月末になると胃が痛くなる司法書士の話

月末になると胃が痛くなる司法書士の話

月末が近づくと、なぜか胃が痛くなる

月末が近づくと、どうにも胃のあたりが重くなる。これは気のせいじゃない。毎月末、請求書を出す時期になると、数字と向き合うことに精神的な圧がかかるのだ。登記の処理や相続の案件、報酬の算定、全部ひとりで決めて、ひとりで出す。間違っていないか、相手にどう思われるか、そんなことばかり気にして、請求書の金額ひとつで自分の存在価値まで測ってしまう始末だ。

請求書という名のストレス

この仕事に慣れたはずなのに、月末の請求作業にはいつまでも慣れない。報酬額を記載するたび、「高すぎると思われないか」「内容と見合っているか」と不安になる。以前、ある依頼者から「思ったより高いですね」と言われてから、怖くて金額を下げがちになってしまった。そのくせ生活はギリギリ。まるで自分の価値を毎月査定されているような気持ちになる。

「金額を決める」のが一番苦手

「いくらにすれば納得してもらえるか」と悩むうちに、時間だけが過ぎていく。自分が納得できる報酬と、依頼者が感じる適正価格。そのあいだに揺れる気持ちが胃を締めつける。「先生の判断に任せます」と言われたときほど困ることはない。誰かに決めてもらいたいくらいだ。

感謝と報酬のバランスに悩む日々

「助かりました、本当にありがとうございます」と頭を下げられた翌日に、「請求書の額に驚いた」と言われたことがある。ありがたい言葉と、金銭の現実。それが一致しないとき、自分がどれだけ役に立てたのか、急に自信がなくなる。「ありがとう」と「お金」が噛み合わないと、心がバラバラになるような気がする。

通帳残高とにらめっこする午後

月末の午後、銀行口座を開いては眉をしかめる。今月もやりくりが苦しい。売上はあるのに、利益が少ない。事務所の家賃、光熱費、事務員さんの給料、保険料…。ひとつひとつは当然の支出だけど、自分の財布にはなかなか還元されない。独立したら儲かると思われがちだけど、実際はかなりの綱渡りだ。

事務所の家賃、事務員さんの給料、自分の生活費

事務員さんに給料を支払ったあと、自分の財布を見てため息をつく。事務員さんは悪くない。むしろ支えてくれていることに感謝している。でも、その責任が重くのしかかる。人を雇うとは、こういうことなのかと日々実感する。経営と生活、両立させるのは思っていたよりずっと難しい。

登記が終わっても、心は満たされない

登記が無事に終わり、完了通知が届いた瞬間、一瞬の安堵がある。でもそれはすぐに消えて、ぽっかりと心に穴が空く。やるべきことを終えた達成感よりも、次の案件への不安の方が大きくなる。いつの間にか、達成しても嬉しくない自分がいた。これが「慣れ」なのか、それとも「疲れ」なのか、自分でもよくわからない。

達成感より「空っぽ」の感覚

昔はひとつ登記を終えるたびに「よし、やったぞ」と思っていた。でも今は「次は何だっけ」とスケジュールに目を向けるばかり。達成感という感情を置き去りにして、ただ作業をこなしているような日々。まるで流れ作業のように感じてしまう瞬間がある。

帰り道の静けさが胸に染みる

仕事を終えて外に出ると、商店街はもうシャッターが閉まり、駅までの道もひっそりしている。ふと「今日も誰とも話さなかったな」と気づいて、胸の奥がチクリと痛む。静かな帰り道が、なぜか心をざわつかせるのだ。

誰にも見られていない努力のむなしさ

この仕事、誰かに褒められることは少ない。大きな成功も派手な成果もなく、毎日コツコツ積み重ねるだけ。だからこそ、誰かに「がんばってるね」と言われるだけで、泣きそうになる。見返りを求めているわけではない。でも、誰にも知られないまま終わっていく日々には、どうしても虚しさがついて回る。

「偉いね」と言われても実感がない

たまに親戚や知人から「司法書士ってすごいね」と言われる。でも、実際の生活は地味で、孤独で、責任ばかりが重い。自分のことをすごいなんて、到底思えない。むしろ、続けているだけで精一杯なのだ。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。