訂正された想い
司法書士という職業を選んだとき、まさか人の「想い」にまで訂正印を押す日が来るとは思わなかった。 法と書類に囲まれた日常は、基本的に無味乾燥なものだ。だが、あの日、あの封筒一つが、そんな日常に妙な香りを持ち込んできた。 それは恋の匂いだったかもしれないし、ただの錯覚だったかもしれない。
朝イチの補正通知
机に無造作に置かれた一通の補正通知書。それは、前日に法務局へ提出した登記申請書に対するものだった。 「原因欄が空白です」と、冷たく赤字で書かれている。まったく、またやってしまった。 横からサトウさんがちらりと見て、深くため息をついた。こっちは朝から気が重い。
封筒の中の違和感
その通知には、添付書類の写しまで同封されていた。なぜか、提出した覚えのない手紙まで入っていたのだ。 便箋には、誰かの手によって丁寧に書かれた文章が並んでいる。内容は――恋文だった。 差出人の名前と、受取人の名前が、今回の登記の依頼人と一致していた。
サトウさんの冷たい一言
「封筒、間違えて提出したんですね」 はいはい、そういうことです。やれやれ、、、本当に情けない。 ただ、どうにも気になる。なぜこんなものが登記書類に紛れたのか。
登記原因と未記載の空欄
件の登記は、名義変更だった。名義人の母親が亡くなり、息子への相続による移転。 だが、登記原因の欄がぽっかり空いていた。記入漏れ――と思いきや、用紙に消した跡がある。 つまり、誰かがわざと原因欄を消した可能性がある。
依頼人の顔に浮かぶ赤面の理由
確認のため、依頼人に再来所してもらった。 「これ、提出されてましたけど……」と例の手紙を差し出すと、顔を真っ赤にして立ち上がった。 「え、え、それは……違うんです、あの、それは出すつもりじゃ……!」
戸籍の附票と古い恋文
登記原因を確認するため、戸籍の附票も再確認した。 そこには、かつて依頼人と一緒に住民登録していた、もう一人の女性の名前が残っていた。 彼女は相続人ではなかったが、その名は恋文の宛名と一致していた。
司法書士の勘違いは致命傷
思い込みで処理していたことに気づいた。 この案件、単純な相続登記ではなかった。被相続人の「遺贈」だったのだ。 想いを託した恋文は、その遺贈の証拠でもあった。
補正対象ではない補正欄
「訂正してください」と言われた欄には、法的には不要な一文が残っていた。 「この家は、あなたに託します。あの日の約束を覚えていますか?」 補正対象にすべきか、迷ったが、そのまま残すことにした。
やれやれと言いたくなる午後
やれやれ、、、午前中に三件の相談をこなしたあとでこれは重たい。 だが、不思議と嫌な気分ではなかった。 誰かの想いに、そっと法の印鑑を押す。そんな仕事も、たまにはいい。
サザエさん方式の推理開始
「あの恋文、登記原因と関係ありますよ」――サトウさんが言う。 「過去の遺贈意思があるなら、恋文自体が遺言とみなされる場合もあるかも」 なるほど、まるで波平さんが急に名探偵になったみたいな気分だった。
矛盾する日付とその意味
恋文の日付は、亡くなる三日前。戸籍の変動とぴったり一致している。 しかも、恋文には「司法書士さんにお願いしてね」と書かれていた。 ――つまり、この登記は恋の結晶だったのだ。
訂正の裏に隠された告白
消された登記原因は「贈与」と書かれていた形跡があった。 だが、それでは税が重くなる。だから相続に切り替えたのだろう。 そこに込められた、死にゆく人の最後の「想い」は、訂正できなかった。
真実に至る法定添付書類
最終的に、恋文を添付書類にすることは叶わなかった。 だが、その存在は依頼人の中で整理がついたようだった。 「やっぱり、あの人の気持ちをちゃんと受け取ってよかったです」
恋は補正できないという結論
法務局から無事に登記完了の連絡が届いた。補正も無事に通った。 しかし、心の中の補正は、まだ済んでいないのかもしれない。 恋というやつは、訂正印では消せないのだ。
サトウさんのため息と紅茶
「ロマンチックですね」とサトウさんが珍しく呟いた。 と思ったら、続けて「書類管理はしっかりしてください」と塩対応。 ああもう、恋も紅茶も苦い。
そしてシンドウの小さな逆転劇
その日、いつもより少しだけ早く帰宅できた。 夕陽を見ながら、なぜか胸がちくりとした。 やれやれ、、、もう少しだけ、この仕事を続けてみようと思った。