「恋愛を語る資格がない気がする」—独身司法書士の本音
地方で司法書士事務所を営む独身男性。45歳を過ぎた今、「恋愛」について語ろうとするたびに、自分にはそんな資格はないんじゃないかという思いが湧いてきます。モテない、出会いがない、そもそも恋愛経験自体が乏しい。そんな自分が、他人の恋バナを聞いて相槌を打つことすら気が引けてしまうのです。でも、きっと同じように感じている人もいるはず。そんな思いを、今日だけは少し吐き出させてください。
仕事に追われる日々で「恋愛」は遠い存在に
朝の9時から夜の22時まで。事務所にこもりきりで登記の書類とにらめっこ。依頼人からの連絡、役所への対応、郵便物の確認……こなしてもこなしても、終わりが見えない。それに加えて、司法書士という仕事柄、細かいチェックや気配りが求められるので、精神的な疲労感が蓄積していきます。こんな毎日では、恋愛に割く余力なんてあるはずもなく、「恋愛」という言葉が他人事にすら感じてしまうのです。
朝から晩まで続く依頼と締切の波
たとえば月末が近づくと、登記の期限に追われる案件が一気に押し寄せてきます。登記完了予定日に間に合わせるためには、こちらから催促も必要だし、役所との細かいやり取りも出てきます。そんな中で「今日は誰かと飲みに行こう」「気になる人にLINEしてみよう」なんて気持ちがわくはずもない。目の前の〆切を優先し続けるうちに、恋愛の優先度なんて地の底に落ちてしまいました。
恋愛どころか、自分の時間すらない現実
ある日、ふと時計を見ると夜の11時過ぎ。「あれ、夕飯食べたっけ?」と考えて、カップ麺の残骸を見つけて思い出す。こんな生活を何年続けてるんだろう、と呆れることもしょっちゅうです。恋愛なんて、まず自分の生活が人間らしいものであってこそだと思うのですが、私の場合、そのスタートラインにも立てていない。だから「恋愛を語る資格なんてないな」とつい思ってしまうんです。
「結婚してないんですか?」に毎回ドキリとする
依頼人とのちょっとした世間話や役所の窓口で、たまに聞かれるこの質問。「あ、まだ独身でして…」と笑って答えるものの、そのたびに心がチクリとします。悪気がないのはわかっているけれど、まるで「あなたは欠陥品ですね」と言われているような錯覚に陥ることも。司法書士としての実績には自信があっても、人としての評価まで下がったような気分になる瞬間です。
職業柄、プライベートにも踏み込まれる
特に相続案件などを扱っていると、依頼人から「先生はご家族いらっしゃるんですか?」と自然な流れで聞かれます。話を広げる意図であっても、こちらとしては答えたくない質問のひとつです。「おひとりなんですね、仕事忙しいですもんね」とフォローのつもりで言われても、その言葉が余計に寂しさを掘り返す。こんなふうに、日常の中で「独り身」であることを意識させられる場面は思いのほか多いのです。
答えるたびに自己肯定感がじわじわ削られる
「恋愛も結婚もしてない自分は、やっぱり何かが足りないんだろうか?」そんな考えが頭をよぎるたび、ますます恋愛が遠ざかっていきます。そして、その遠ざかりがまた「語る資格がない」という自己否定に繋がっていく。悪循環です。でも、だからといって仕事を辞めるわけにもいかない。だから、また日々の業務に逃げ込む。これが、私の現実です。
それでも誰かに話したくなる瞬間がある
「もう恋愛なんてしない」と思っていても、誰かの幸せそうな話を聞くと、やっぱり羨ましいという感情が芽生えることがあります。深夜、テレビから流れる恋愛ドラマのセリフに心を動かされたり、依頼人同士の結婚報告を聞いてなぜか泣きそうになったり。そんな時、誰かに話したくなる。でも話せる相手がいない。この孤独が一番、こたえるんです。
愚痴を言えるだけで救われることもある
事務員さんには話せないし、同業の友人にも「弱音を吐いてると思われたくない」と思ってしまう自分がいます。でも本当は、誰かに「わかるよ」って言ってもらえたら、それだけで楽になれるのにと思います。だからこうして文章にして吐き出すことが、せめてもの自己救済なのかもしれません。書くこと自体が、少しだけ心を軽くしてくれるんです。
孤独も、弱さも、誰かと共有したい
こんな記事を読んで、「自分も似たようなもんだよ」と思ってくれる人がいたら、それだけで報われる気がします。恋愛を語る資格がないかもしれない。でも、恋愛について悩んだり、憧れたりする気持ちは、きっと誰にでもある。だからこそ、資格なんていらないんじゃないか。そんなふうに、少しでも前向きに思えるようになれたら——それだけで救いになる気がするんです。