頼られない日々にすり減る心と居場所のなさ

頼られない日々にすり減る心と居場所のなさ

いつの間にか誰にも頼られなくなっていた

気づけば、電話も回ってこない。相談もされない。誰かが困っているようでも、自分に声がかかることはない。昔はよく、「ちょっとこれ見てくれますか?」なんて声が飛んできたのに、今は静かなものだ。地方で司法書士として独立して15年、事務所も小さいし、派手な仕事はない。でも、それでも人から頼られているという感覚が、日々の原動力だった。それが薄れてくると、体力より先に心がすり減っていく。声をかけられないことが、ここまで寂しいとは思わなかった。

前はもっと声がかかっていた気がする

昔の写真を見返していたら、登録したての頃、先輩の補助で現場を回っていた自分が写っていた。あの頃はまだ若くて、右も左も分からなかったが、質問されたり、意見を求められたりするだけで「必要とされてる」と感じられた。今は逆に、自分のほうが聞きたいことがあっても、誰に聞いていいか分からない。頼られることと、頼ることのバランスが崩れると、社会の中での自分の立ち位置が分からなくなってくる。

相談されるたびに感じていた誇らしさ

「○○さんに聞けば安心だから」——そんな言葉を言われるたびに、肩の荷が重くなりつつも、内心ではガッツポーズしていた。頼られるということは、それだけ責任を伴う。でもその責任が、司法書士としての誇りを支えていたんだと思う。相談されたときの、あの目の輝き。あれがあるからこそ、どんなに忙しくても頑張れていた。誇らしさと苦しさは紙一重だったけれど、それが自分を動かす燃料だったのだ。

責任があったから頑張れたという事実

人は弱いものだ。何も課されなければ、そこに甘えてしまう。でも、誰かに頼られているうちは「やらなきゃ」という意識が自然と湧く。重いけれど、それが心地よくもあった。責任を感じるから、日々の仕事に意味が生まれていた。あの頃の自分は、毎日誰かの役に立っていた。今、誰かの役に立てているか? そう問われると、胸を張って「はい」とは言えない。それが一番辛い。

ただの作業員になった気がする日々

司法書士としての仕事が、ただのルーティンに変わっていく。登記も、書類作成も、確かに自分がやらなきゃ進まない。でも、それに誰かが感謝したり、頼ったりする場面は少なくなった。まるで無人の作業所で、機械的に動いている気分だ。誰かの役に立っている実感がなくなると、自分の存在価値をどこに置けばいいか分からなくなる。

指示もなく放置される孤独感

昔は事務員さんからも「あれ、どうしましょうか?」と尋ねられることが多かった。でも最近では、彼女の方が仕事の流れを把握していて、むしろ自分が「これは何だっけ」と聞く始末だ。別に嫌な感じではない。ただ、役割が逆転しているようで戸惑う。こちらが指示を出す側なのに、出す前にすでに片付いている。それはありがたいことのはずなのに、心のどこかで寂しさを感じてしまう。

黙々とこなすだけでは満たされない心

黙って机に向かって書類を処理する。それで仕事は回る。でも、人として満たされるかというと別問題だ。「ありがとう」「助かったよ」という一言が、こんなにも心の栄養だったなんて思いもしなかった。忙しいからといって、感情まで無視していいわけじゃない。目立たなくてもいい。でも、誰かに必要とされたい。それが本音だ。

司法書士としての存在意義を見失う

独立してから15年、地元の依頼を中心に仕事を続けてきた。登記や相続の相談も一通り経験して、今さら焦ることも少ない。でも、最近ふと立ち止まると、「自分は何のためにこの仕事をしているんだろう」と思うことがある。誰かの力になっている実感が薄れると、仕事そのものの意味まで見失ってしまう。

誰でもできると思われている気がする

手続きがオンライン化され、マニュアルも整ってきた。経験が浅くても対応できるようになってきた一方で、司法書士としての価値を見せる場面が減ったと感じる。特に報酬の話になると、「それだけの価値があるのか」と問われているようで心が折れそうになる。知識と経験を積んできたつもりだが、それが評価されにくい空気の中で、自分の立ち位置を見失ってしまう。

役割と責任の境界が曖昧になっていく

事務と司法書士の業務の境界が曖昧になると、誰がどの責任を持っているのかも見えづらくなる。「あ、それは先生がやってください」と言われるときと、「こっちでやっときますね」と言われるときの差が激しい。やらなきゃいけない仕事は減ってないのに、「自分にしかできない仕事」が減っているのが問題だ。責任を持つ場面が減るということは、誇りも減っていくことに近い。

司法書士である自分が不要に思えてくる

たまに「先生いなくても回ってるね」と冗談で言われることがある。それが本音かどうかはともかく、グサリとくる。昔なら「それでも責任は自分が持っている」と胸を張れたが、今は言い返す元気すらない。「自分じゃなくてもいいんじゃないか」——そう思う瞬間が増えてきた。これは、単なる疲れじゃない。居場所の喪失感に近い。

事務員さんが優秀すぎるという葛藤

今の事務員さんは、本当に優秀だ。気も利くし、仕事も早い。正直、助かっている。けれど、その「助かってる」が続くと、だんだん「自分の存在が薄れている」と感じるようになってしまう。彼女に不満があるわけじゃない。ただ、自分の力が必要とされていないと感じるたびに、複雑な思いが湧いてくる。

自分より頼られていると感じる瞬間

お客様が来所したときに、真っ先に話しかけられるのが事務員さんだったりする。話の流れで「じゃあこれ、○○さんにお願いできますか?」と言われると、「あれ、自分は?」と心の中でつぶやいてしまう。事務所全体としてはうまくいっている。でも、自分だけが置いていかれているような、そんな錯覚に陥ることがある。

比較してしまう自分が情けない

「そんなことで嫉妬するなんて大人げない」と分かっている。でも、どうしても比べてしまう。誰が悪いわけでもない。ただ、少し前まで自分が中心だった場所で、今は一歩引いた位置にいると、何とも言えない気持ちになる。これが年齢のせいなのか、時代の流れなのか……それすらも分からなくなってくる。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。