封筒を開けたら現金がそのまま──信頼と不安が入り混じる司法書士の日常

封筒を開けたら現金がそのまま──信頼と不安が入り混じる司法書士の日常

封筒を開けた瞬間、手が止まった

ある朝、事務所に届いた一通の封筒。いつものように書類か何かだろうと開けてみたら、そこにはなんと、そのままの状態で現金が入っていた。包み紙もホチキス止めもされておらず、封筒の中で小銭が踊っているような音すら聞こえた。思わず「えっ」と声が出てしまった。こういうとき、どう反応すればいいのか分からない。司法書士としてはひとりの人間としても困惑する瞬間だった。

現金がそのまま入っていた…?まさかの展開

依頼人から何かを送られてくること自体は珍しくない。登記費用の預り金や報酬など、現金を扱う職種だからこそ、取り扱いには特に神経を使っている。それなのに、まるで近所の八百屋さんにツケを返すような感じで、現金だけが無造作に入っている。この感覚、わかる人にはわかってもらえると思う。信用されているのか、軽んじられているのか、それともただの不注意なのか。真意は分からない。ただ、一瞬で胃の奥が重くなった。

手紙もメモもなし。不安と違和感の波

不思議なことに、封筒には手紙もメモも一切入っていなかった。ただ「はい、お金ね」と言わんばかりの現金のみ。どういう意図で送られてきたのか、こちらとしてはまったく読み取れない。「何に使う分か分からないお金」を預かる恐ろしさ。もし、金額が違ったら? もし、後で「そんなに払ってない」と言われたら? そんな不安が一気に押し寄せてくる。

「信頼されてる」と思う反面、責任の重みがのしかかる

こんなやり方でも、「先生にお任せしてるから」と言われたことが過去に何度もある。信頼してくれるのはありがたい。でもその信頼は、ときに無責任に感じてしまうこともある。こちらとしては「責任」という形でその信頼を抱え込むしかなく、逃げ場がない。封筒一枚が、こんなにも重たく感じる日が来るなんて、司法書士になった頃は想像もしなかった。

これは感謝か、怠慢か、ただの無頓着か

依頼人の行動の裏には、善意があるのかもしれない。でも、その善意は少し危なっかしい。送金の方法一つで、こちらの立場はぐらつく。仮に何か問題が起きたとき、誰が責任を取るのか。すべてがこちらにのしかかる。感謝の気持ちとして受け取るには、あまりにも無防備で、緊張感がなさすぎる。

現金書留ですらない普通封筒のリスク

せめて現金書留であれば、郵送中の保証があるし、こちらも記録として扱いやすい。だが今回の封筒は、ただの定型郵便。それだけでヒヤリとする。何かあったとき、証拠が残らないという怖さ。郵便局でトラブルが起きても、こちらにはどうすることもできない。たった数千円でも、大ごとになれば信用問題に発展しかねない。

相手の善意を信じたい自分と、冷静な職業意識

「あの人なら大丈夫だろう」という気持ちがよぎるたびに、自分の甘さを戒めるようにしている。司法書士という職業は、感情だけで動いてはいけない。でも、時々は信じたいという気持ちもある。人間だから。だからこそ、善意と現実の間で揺れてしまう。

司法書士の仕事は“人の信頼”でできている

最終的には、どれだけ契約書を整備しようが、信頼がなければ仕事は回らない。逆に、信頼があるからこそ、多少の不備や誤解も乗り越えられることがある。だけど、信頼ってそんなに単純じゃない。とくに「現金をポンと送ってくる」という信頼の仕方には、こっちのメンタルが追いつかないときがある。

けれど、それは想像以上に脆いときもある

信頼されているように見えて、実際は単に「面倒だから全部任せている」だけだった、なんてこともある。ちょっとした行き違いや勘違いで関係が壊れるのは、珍しくない。こちらは必死に説明しても、「でも、そっちが間違えたんでしょ?」の一言で終わってしまうこともある。信頼って、ガラス細工みたいだ。

一つ間違えばトラブルに直結する現場

司法書士の仕事には、ミスが許されない場面が山ほどある。だからこそ、たった一通の封筒でヒヤッとする。自分の判断一つでトラブルになるかならないかが決まる。責任感が強い人ほど、このプレッシャーでどんどん疲れていく。誰かに相談できればいいが、なかなかそんな相手もいない。

「誤解されないか」という恐怖と常に隣り合わせ

依頼人は司法書士を「堅実でミスのない専門家」として見てくる。けれど、それは神様でもなければ、機械でもない生身の人間にはしんどい期待でもある。ちょっとしたニュアンスの違いが、すぐ「誤解」になる。そして、その誤解が広がるスピードは、こちらが修正するスピードを簡単に追い越していく。

