あの人の名前を検索してしまう夜に、司法書士は何を想うのか

あの人の名前を検索してしまう夜に、司法書士は何を想うのか

誰にも言えない夜の癖

ふと仕事が終わって、事務所の灯りを落としたあと、なぜか検索バーに「昔好きだった人」の名前を打ち込んでしまう。これは、誰にも言えない夜の癖だ。別に何かを期待しているわけじゃない。ただ、心の奥にある「空白」を埋めようとしているだけなのかもしれない。きっと、この静けさがそうさせるのだ。

業務メールを閉じたあとの静けさに

日中は依頼者の電話やメールに追われて、思考の隙間すらないのに、夜になると一転して世界が静まり返る。そのギャップが妙にこたえる。パソコンの前で資料を閉じた瞬間、張り詰めていた緊張の糸がぷつりと切れ、自分という存在が浮いてしまうような感覚になる。そんなとき、誰かに「お疲れさま」と言ってほしくなるのだ。

事務所に一人、帰る人がいない日常

職場に事務員さんは一人いるが、当然定時には帰る。残るのは書類と、沈黙だけ。地方の一人事務所ではよくある風景だ。家に帰っても出迎える人はいないし、食事もレンジで温めるだけのものが多い。そんな日常のなかで、人恋しさがふと湧いてくる瞬間がある。

検索バーに手が伸びるまでの流れ作業

「あの人、今どうしてるんだろう」。そんな気持ちが、無意識にスマホを手に取らせる。SNS、旧姓、住んでいた地域──思いつく限りのキーワードで検索する。結果が出ても出なくても、答えは自分の中にあることはわかっているのに、それでもつい、やってしまう。まるで習慣のように。

恋愛と無縁な日々が長くなってきた

20代の頃は「いつかきっと」と思っていた。でも40を過ぎて、独身のまま司法書士として走り続けてきた今、「きっと」は「もしかしたら」になり、やがて「無理かもなぁ」に変わってしまった。

「女性にモテない」と言い切れるようになるまで

学生時代はそこそこ友達もいたし、告白して振られた経験も笑い話になった。でも社会に出て、資格を取って、ひたすらに開業と仕事に打ち込んでいたら、気づけば出会いがなくなっていた。「どうせ俺なんか」と思うようになったのは30代の終わりくらいだったかもしれない。

司法書士という肩書きの無力さ

「安定してる」「堅実そう」と言われることはある。でも、恋愛対象として見られた記憶はほとんどない。登記や相続の話はしても、誰かと一緒に過ごす未来の話はできなかった。肩書きで自分を守ってきたつもりが、実は孤独を積み上げてきただけだったのかもしれない。

昔好きだった人──今どうしてるんだろう

彼女はたしか、東京の大学に行ったんだった。FacebookやInstagramで見つけた写真には、家族と笑う姿があった。こっちは一人、資料の山と格闘してるっていうのに、その対比にちょっとだけ胸が締めつけられた。

検索して出てくるのは幸せそうな写真

別に復縁したいとか、連絡を取りたいわけじゃない。ただ、幸せそうな姿を見ると、自分だけが取り残されているような気持ちになる。「あのとき、もっと素直になれていたら」とか、今さらどうにもならないことを思い出してしまう。

名前を打つだけで心がざわつく

たったひとつの名前に、こんなにも心が揺さぶられるなんて。キーボードを打つ指先が、一瞬だけためらう。出てくるのは他人の人生の続きで、自分が登場しない物語。それでもなぜか見てしまうのは、どこかにまだ引っかかってるからだろう。

それでもまた検索してしまう理由

「やめよう」と思いながらも、また夜になると検索してしまう。たぶん、誰かと繋がっていたかったという記憶に、少しでも触れたくなるのだ。

癒されたいのか、傷つきたいのか

過去をなぞる行為は、一種の自傷行為にも似ている気がする。もう戻らないことがわかっていながら、それでも繰り返してしまうのは、自分に対しての甘えか、それとも自分を罰したいのか。どっちともつかない感情が、ただただ渦巻く。

心の隙間に差し込む“あの人”の存在

今さら恋でもない、未練でもない。でも、心の中のぽっかり空いた場所に、たった一人の面影がしみ込んでいる。それが“昔好きだった人”の存在感であり、それは意外にも、今を生きる力になっていたりする。誰にも見せない心の風景のひとつだ。

そんな夜を重ねても、朝はやってくる

思い出に耽ったって、結局は翌朝また依頼者からの電話が鳴る。仕事は容赦なく続いていく。今日も書類と、登記と、依頼者と向き合う日々がはじまる。それが「司法書士」としての自分の日常だ。

結局また、登記簿と書類と向き合う日々

悩んでも、過去を探っても、明日はやってくる。そこにあるのは、印鑑と書類と、地道な確認作業。そして「先生、ありがとうございます」のひと言。その言葉だけを支えにして、また今日もやっていく。

司法書士としての「役割」と「自分」の狭間で

役割をこなすことと、自分らしく生きること。その間で、いつも揺れている気がする。でも、どちらかを選べというより、どちらも抱えながら続けるのが、この仕事なのかもしれない。そう思うことで、少しだけ救われる夜もある。

もしこの記事を誰かが読んでくれたなら

これはただの愚痴かもしれない。でも、どこかで同じように夜に過去を検索している司法書士がいたなら、少しでも「わかる」と思ってもらえたら嬉しい。それだけで、この夜が少し報われる。

同じように孤独を感じる誰かへ

この仕事をしていると、誰かの人生には深く関わるのに、自分の人生には誰もいない──そんな気持ちになることがある。もしも、この記事を読んで、ちょっとでも心が軽くなったら、それだけで十分だ。

愚痴でも共感でも、ここに書く理由

書くことでしか整理できない感情もある。司法書士としての顔ではなく、ただの一人の男としての、正直な心の揺れを綴る場が、ここにあってもいいんじゃないか。そんな思いで、今夜もまたキーボードを叩いている。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。