結婚式に呼ばれる側専門ってなんだよ…司法書士のぼやきと少しのやさしさ

結婚式に呼ばれる側専門ってなんだよ…司法書士のぼやきと少しのやさしさ

結婚式に呼ばれる側専門ってなんだよ…司法書士のぼやきと少しのやさしさ

なぜか毎回呼ばれる、あの“お祝い枠”の固定メンバー

若い頃は「呼ばれるだけありがたい」と思っていた。けれど、40も半ばになると、それがただの習慣や社交辞令であることに気づいてしまう。結婚式の招待状を受け取るたびに、「またか…」と小さくつぶやく。私はいわゆる“お祝い枠”の固定メンバー。主役じゃない、でも絶対に呼ばれる。「来てくれると場が締まる」とか言われて、ありがた迷惑な役目を押しつけられる。誰かの幸せの脇役専門。結婚式場に通う私は、もうベテラン俳優みたいなものだ。

誰かが結婚するたびにLINEが鳴る

司法書士としての業務中、ふとLINEが鳴る。見れば「今度結婚することになりました!」というメッセージ。おめでたい話だとは思う。でも、仕事に追われる中で突然突きつけられる“幸せ爆弾”は、なかなかに効く。返信にも気を遣う。「おめでとう!」と絵文字つきで返したあと、スーツ姿の自分がモニターに映ると、どこかで冷めた目をしている。お祝いの言葉は素直でも、心はなぜかひとつ距離をとってしまう。

「またか」の気持ちと、消せないスタンプ

人からすれば「たかがスタンプ」だろうけれど、私にはあれが意外と重い。「嬉しいです!来てくださったら本当に心強いです!」というキラキラのスタンプを見て、断る勇気が消える。心の中では「またか…」とつぶやいているくせに、「楽しみにしてます」と返信してしまう。優しいふりして、ただ流されてるだけなんだけど。断る理由がないのも地味にしんどい。誰にも迷惑かけてないはずなのに、自分だけがどこか擦り減っていく感覚がある。

断れない自分にも、ちょっと腹が立つ

本音を言えば、行きたくないことだってある。けれど、断ると「冷たい人」になる気がして、それが怖い。司法書士として「誠実に」やってきたつもりの人生が、プライベートでも断れない人間を育ててしまったのかもしれない。お祝いする気持ちは本当だ。でも、その裏にある「義務感」や「空気を読むこと」ばかりが先に立つようになってしまった。自分の感情よりも他人の期待を優先してしまうこの性格、いい加減疲れる。

司法書士って呼ばれやすいのか問題

意外と知られていないが、司法書士という肩書は“きちんとしてそう”というイメージで見られがちだ。だからなのか、昔の同級生や遠い親戚まで「しっかり者枠」として声をかけてくる。礼儀正しく、ご祝儀も相場通り、トラブルも起こさなそう。そういう“無難な存在”として安心感があるのかもしれない。でも、それは裏を返せば、誰からも深くは踏み込まれない存在でもある。

「ちゃんとしてそう」と思われがち

名刺を出した瞬間、「へぇ〜司法書士なんだ!」と興味半分、安心半分で話しかけられる。式の席でも、「なんか頼りになりそう」とか「堅実な人生送ってそう」とか言われるけど、それが逆につらい。中身はそんなに立派じゃない。むしろ、日々の業務に追われて疲れきってるだけの男だ。ちゃんとしてそう、じゃなくて、ちゃんとしようと無理してるだけなのに。

地味にプレッシャーがかかるご祝儀の額

同年代の中ではそれなりの職業に見えるせいか、ご祝儀もそれ相応の額を求められている気がする。誰も口にしないけれど、1万円じゃ場違いな気がするし、3万円でも「多すぎない?」と自分で自問する。結果、毎回「まぁこれくらいが無難か…」と、感情を排した封筒を持って会場へ向かう。祝う気持ちはある。でも、「また赤字か…」とため息が出る。これを何度繰り返したことか。

服装ひとつでもう“仕事感”が出てしまう

スーツを着ているだけで「お仕事帰りですか?」と聞かれる。違う、今日は招待客として来たのに。なのにどこか“きっちり感”がにじみ出て、完全に式に溶け込めない。華やかなドレスに囲まれて、自分だけ「戸籍謄本でも持ってきたのかな?」というような雰囲気になってしまう。スーツ=仕事。そう見られてしまう自分自身にも、そしてそうしか振る舞えない自分にも、少しだけ悔しさを覚える。

ご祝儀貧乏と呼ばれて

多いときには月に2件、3件と続く結婚式。毎回の交通費、ご祝儀、そして翌日の疲れ。ささやかな休日も、財布も、どんどん削られていく。断る理由もないし、祝う気持ちも嘘じゃない。でも、どこかで「また出費か…」という現実が顔を出す。そんなとき、ふと「お祝いって、何のためだっけ?」と立ち止まりたくなる。

月に2回結婚式、こっちは祭りじゃない

まるで毎月のルーティンのように続く結婚式の出席依頼。週末のたびにスーツに袖を通し、決まりきった料理とスピーチを聞く。笑顔を作って拍手をして、引き出物を抱えて帰る。あっちにおめでとう、こっちにありがとう。でも、そのたびに心はちょっとだけ擦り切れていく。「お祝い疲れ」って言葉があるなら、私は間違いなくその症例だ。

記帳所の筆ペンより、通帳の数字が気になる

ご祝儀袋に名前を書きながら、ふと頭をよぎるのは「今月の残高大丈夫だっけ?」という現実的な不安。司法書士といえど、個人事務所は安定とは言い難い。繁忙期と閑散期の波がある中で、毎月のように発生するこの“突発支出”は、なかなかの痛手。祝いの場に立ち会いながら、心の中では電卓を叩いている自分がいる。

式が終わっても、帰ってくるのは疲労とレシートだけ

感動的なシーンも確かにある。泣けるスピーチ、美味しい料理、懐かしい顔。でも式が終わって一人で帰る夜道、残るのは使いすぎた財布とどっと押し寄せる疲労感。帰宅後、レシートを眺めながら、なんとなく「これって本当に必要だったのかな」と考えてしまう。そんな自分が冷たいのか、それとも現実的なだけなのか、もう分からなくなってくる。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。