自分の名前で仕事をするということ

一国一城の主なんて聞こえはいいけれど、現実は違う。すべてが自分の看板、自分の責任。うまくいけば嬉しい。でも何かトラブルがあれば、そのすべてが自分に返ってくる。自分の名前で仕事をするって、孤独だ。毎日が孤独と責任の繰り返し。

すべての責任が自分に降りかかる孤独

事務員が一人いるとはいえ、最終判断を下すのは常に自分。判断ミスがあれば、それをカバーするのも自分。正直、逃げ場がない。この仕事を選んだのは自分だけど、最近はその選択が重く感じることも多い。寝る前に「明日何か起きませんように」と願うようになったのは、いつからだろう。

事務員には任せられない部分が多すぎる

事務員が優秀であっても、やはり任せられない領域がある。それが司法書士の仕事の特性だ。責任の所在がはっきりしている分、リスクもはっきりしている。だからこそ、すべてを抱え込んでしまう。そして気づけば、身体も心もすり減っている。

愚痴る相手もいない現実

同業者の集まりもあるにはある。でも、そこで弱音を吐くと「そんなの自業自得」と思われそうで、結局笑ってごまかしてしまう。家族もいない。恋人もいない。友達も、減った。夜のコンビニで買ったカップ麺を食べながら、誰にも言えない愚痴が溜まっていく。

「信頼されている」と喜べなくなった自分

信頼されているはずなのに、なぜか嬉しくない。むしろ、それが重荷になっているような感覚。こんな感情は、きっと誰にも説明できない。でも、同じように悩んでいる司法書士も、きっとどこかにいると思いたい。

いつからこんなにひねくれたんだろう

最初はもっと前向きだった。感謝されたら素直に喜べたし、「頑張ってよかった」と思えた。でも、期待されるほどプレッシャーも増える。やがて喜びが疲れに変わり、感謝の言葉よりも責任の重さに目が行くようになってしまった。

優しさで対応するほど、自分が削られていく感覚

依頼人の不安に寄り添えば寄り添うほど、こちらのメンタルが削られていく。やさしくすればするほど、次もその期待に応えなければいけなくなる。「そこまでしても報われない」という気持ちが、だんだん心を蝕んでいく。

「ありがとう」の言葉がないと空しさが残る

見返りが欲しいわけじゃない。でも、せめて一言「ありがとう」があれば救われる日もある。逆にそれがないと、「俺、何やってるんだろうな」とつぶやきたくなる夜がくる。

それでも、依頼人に嫌われたくない

どれだけ疲れても、どれだけつらくても、依頼人に嫌われるのはやっぱり怖い。嫌われたら、次の仕事はないかもしれない。評価が下がれば、噂が広がる。だから、どんなにしんどくても、笑顔だけは崩せない。

信頼の形は人それぞれ…それが難しい

人によって「信頼」の表現はまったく違う。書類をしっかり揃えてくる人もいれば、電話一本で全部任せる人もいる。どちらが良い悪いじゃない。でもその差に振り回される側の苦労は、なかなか分かってもらえない。

常識のズレは時にこちらを傷つける

封筒に現金を入れて送る、という感覚自体が、こちらからすると「非常識」に思えてしまう。でも、相手に悪気がないことも分かっている。そのズレが、こっちを静かに傷つける。責めるわけにもいかず、黙って受け入れる。それがまたしんどい。

でも、それを態度に出せない職業

司法書士は「冷静で、頼れる専門家」であるべきだと思われている。そのイメージがある限り、感情を表に出すことは難しい。だからこそ、どれだけ傷ついても、困惑しても、顔には出せない。結果、ストレスは内にこもりっぱなしになる。

今日もまた、誰にも言えないモヤモヤを抱えて

そして今日もまた、封筒を開けるたびにドキドキしながら、書類を揃え、登記を済ませ、電話を受ける。そんな毎日の繰り返し。報われた気はしない。でも、どこかで誰かが「助かりました」と思ってくれていれば、それだけが救いになる。

とりあえずやるしかない、という毎日

逃げたいと思う日もある。でも、逃げた先に何があるか分からない。だったら、やるしかない。自分の名前で仕事をしている以上、やるしかない。文句を言いながらも、愚痴を吐きながらも、今日もパソコンの前に座っている。

人の人生に関わる重みと、それに疲弊する日々

司法書士の仕事は、人の人生の節目に立ち会う仕事だ。だからこそ、やりがいもある。でもその分、責任も重い。その重さが、日々の生活のあらゆる場面にまで影を落としていく。心から笑える時間が、だんだん減ってきた。

それでも「逃げない」を選んでしまう性格

本当はもっと軽い仕事もあるだろう。もっと気楽な人生もあったかもしれない。でも、この仕事を「自分で選んだ」という事実だけが、今の自分を支えている。逃げたくなるときほど、「逃げない」ことを選んでしまう。それが、自分という人間なのだと思う。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。