依頼人と泣いた日、僕はmissing valueを見つけた
突然、依頼人が泣き出したあの日
あれはもう何年前になるだろう。確定申請の相談で訪れた年配の女性。戸籍を読み上げながら、急にぽろぽろと涙をこぼした。「こんなことになるなんてね…」と小さな声でつぶやいたその瞬間、僕は手の中のボールペンを落としそうになった。司法書士として感情を交えるのはよくない。そう教わってきたけれど、その日はどうしても無理だった。ただの事務作業では済まされない。彼女の泣き声は、僕の中の何かを静かに崩していった。
きっかけは一枚の戸籍
依頼人が持参した戸籍の附票。そこには彼女の息子の名前が、最後に「除籍」として記されていた。そう、若くして亡くなった息子さんだった。「この子の住所を移したいんです」と震える声。僕は一瞬、言葉が出なかった。戸籍を見慣れた目でも、それが意味するものの重みには慣れなかった。書類はただの紙。でも、それを手に取る人の人生が詰まっている。そんな当たり前のことに、そのとき改めて気づかされた。
感情を預かる仕事なんて、想定外だった
司法書士ってのは、法務局に提出するための「きっちりした書類」を作る仕事だと思っていた。感情を受け取る準備なんて、どこにもなかった。講義でも実務でも、「泣く依頼人にどう対処するか」なんて教わった記憶はない。でも、人生の節目には、涙がつきものだということを、机の前に座ってるだけでは見落としていた。書類を作る以上に、人の心を扱う時間が、実はやたら多い。
事務員の目が痛かった(多分)
その日、僕は依頼人と一緒に泣いてしまった。泣くというより、目が潤んで止まらなくなった。事務員の子が気まずそうに横でコピーを取っていたけれど、見て見ぬふりをしてくれた。たぶん、内心では「また始まった…」って思ってたかもしれない。けど、その優しさにも救われた。事務所って、そういう場所になるんだなと初めて思った。
司法書士って、こんなに感情を受け取る仕事だったっけ?
開業前に思い描いていた仕事像と、今やっていることとのギャップがここにある。資料を読み、登記を通すだけの毎日じゃなかった。知らぬ間に、「誰にも言えない感情の窓口」になっていたんだと思う。これは誇張じゃない。本当に、僕たちが話を聞いてくれる最後の相手になることがある。そんな仕事だとは、想像していなかった。
法務局に提出するだけじゃなかった
書類を正確に整えること、それ自体も大事。でも実務に入ってみると、「書類を出すまでの物語」がどれだけ重要かが分かる。離婚、相続、死別――誰かの人生の節目に立ち会って、その心の揺れに触れる。感情を整理できないまま相談に来る依頼人も少なくない。僕らは、ほんの少しその荷物を受け取る役目を担っている。
missing value = 心の空欄を埋める仕事
「missing value」って、統計とかでよく出てくる言葉だけど、現場の人間として感じるのは、依頼人の心の中にも空欄があるってこと。記憶のなかの人の居場所、許されなかった想い、やりきれない後悔。そのどれもが、僕の前に現れては消えていく。書類の中には書けない「足りなさ」を、少しでも埋めるのが、僕のやっていることかもしれない。
「専門職だから冷静に」は限界がある
どれだけロジカルに対応しても、泣かれると揺れる。こっちの心も動く。司法書士は士業だから冷静でいなければならない?それは理屈では分かる。でも、現実の前では通用しないことがある。人間として、感情が反応してしまう場面に、ただのマニュアル対応なんて意味をなさない。
感情の受け皿になる覚悟がいる
泣かれること、怒られること、無言で見つめられること――それ全部が、司法書士の仕事の一部になっていく。心の負荷は正直重い。逃げたくなる日もある。でも、そこに向き合わなければ、「誰かのmissing value」は埋まらない。逃げずに座り続ける覚悟。それが、僕が司法書士として一番苦しみながら学んだことかもしれない。
僕が「泣けなかった時代」に置き忘れていたもの
開業したての頃、僕は「泣くなんてかっこ悪い」と思っていた。特に男が泣くなんて、依頼人の前で泣くなんて、言語道断だと。そういう“謎の武士道”みたいなもんを抱えてた。でも、何年もやっていると、自分の中の硬い部分が削れていく。泣けないのは、強さじゃなくて、心の使い方を忘れてたんだと、今なら思う。
依頼人の涙が刺さった理由
本当に困っている人って、強がらない。ありのままを出してくる。その姿を前にしたとき、自分の「プロらしさ」なんてちっぽけなものだったと気づかされる。僕が彼女の涙に心を動かされたのは、彼女が素直に感情を表してくれたから。そして、僕自身がその感情に飢えていたからだったのかもしれない。
「冷静なふり」がただの逃げだったと気づいた
事務所で冷静にふるまい、感情をシャットアウトする。ずっとそれが正しいと思っていた。でも、感情にフタをしたまま仕事をするって、結局は自分をすり減らすことだった。泣けるようになってからの方が、実は仕事も人間関係も楽になった。泣かない強さより、泣ける柔らかさの方が、今の僕にはしっくりくる。
泣いたのは、実は自分のためだったかもしれない
依頼人と一緒に泣いたあの日。あれは彼女のためでもあったけれど、同時に僕自身が「泣くこと」を許せた日だった。泣くことで、自分の中の硬さをほぐすことができた。あれから、少しずつだけど、優しくなれた気がする。誰かのmissing valueを埋めることで、自分の欠けてた部分にも気づかされた。
missing value=感情労働の認知不足
司法書士の仕事って、思っている以上に感情労働なんだと思う。でも、それってあまり表には出てこない。士業だから、冷静で、論理的で、客観的であれと言われる。けど、実際の現場では、その「感情」の部分が一番しんどいし、一番やりがいでもある。missing valueは、僕ら自身の中にもあるんじゃないか。