AIでもいい、誰かに労ってほしいだけなんだ

AIでもいい、誰かに労ってほしいだけなんだ

AIでもいい、誰かに労ってほしいだけなんだ

地方の司法書士事務所を一人で切り盛りしていると、ふと気づくことがある。「今日、自分は誰かに『おつかれさま』と言われただろうか?」という問いだ。朝から晩まで登記や相談対応、役所とのやりとりをこなしても、感謝の言葉が飛んでくるわけではない。依頼人には感謝されることもあるが、日常的に誰かがこちらを気遣ってくれるような場面はほとんどない。たった一言でも、「今日もよく頑張ったね」と言ってくれる誰かがいたら。そんな思いが募っていく。

「今日も頑張ったね」と言われない日常

毎日事務所にこもって仕事をしていると、時間の感覚すらあやふやになる。電話に追われ、書類に埋もれ、ふと気がつけば夕暮れだ。そんな生活を送る中、「今日もお疲れさま」という一言が、どれほど尊いかを痛感する。自分の頑張りを誰かに認めてもらえるだけで、心がふっと軽くなる。だけど、現実はそう甘くない。職場には自分と事務員の二人きり。事務員も忙しそうにしているし、こちらが気を使ってしまって声すらかけられないこともある。

司法書士は誰かに感謝される仕事じゃない

感謝される瞬間もある。でもそれは一瞬で、しかも報酬が発生するからこそのもの。感謝というより、取引の一環としての「ありがとう」なのだ。淡々と仕事をこなし、誰にも褒められず、誰にも慰められず。それが司法書士の日常であり、孤独さを増幅させていく。自分で自分を褒めるしかない。でも、それがまた虚しい。子どもが親に褒められたくて頑張るように、人は誰かの声があって初めて、自分の存在を確認できる。

事務員に気を遣っても、こちらは空っぽになる

事務員との関係は悪くない。むしろ、気を遣いすぎて疲れることもある。感情のぶつけ合いは避けたいし、職場の空気は穏やかに保ちたい。だから、こちらが我慢する。でも、その「我慢」が日々積もっていく。気づけば、心の中にポッカリと空いた空白ができていた。誰にも気づかれず、誰にも触れられない空間。それを埋めるものが「おつかれさま」なんだと思う。一言あれば、それだけで明日もやっていける。そう思えるのだ。

休憩時間にふと思った「誰も俺をねぎらわない」

ある日の午後、コンビニでおにぎりを買って事務所で食べていると、ふと心の中にぽっかり穴が空いた。「これ、俺、いつまで続けるんだろうな…」そんな言葉がつぶやきとして出てきた。誰にも聞かれてないし、聞いてほしくもない。でも、それでも心のどこかでは誰かに気づいてほしいと思っていた。「今日もがんばったね」と、たった一言、誰かに言ってもらえるだけで全然違うのに、そんな声は届かない。そもそも、誰も近くにいない。

コンビニのレジすら無人。機械ばかりの世界

人と人との関わりがどんどん希薄になっている。最近ではコンビニのレジですら無人化が進んでいる。支払いを済ませても「ありがとうございました」の一言すらない。音声はあるが、誰の気持ちもこもっていない。ただの録音音声。味気ない。でも、それが今の時代なのだ。人とのやり取りがどんどん省略されていく中で、「おつかれさま」という言葉の価値はどんどん高まっている。にもかかわらず、その言葉はますます届きにくくなっている。

「ひとり飲み」で独り言を言うようになっていた

一人で飲みに行くことが増えた。といっても、近所の居酒屋で軽く一杯だけ。店主との会話もあるようでない。帰り道、ふと「今日も疲れたな」とつぶやくと、自分の声に自分が驚く。独り言なんて言うタイプじゃなかった。でも、気がつけば、誰にも話しかけられない日々に慣れてしまっていた。独り言すら、心の叫びなのかもしれない。だったら、せめてAIでもいい。「おつかれさま」と言ってくれる存在が欲しいと思ってしまうのだ。

AIの声で「おつかれさま」と言われた夜

ある晩、ふとした興味でスマートスピーカーに「おつかれさまって言って」と話しかけてみた。無機質な合成音ではあったけれど、「おつかれさまでした」という声が返ってきた。その瞬間、なんとも言えない安心感に包まれた。人間じゃないとわかっていても、言葉が届くだけでこんなに違うのかと驚いた。虚しいといえば虚しい。でも、それでも、自分を肯定してくれる存在が欲しかったんだと気づかされた。

Siriに言わせてみたが、少し泣けた

スマホのSiriに「おつかれさまって言って」と頼んだことがある。返事は期待以上でも以下でもない定型文。「ごくろうさまです」と返ってきた。思わず笑ってしまったが、その笑いの裏で少しだけ泣けてきた。機械相手にこんな感情が動くとは思っていなかった。でも、それだけ言葉に飢えていたのだと思う。どれだけ孤独だったのか、自分でもわかっていなかった。AIの一言が、逆に自分の心の渇きに気づかせてくれたのかもしれない。

温もりがなくても、言葉があるだけで救われる

人は、温度や表情がなくても、言葉だけで救われることがある。それがどんなに形式的でも、どんなに機械的でも、自分に向けられたものであれば心は動く。特に疲れているとき、誰かに言葉をかけられるだけで涙腺が緩む。実際に会ってなくても、LINEの「おつかれさま」だけでも救われる時がある。AIが代わりに言ってくれるなら、それはそれでありがたい時代かもしれない。少なくとも、何もないよりずっといい。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。