遺産分割協議書が進まないという日常は珍しくない
遺産分割協議書がまとまらない――そんな案件、司法書士をやっていれば日常茶飯事だ。冷静に考えればそうなんだけど、当事者の思いを受け止める現場にいると、その一つ一つが胃にくる。僕のような地方の小さな事務所だと、電話一本でも心がかき乱される。たまに思う。「これって僕じゃなくてもよくない?」って。だけど目の前にいる人が頼ってくると、逃げられないんだ。優しさって、時に自分を削る刃だと思う。
話がまとまらない案件に慣れてはいくが慣れたくもない
「こういうの、慣れましたよね」なんて言われることもある。たしかに数をこなせば、争いごとへの耐性はつく。でも正直、慣れたくはないんだよな。ひとつとして同じ相続はないし、家族の歴史や関係性が詰まっている。だから、書類のやり取りが進まないたびに「またか」と思いつつ、「今回は違う」と思ってしまう。感情を切り離して作業すれば早いのかもしれない。でも、それができるほど器用じゃないんだよ、僕は。
「一歩も進んでいないんですけど」と言われるプレッシャー
「先生、これ…全然進んでないですよね?」と電話口の声が刺さる。進めてないわけじゃない。連絡を取り、資料を集め、打ち合わせの段取りも組んだ。それでも、相手が首を縦に振らない限り何も始まらない。でも、依頼者から見たら「結果がない=何もしてない」に映るんだよな。正直、しんどい。野球部の頃、打てない試合が続くと「お前、やる気あんのか」って言われたのを思い出す。やる気はある、でも打てないんだ。
資料だけが増えていく無力な数週間
送ってもらった戸籍、評価証明、固定資産台帳…。机の上には資料が山積み。これを見て「おお、前進してる!」なんて思えるわけがない。ただ増えていく紙と沈黙。こっちとしては何度も手紙を書いて、電話をかけて、関係修復を模索しているけれど、協議書の文案は真っ白なままだ。資料は揃っても、心は揃わない。どこかで歯車が止まってるのに、誰も直そうとしない。そんな無力感に飲まれて、事務所でひとりコーヒーをすする日々だ。
相続人の数だけ感情がある
相続人が多ければ多いほど、感情の交差点も複雑になる。それぞれの立場、それぞれの思い出、それぞれの主張。僕は書類の交通整理係のつもりだけど、気づけば感情の渋滞に巻き込まれている。以前あったのは、9人兄弟の相続。会話もないまま、書面だけがやり取りされる冷たい戦争だった。兄弟喧嘩って、ほんと根が深い。お互い子どもみたいに言い合ってるのに、こちらが少しでも口を挟むと「あなたには関係ない」と冷たく言われる。
仲が良かった兄弟ほどこじれる矛盾
「昔は本当に仲良しだったんですよ」と言う依頼者ほど、今は憎しみに近い感情を持っていることがある。「うちは大丈夫です」と言っていた案件が、結果的に一番泥沼化することも少なくない。たとえば、お姉さんと妹さんで始まった協議。最初はLINEのグループで和気あいあいと進んでいたのに、途中から既読無視の応酬になり、今では弁護士を通じてしか連絡が取れない状態になってしまった。親の死って、時に兄弟の絆まで殺してしまうのかもしれない。
「自分の取り分」の話になると突然冷たくなる現実
面談中、笑顔で「何でも協力しますよ」と言っていた人が、分割内容の具体的な話になった途端、表情が曇る。その変化を見るたびに「やっぱりか」と思ってしまう。人間って、損したくない生き物なんだよな。感情ではなく、お金の計算になった瞬間、空気が一変する。例えるなら、仲間でワリカンの店に入ったのに、最後に伝票を見た瞬間、誰も財布を出さない、あの気まずさに似ている。悲しいけれど、相続ってそういう場面が多すぎる。
司法書士という立場が板挟みになる瞬間
中立であるべき僕ら司法書士。でも、現場では中立という立場が逆に苦しくなる場面がある。どちらにも味方できない。だからこそ、どちらからも「冷たい人」と思われる。誰にも寄り添えないもどかしさの中で、「私の気持ちは分かってくれませんか?」という声に、胸をえぐられる。僕の仕事は、感情じゃなくて書類をまとめること。そう分かっているつもりでも、感情が行き場を失って事務所の空気がどんよりする日もある。
事務的に進めてくれと言われても限界がある
「淡々と進めてください」と言われることがある。それができたらどんなに楽か。でも現実は、淡々と進めようとすればするほど、相手の怒りや不信感に火を注ぐことになる。事務員にも「この件、進まないですね」と言われると、心が折れそうになる。そりゃそうだよ、書類だけ送っても、誰も読まなきゃ意味がない。無表情で押印する未来なんて、誰も望んでないはずなのに。
口火を切れと言われるけど誰にも切れない
「先生から説得してくださいよ」ってよく言われる。でもね、それが一番難しい。感情がこじれている場面では、どちらかに肩入れしてしまった時点で信頼が崩れる。そうならないように、慎重に言葉を選び、タイミングをはかるけど…その沈黙すら「何もしていない」と見なされてしまう。例えるなら、点火しない花火を手に持って、じっと火がつくのを待つ感じ。誰もやりたがらないけど、誰かがやらないと終わらない。それが司法書士の役割なのかもしれない。
中立とは本当に孤独な立場
どちらにも味方できないから、どちらからも遠ざけられる。中立って、ほんとうは孤独なんだ。弁護士みたいに依頼者の利益を代弁することもないし、行政書士みたいに依頼書一枚で済む仕事でもない。僕ら司法書士は、ただ淡々と書類を整える。でも、その書類にたどり着くまでが戦場。真ん中に立つって、実は一番怖いポジションだよ。
感情移入すればするほど自分がすり減る
僕も昔は、もっと人の話に共感して寄り添ってた。でもある時、ふと気づいたんだ。「ああ、これって自分の心が減ってるんだな」って。寄り添えば寄り添うほど、自分がしんどくなって、夜に寝つけなくなる。お酒も増えるし、誰とも会いたくなくなる。でも、それを誰にも言えないのが、またつらい。
遺産じゃなくて怒りの配分を見てる気になる
誰がいくらもらうかの話なんだけど、見てると結局「誰がどれだけ怒ってるか」の分配にしか見えない。金額は感情のメーターでしかなくて、書類に記された数字の裏には、恨みや悲しみが滲んでいる。だからこそ、僕らの仕事はただの手続きじゃないんだよな。