封筒一通の違和感
本来届くはずのなかった書類
その日、事務所に届いた茶封筒を何気なく開けたとき、シンドウは一瞬で違和感を覚えた。差出人は地元の不動産業者、内容は登記完了証の控えと登記識別情報通知書。しかし、その名義人に覚えがなかった。
「サトウさん、これ…ウチの案件じゃないですよね?」
サトウさんは書類に目を通すと、少し眉をひそめただけで頷いた。「ええ、うちで扱ったことはありません」
差出人不明の登記簿謄本
地番がズレていた
記載されていたのは「下大田町一丁目三五番」。だが、シンドウの記憶にある案件は「三六番」。たった一番違い。それだけで全く別の物件になる。登記において、地番の違いは命取りだ。
封筒の宛名には確かに「シンドウ司法書士事務所」とある。だが、こんな登記、記憶にも記録にもない。不審を感じながらも、郵便物に添えられたメモを手に取る。
サトウさんの冷静な指摘
郵便番号の罠
「郵便番号を見てください」
サトウさんの指差すその数字は、隣町の番号だった。差出人が誤って記載したのか、郵便局が誤って仕分けたのか。いずれにしても、宛先にたどり着いたこと自体が奇跡だ。
「つまりこれは、送ってはいけないものが、間違って届いた可能性があるってことですね」
「そういうことになりますね」
サトウさんはコーヒーを一口飲んで、いつも通り淡々と答えた。
二重登記の可能性
法務局のデータベースを確認
念のため、登記情報提供サービスで照会をかけた。地番「三五番」には、二日前に所有権移転がなされていた。依頼人はA不動産。だが、旧所有者の署名と印影に、見覚えがあるような、ないような。
「ちょっと待てよ…これ、去年扱った案件に似てるな」
記憶の底に沈んでいた案件が、じわりと浮かび上がる。まるで、ルパン三世の次元が煙の中から現れるように。
やれやれ今度は登記情報の誤送信か
ミスか意図的かを見極める
「やれやれ、、、何でこんな面倒なことに巻き込まれなきゃいけないんだ」
シンドウは呟いた。だが、司法書士の性というべきか、真相が気になって仕方ない。偶然にしては出来過ぎている。
「これは…誰かが意図的に情報をズラして登記を通した可能性があります」
サトウさんの声が鋭くなる。彼女が本気になった時は、たいてい何かが起こる。
一通のFAXが導いた真実
もう一つの委任状
その夜、事務所に一通のFAXが届いた。内容は、まさに今問題となっている登記の「委任状の写し」。しかし、よく見ると署名が微妙に異なる。癖のある筆跡が、コピーされきれていないのだ。
「これ、偽造の可能性がありますね」
サトウさんが拡大コピーを取りながら言う。「本物の委任状と比較しましょう」
引き出しから去年の書類を取り出し、並べて確認すると、確信に変わった。
差出人の正体と動機
なぜその地番を狙ったのか
調査の結果、「三五番」の物件は、長年空き家状態。しかも所有者は高齢で、施設に入所中だった。代理人を名乗れば、本人確認も難しい。いわば“狙い目”の土地だったのだ。
「サザエさんに出てくる三河屋さんのように、気づいたらそこにいる不動産業者。だけど今回は、知らない間に家を乗っ取る三河屋だったってわけですね」
シンドウは苦笑いした。
司法書士の逆転劇
法務局職員との連携
翌日、シンドウは法務局に出向いた。職員に経緯を説明し、FAXの委任状と旧所有者の実印登録カードを提出。すぐに登記の差し止めが決定された。
「司法書士さん、ナイス判断です」
若い職員が小さくガッツポーズ。シンドウは「まぁ、たまたまですよ」と頭をかいた。
静かに訪れる結末
もう誰のものでもない家
件の空き家は、最終的に公的管理下に置かれた。所有者が認知症を患っていたこともあり、成年後見制度の手続きが進められることになった。
一連の手続きが終わったとき、空き家のポストにはまだ一通の登記完了通知が入っていた。宛名のないそれは、まるでこの事件の象徴のように思えた。
そして今日もまた一日が終わる
サトウさんの塩対応は続く
事務所に戻ると、サトウさんがすでに明日の書類整理を終えていた。いつものように無言でお茶を出してくれる。
「ありがとう、今日も助かったよ」
「当然です」
そっけない返事の中に、少しだけ柔らかい響きを感じた。ほんの少しだけ。