恋よりも早く終わる登記に、今日も心を置いてけぼり

恋よりも早く終わる登記に、今日も心を置いてけぼり

登記の完了通知は来たのに、誰からのLINEも来ない

登記のオンライン申請が完了したとき、通知メールが届く。そのときふと思う。「これでまた一つ、誰かの人生の節目を手伝えた」と。達成感はある。でも、そのスマホに届く通知が、それだけだったと気づく瞬間、胸の内側がスンと冷える。周りの同年代が家族のLINEでにぎわっている中、自分は登記の受付番号を眺めている。

一日は成果が見える、でも心は空っぽ

司法書士の仕事は成果がはっきりしていて、それはある意味救いだ。登記完了=目に見える達成。でも、ふと机から目を上げたとき、事務所には誰もいない。事務員さんは夕方に帰り、あとは沈黙。静かすぎて、紙をめくる音がやけに響く。効率よく処理しても、心は置いてけぼりになっているのを感じる。

書類は片付いたのに、胸のモヤモヤは散らからない

大量の書類を整理して、「今日もよくやった」と自分に言い聞かせる。でも、それでモヤモヤは晴れない。まるで、掃除してピカピカになった部屋の中心に、ぽっかりと空いた空間だけが取り残されているよう。虚しさが、仕事の充実感を静かに飲み込んでいく。

「終わりました!」の電話が嬉しくない夜もある

依頼人への報告電話。「登記、無事に完了しました!」と伝えると、「ありがとうございます、助かりました!」という声が返ってくる。嬉しい。でも、その瞬間、もう関係が終わってしまう気がして寂しい。誰かの人生に関わったというより、通りすがっただけ。そんな感覚が、夜の事務所にひっそりと残る。

結局、誰も待っていない家に帰るだけ

業務を終え、PCの電源を落とす。照明を消し、戸締まりを確認。外は真っ暗で、人通りもまばら。帰宅しても誰かが迎えてくれるわけじゃない。電気ポットの湯が沸く音が唯一の生活音。便利な暮らしのはずなのに、どこか寒い。恋人もいなければ、同居人もいない。ただただ一人分の湯気が上がっていく。

登記より恋が遅い人生ってなんなんだろう

お客様の案件は1週間もあれば完了する。でも自分の恋愛は10年経っても進展なし。というか始まってすらいない。人の人生の節目に関わっているのに、自分の人生は停滞したまま。仕事の速度と私生活の速度があまりにも違いすぎて、頭が混乱することさえある。

時間を守るのに、愛には遅刻ばかり

納期は必ず守る、電話の折り返しも早い。なのに、誰かとの関係となると、気づけばタイミングを逃している。仕事であれば段取りも手順も完璧なのに、恋愛には説明書もマニュアルもない。だから怖い。だから、つい後回しにしてしまう。

成功しても、喜びを分かち合う相手がいない

やりきった日、心から「今日は頑張った」と思う日、ふと誰かと乾杯したくなる。でもその「誰か」がいない。たまに一人で缶ビールを開けてみるけど、ただの炭酸水にしか感じない。味気ない日常のなかに、ささやかな分かち合いすらない現実が押し寄せる。

「あの人、仕事だけはできるよね」と言われ続けて

それは褒め言葉かもしれない。でも、“だけ”という言葉の後ろに、いつも何かを否定されているような気がする。仕事は確かに早いし、正確だ。でもそれ以外に、自分には何が残っているのか。たまにそんな問いが頭の中をぐるぐる回る。

その“だけ”が、胸に刺さる

「〇〇さんって、仕事だけはちゃんとしてるよね」その“だけ”が問題なんだよ、と言いたくなる。でも言えない。その言葉のあとに、誰も続きの話をしないときがいちばん辛い。「だけ」以外の自分は、話題にすら上がらない存在なのかと。

仕事に逃げても、逃げきれなかった孤独

忙しくしていれば、寂しさなんて感じないと思っていた。ところが逆だった。忙しい分だけ、終わった後の静けさが刺さる。仕事が終わるたびに、「俺は今日、誰とも心で繋がっていなかった」と感じてしまう。

せめて事務員さんには感謝されたい

唯一、毎日顔を合わせる事務員さん。若いが気が利いて、気持ちよく働いてくれる。だけどふと、「この人もいずれ辞めるのかな」と思ってしまう。そう思うと、ますます心を開けない。寂しさと期待のバランスが取れなくなっている自分に気づく。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。