に言ったつもりが、重く受け止められていたこともあった。職場の人間関係は、家族でも友人でもないだけに、慎重になりすぎてしまう。だからこそ、ふとした笑顔や返事に救われるのかもしれない。
それでも今日も事務所を開ける理由
何度も「辞めたいな」と思った。だけど結局、朝になると事務所の鍵を開けている。なぜなのか、自分でも明確には答えが出せない。きっと、誰かが待っているから。依頼者かもしれないし、過去の自分かもしれない。もしかしたら、未来の自分かもしれない。そんな漠然とした理由でも、仕事を続ける動機になっている。
モテない独身司法書士が仕事を続けるわけ
飲み会に行けば、「結婚しないの?」と聞かれる。いや、できるならしてる。婚活アプリもやってみたけど、結局は仕事が忙しくて途中でログインしなくなった。そんな中でもこの仕事を続けているのは、やっぱりやりがいがあるからだ。誰かの相続がうまく進んだとき、「助かりました」と言われたとき。その一言のためにやってる気がする。
誰かの役に立っている実感が救いになる
先日、長年放置されていた相続登記をようやく完了させた。依頼者の年配の女性が、「これでようやく眠れるわ」と言ってくれた。その言葉に、背筋が伸びる思いがした。評価されない日々の中でも、誰かの人生に少しでも貢献できている。それだけで、やっていてよかったと心から思える。愚痴もこぼすけど、根っこはたぶんこの感覚が支えている。
苦しさのなかにある静かな誇り
一人事務所は、静かで、孤独で、つらい。けれど、だからこそ得られる誇りもある。すべてを自分でやっているからこそ、どんな成果も自分の力だと胸を張れる。モテないし、日々しんどいし、誰かに弱音も吐きたい。でも、それでも今日もドアを開けて、パソコンを立ち上げ、電話が鳴るのを待っている。この小さな誇りだけは、誰にも奪えない。