書類は片付くけど気持ちは置き去りのまま

書類は片付くけど気持ちは置き去りのまま

書類を片付けた日は気持ちもスッキリするはずだった

今日もまた、一通の登記申請を終え、ファイルを閉じた瞬間、達成感ではなく空虚感が襲ってきた。「これで一区切り」と思ったはずなのに、なぜか気持ちは晴れない。書類は整い、チェックも済んで、不備もない。なのに、自分の中だけがモヤモヤと曇っている。司法書士という仕事は、形式や法令に則って淡々と処理するのが仕事だ。でも、人の人生に関わる場面ばかりなのに、こちらの感情の行き場がない。そんな日が、年々増えてきた気がする。

完了した案件と心に残るもやもや

たとえば、相続の案件。兄弟間の険悪な空気のなかで、手続きを進める。手続き上は中立。必要な書類を集め、登記を完了すれば任務完了。でも、どこかで「これでよかったのか?」という疑念が残る。「あの人、本当は納得してなかったよな…」という気配を感じても、業務としては割り切らなければいけない。でも人間としては、そんな簡単に割り切れないのだ。気づけば、そのもやもやを家に持ち帰ってしまっている自分がいる。

ひとつずつ片付く達成感はあるのに

書類が一件ずつ整理されていく達成感はある。目の前の書類が減っていくと「今日もよく頑張った」と思うし、事務員さんに「お疲れさまです」と言われると少し救われた気にもなる。ただ、心のなかでは何かがずっと棚の奥に放り込まれたまま、未整理のまま残っている。整理できたのは「紙」だけで、自分自身の気持ちは棚卸しもされないままになってしまう。それでも明日はまた新しい依頼が来る。

でもなぜか夜がつらい理由

夜になると、妙に疲れがどっと押し寄せてくる。頭の中では「今日はちゃんと仕事を終えた」と思っていても、体の芯が重い。誰にも相談できず、酒を飲むわけでもなく、ただテレビをつけてボーッとする。心が散らかっているのが自分でもわかるのに、どう片付けたらいいのかわからない。結局、そのまま眠れず、スマホを見たり昔の野球部の仲間を思い出したりして夜が更ける。心の整理って、こんなに難しいのかと思い知らされる。

そもそも心の整理って何なんだろう

「気持ちの整理をしましょう」とはよく言う。でもそれってどうやるんだろう。司法書士になって20年近く経つけれど、未だにその答えがわからない。過去の案件で心に引っかかっていることがたくさんある。でも、それをいちいち思い出していても前には進めない。じゃあ忘れるのが一番かといえば、それもできない。紙の書類ならファイリングできる。でも気持ちは、どこにどうしまえばいいのだろうか。

過去のことより「今」を片付けたい

結局、私たちは「今」の業務に追われる。過去の失敗やモヤモヤに気を取られている暇はない。電話が鳴る、相談者が来る、締め切りが迫る。それでもふとした瞬間に、過去の依頼人の顔が浮かんでくる。あのとき何かもうひと言言えたのではないか、とか、もっと寄り添えたのではないか、とか。そういう感情が、今の自分の「今」を片付けにくくしているのかもしれない。

あの依頼者の一言が引っかかったまま

昔、相続手続きを終えた後に「これで父も安心してると思います」と言われた依頼者の顔が忘れられない。たった一言なのに、その人の目が泣きそうだった。その言葉が本心なのか、それともただの儀礼なのか、今でもわからない。でも、こちらは「お力になれてよかったです」と答えるしかなかった。あのとき、もっと何かできたのではないかと今でも考えてしまう。それが、心に刺さったまま抜けていないのだ。

法律では割り切れない感情の山

書類上はすべて整っている。登記も完了、期限も守った。でも、そこに込められている家族の感情や思い出は、決して整理されていない。それに触れたとき、自分も感情を持った一人の人間として、苦しくなることがある。司法書士はあくまで法律家だけど、感情を持たないわけじゃない。そのジレンマが、私の心の引き出しをいっぱいにしている。法律では解決できないものが、世の中には多すぎる。

机の上は整っているのに自分の中が散らかっている

今日も事務員が出してくれた書類をきれいに綴じた。クリアファイルも整っていて、机の上に乱れはない。なのに、自分の頭の中はゴチャゴチャしている。心が散らかっているのに、見た目だけ整っている。まるで片付いた部屋にひとりでポツンといるような感覚だ。整っているはずの空間が、逆に自分の混乱を際立たせるという矛盾。これが日常になっていることに、少し恐ろしさを感じる。

片付けが上手な人ほど悩みが深い説

昔、事務所の先輩が「書類をきれいに綴じてるやつほど、内心ぐちゃぐちゃなことが多い」と言っていた。最初は冗談かと思ったけど、今ならわかる気がする。机や書類を整えることで、せめて外側だけでも安定させたい。心の乱れを表に出さないために、整然とした世界を作る。でも、本当の問題は中身。見えないところほど、実は手のつけようがなくて困っている。それが、片付け上手の裏側だ。

見た目と中身が反比例する日々

実際、仕事中は「几帳面ですね」と言われることがある。でも、その言葉を聞くたびに、どこかで申し訳ないような気持ちになる。几帳面に見えるだけで、本当はぐちゃぐちゃなんだ。書類は整っても、自分の将来は整っていない。家族もいない、恋人もいない、ただ机と向き合っているだけ。そんな状態が続くと、整頓されたファイルがむしろ皮肉に見えてくる。

「ちゃんとしてるね」と言われるほどつらい

一番つらいのは「ちゃんとしてる人」だと思われてしまうこと。外側がきれいだからこそ、内面の乱れが誰にも見えない。そして、それを誰にも打ち明けられない。崩れてはいけない、弱音を吐いてはいけないという思いが、自分をますます追い込んでいく。「ちゃんとしてる」の呪縛は、想像以上にしんどい。誰かに「そのままでいいよ」と言ってもらえたら、少しは楽になれるのかもしれない。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。