幸せそうな人を見ると心がザワつく日もある

幸せそうな人を見ると心がザワつく日もある

人の幸せがまぶしくて目をそらしたくなるとき

ときどき、人の幸せがまぶしすぎて目をそらしたくなる瞬間があります。SNSで流れてくる結婚報告、家族旅行の写真、誕生日を祝われる姿。それを見て「よかったね」と思えるときもあれば、どうしようもなく心がザワつくときもある。うらやましさだけじゃなく、置いていかれるような寂しさや、今の自分に対する焦りも混ざっているような気がします。

比べたくないのに勝手に比べてしまう

「比べたって意味がない」と頭ではわかっていても、心は正直です。仕事帰りにコンビニで一人晩ごはんを買っている自分と、家族で笑い合っている知人の投稿とが、勝手に天秤に乗ってしまう。司法書士という仕事に誇りを持っているつもりでも、ふと「この生活、何年続けるんだろう」と不安になる夜もあります。比べるつもりなんてなかったのに、比べてしまった自分をまた責めてしまう。そんな負のループにはまることも、珍しくありません。

知人の結婚報告が頭から離れない夜

先日、大学時代の野球部の同期から結婚の報告がありました。写真には、新婦との笑顔が収まっていて、コメント欄も祝福の嵐。それを見たあと、何か胸の奥がギュッとなってしまって、その晩はなかなか眠れませんでした。もちろん祝いたい気持ちはあります。でも、その裏側で「俺はどうなんだ?」と自分に問いかけている自分もいたのです。答えは出ないまま、スマホの画面を伏せて、ただため息だけが残りました。

自分だって頑張っているはずなのにと思ってしまう

日々、登記の準備や相談対応に追われながら、必死でやっているのに報われている実感がない。誰にも迷惑かけず、税金も納めて、自分なりに誠実に生きているつもりなのに。なのに、なぜこんなにも満たされない気持ちが湧いてくるのか。幸せそうな誰かを見るたび、自分の「足りなさ」が突きつけられているようで、正直つらい。誰かに認めてもらいたい、そんな子どもじみた感情すら出てきます。

司法書士という仕事と孤独感

司法書士という仕事は、人の人生の節目に関わる誇らしい仕事です。登記や相続、遺言の手続きなど、依頼者の大事な瞬間に立ち会う責任ある立場。でもその一方で、誰かと喜びを共有する機会は少なく、黙々と作業に没頭する日々が続きます。ときにはその静けさが、寂しさに変わることもあるのです。

感謝されるけど仲間がいない

たまにお客様から「本当に助かりました」と感謝されると、その言葉は沁みます。でも、事務所に戻ればまた静まり返った部屋に戻るだけ。事務員さんとは最低限の会話はしますが、雑談をする余裕もないほど日々は慌ただしい。前はよく野球部の仲間と馬鹿話をしていたのにな、と、そんな記憶ばかりがふいによみがえるのです。

一人で背負いすぎていないか

責任ある仕事だからこそ、「ミスは許されない」「全部自分でやらなければ」と気が張っています。でも気づくと、肩に力が入りすぎていて、ふとしたときにぐったり疲れてしまう。誰かに相談したいと思っても、「こんなことで弱音を吐いてもいいのか」とブレーキをかけてしまう。その繰り返しが、気づかぬうちに心をじわじわと蝕んでいるのかもしれません。

ふと寂しさが込み上げる瞬間

仕事帰り、夕暮れのスーパーで家族連れを見ると、なぜか胸の奥がキュッとします。自分には誰かを迎える食卓もないし、話し相手もいない。明かりをつけた事務所に一人帰って、机に向かう。誰かが自分を待っていてくれる感覚、それがどれだけ人の心を支えているかを痛感します。司法書士という肩書きの重さと、自分の空っぽな部分が、よくも悪くも対比になるのです。

人の幸せを受け止めるのに心が疲れている

本来なら、人の幸せは祝福できるものでありたい。だけど、心に余裕がないときは、どうしても素直に受け取れない。それは性格が悪いわけではなく、たぶん、心がちょっと疲れているだけ。そう思いたい。

心の余裕がないときほど刺さる

案件が立て込み、休日も返上して対応しているときほど、ふいに流れてくる友人のハワイ旅行の投稿が心に刺さる。こちらは一人でコンビニ飯をかきこんで、処理しきれない書類に囲まれているというのに。誰も悪くない。ただ、今の自分が苦しんでいるからこそ、ちょっとした幸せの描写がグサッと入ってくる。そんな日があるのです。

祝福の言葉がうまく出てこない自分

人として「おめでとう」「よかったね」と言いたい気持ちはある。でも、どうしても言葉が口に出てこないときがあります。心の中では、もしかしたら「うらやましい」「自分には手に入らないもの」と感じてしまっているからかもしれません。そんな自分を情けなく思うし、大人として未熟なのかもしれないと思ったりもします。

「いいなあ」の裏にある言えない気持ち

誰かの幸せに対して「いいなあ」と言ったとき、それが本当に祝福なのか、自分への問いなのか、わからなくなることがあります。笑顔で言いながら、心の奥では静かに波が立っている。そんな感情を、誰かに見透かされるのが怖くて、なるべく無表情でやり過ごすクセがついてしまいました。

それでも自分の道を歩くために

人の幸せにザワつく日もあるけれど、それでも日々は進んでいきます。司法書士として、自分がやってきたこと、自分なりに築いてきた信頼や実績。それを少しでも肯定できるようになることが、前を向くための第一歩だと思っています。

人の幸せは奪いじゃないと知る

誰かが幸せになることは、自分の幸せが奪われることではない。そう頭では理解していても、心が追いつかないこともある。でも、時間が経てば、少しずつ受け入れられるようになる気がします。人の幸せを、心から祝えるようになる日も、きっとまた来る。そう信じて、今は目の前の仕事に向き合っていきたい。

心がザワつく日もあるけれど

ザワつくこと自体は悪いことじゃない。それだけ、自分が何かを望んでいる証拠でもある。そう思うようになってから、少しずつ気持ちが楽になってきました。心が揺れるのは、何かに真剣に向き合っているから。だったら、その気持ちごと抱えて、日々を重ねていけばいい。

比べずに前を向けたときの話

最近、ふとした瞬間に「この仕事があってよかった」と思えることがありました。小さな登記案件でも、依頼者に「本当に助かりました」と言われたとき、胸が温かくなったのです。そのときは誰とも比べなかった。ただ、自分のやったことが、誰かの役に立てた。それだけで、少しだけ心が満たされました。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。





私が独立の時からお世話になっている会社さんです↓