マスク越しのありがとうが沁みた日

マスク越しのありがとうが沁みた日

マスクの時代に生きる司法書士の一日

日々、事務所で書類と向き合いながら過ごしていると、人と接しているはずなのに、どこか機械的に感じる瞬間がある。特にマスクが当たり前になってからは、表情の大半が隠れてしまい、依頼者とのやりとりにも以前ほどの温かみが感じられなくなった。声もこもりがちで、伝えたいことがうまく届いていないのではと思うこともある。そんな状況が続くと、どこか心が乾いていく。忙しさに追われる日々の中で、私はすっかり「人の気持ち」を受け取る感度が鈍っていたのかもしれない。

声が届かない日々の中で

毎日、何件もの相談をこなしていると、どうしても流れ作業のような感覚になってしまう。依頼者の話に耳を傾けつつも、次の案件のことが頭をよぎる。以前なら目が合えば自然と笑顔で返していた場面でも、マスク越しではどんな顔をしているのか分からず、気づけば無表情のまま頷いている自分がいる。声も聞き取りにくく、「え?」と聞き返すことが増え、会話がぎこちなくなることも多い。心の距離が少しずつ離れていくような、そんな感覚に陥るのだ。

表情が読みづらいからこそ生まれるすれ違い

ある日、相続の相談で来られた年配の女性がいた。彼女はとても丁寧な言葉遣いで話してくれていたが、話の内容よりも表情の見えなさが気になってしまい、途中でつい淡々と対応してしまった。帰り際、彼女が少し寂しそうな目をしていたのを見て、しまったと思ったが、時すでに遅し。表情が見えないというだけで、こんなにも相手の気持ちに気づきにくくなるのかと痛感した。

「はい」か「いいえ」だけで回るように錯覚する世界

効率化を求めるあまり、「はい」「いいえ」だけで成り立つやりとりが正しいと思い込んでいた節がある。でも本当は、その合間の何気ない表情や、ため息ひとつにこそ、人の本音が隠れている。マスクがそれを覆い隠してしまうと、私たちは想像する力を失ってしまう。機械のように業務を回していても、感情を交わす機会が減ると、なぜこの仕事をしているのかさえ分からなくなる。そんな無味乾燥な日々が続いていた。

ある日ふと聞こえたありがとう

それは、いつものように登記の書類を受け取りに来た若い男性とのやりとりだった。彼とはそれほど深いやりとりはしておらず、事務的に済ませていた。しかし、最後に彼がふと発した「ありがとうございます、助かりました」という一言。それが妙に胸に沁みた。口元はマスクに隠れていたが、目が笑っていた。ああ、この人は本当に感謝してくれているのだと、じんわりと感じた。

声は小さくても心には響いた

その「ありがとう」は決して大きな声ではなかった。むしろ控えめで、聞き逃してもおかしくないほどだった。でも、なぜかその声が私の心にはっきりと残った。声のトーンや間の取り方、そして何より、その言葉を言うまでの沈黙が重かった。形式的な「ありがとうございます」ではなく、「本当に助かった」という気持ちがにじみ出ていたのだ。マスク越しでも、人の感情ってちゃんと伝わるんだと知った瞬間だった。

たった五文字でガラッと変わる気分

「ありがとう」という五文字が、これほどの破壊力を持つとは思わなかった。朝から書類のトラブル対応に追われ、昼ごはんも抜きでイライラしていたその日。その言葉を聞いた瞬間、すっと肩の力が抜けた。疲れていたのは身体だけでなく、きっと心もだったのだろう。誰かの一言で救われるという体験は、どんな自己啓発本よりも効く。そんな一言が、あまりに自然に、マスク越しに飛んできたことが、逆に印象深かった。

疲れの中に差し込んだ一筋の光

事務所に戻っても、彼の「ありがとう」が頭から離れなかった。どこかで忘れかけていた「人のために働いている」という感覚が、再び蘇ったような気がした。忙しさに押しつぶされそうな毎日の中で、それは確かに救いだった。私はその日、少しだけ残業を減らして、コンビニでプリンを買って帰った。甘いものを食べながら、なんとなく「明日も頑張ろう」と思えた。そういう小さな変化こそが、大きな救いなのだと思う。

誰かの何気ない一言に救われる

司法書士という仕事は、書類の山と人の想いの間に立つ仕事だ。どちらにも誠実であろうとすればするほど、自分の感情を抑えがちになる。愚痴が多くなるのも、その反動だろう。だけど、そんな自分に気づかせてくれるのは、いつも「他人の何気ない言葉」だったりする。誰かの優しさに、ふと立ち止まる瞬間がある。そのたびに、自分もまた誰かの役に立てているのだろうかと、自問自答するのだ。

愚痴ばかりだった自分に反省

最近は「忙しい」「疲れた」「どうせ報われない」と、口を開けば愚痴ばかりだった。そんな自分が情けない。あの「ありがとう」が沁みたのは、もしかすると、自分の中に人の声を受け止める余裕が残っていたからかもしれない。いや、まだ諦めきっていなかったというべきか。感謝されることで、ようやく自分の存在価値を再確認できるというのは、ちょっと情けない気もするが、今の正直な気持ちだ。

忙しさの中で忘れていた感謝の気持ち

こちらから「ありがとう」と言うことを、最近めっきり減らしていた。事務員にも、依頼者にも、家族にも。言わなくても分かってくれると思っていたのかもしれない。でもそれは、ただの怠慢だった。忙しいからこそ、言葉にして伝えないといけない。マスクで隠れてしまったのは、表情だけじゃなく、自分の本心だったのかもしれないと、少しだけ反省した。

ありがとうを言える人でありたい

あの日、彼から「ありがとう」をもらった私は、翌日、事務員に「いつもありがとう」と言ってみた。彼女は少し驚いた顔をした後、「こちらこそです」と笑ってくれた。なんだ、こんなに簡単なことだったんだ。たったそれだけのことで、職場の空気が柔らかくなった気がした。マスクがあっても、感謝は届くし、伝えられる。これからは、もっと意識して「ありがとう」を使っていこうと思う。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。





私が独立の時からお世話になっている会社さんです↓