静かなはずの職場で、なぜか心がざわつく朝
事務所のドアを開けると、誰もいない。パソコンの電源を入れる音だけがやけに響く。都会の喧騒を離れて、地方でひっそりと司法書士事務所を構えたのは、静かな環境を求めた結果だったはずなのに――気づけば、その「静けさ」が心を削ってくるようになった。満員電車で通っていた頃は、押し合いへし合いが嫌だったけど、それでも誰かと空間を共有している感覚があった。今は、広い部屋に一人。気配すらない。その事実に、知らぬ間に心がざわつく。
「誰もいない」という現実が、胸に重くのしかかる
とくに月曜の朝はきつい。週明けのはずなのに誰とも言葉を交わさないまま、コーヒーを淹れて、パソコンを開き、書類に向かう。誰も来ない電話、無反応のチャット、郵便受けも空っぽ。書類を打ちながら、「あれ、今日って祝日だっけ?」と本気で思う日もある。この静けさが、単なる環境の話ではなく、自分の存在が宙ぶらりんになっているような感覚に繋がることがある。まるで世界から取り残されているような、そんな気持ちが胸を締めつけてくる。
机の配置すら寂しさを増幅させる理由
一人分しか使われていないデスク。端っこに寄せられた事務員の机は、最近ほこりをかぶっていた。彼女が休みの日は特に、室内が広く感じて落ち着かない。人がいれば狭く感じるのに、いなければいないで、空白が妙に主張してくる。以前、模様替えをして「効率化」と称して机を壁際に寄せたことがあった。でもそれが逆に、孤独を際立たせる結果になった気がする。机の向きひとつでこんなに気分が変わるなんて、独り事務所歴10年目でようやく気づいた。
電話の鳴らない日=仕事がない日=不安な日
「静かで仕事が捗るでしょ?」とよく言われる。でも実際は違う。電話が鳴らない日は、書類も進まない。次の案件が来ないんじゃないか、経営が傾くんじゃないか――そんな不安が頭を占めて、手が止まる。誰もいない事務所で一人、焦りと空白を持て余す。そんな日は、音楽をかけても気が紛れない。唯一の会話相手がコンビニのレジ係だけ、なんて日も珍しくない。音がない=安心、ではない。司法書士という職業は、思っている以上に「人との関わり」で心のバランスを保っているんだと思う。
かつての満員電車に、ほんの少しのぬくもりを思い出す
都会で働いていた頃の通勤電車は、正直苦痛だった。押し込まれて身動きが取れず、他人のスマホが顔に当たることも。でも、あの密集には、妙な安心感があった気がする。誰かと一緒に「今を過ごしている」感覚。言葉は交わさなくても、存在の重みを感じられる空間だった。今の事務所にはそれがない。広くて静か。自由なはずなのに、妙に寒い。
押し込まれる苦しさより、孤独の方が耐えがたい時がある
たとえば満員電車で疲れても、オフィスで誰かと話せば少しは回復した。昼休みに何気ない話ができた。駅前のカフェに行くにも、行列に並んで「人の流れ」に自分を任せていた。あの無駄なようで実は大切だった「人混みの中の自分」という感覚が、今では遠い昔のように思える。孤独の中では、自分の存在すら曖昧になってくる。司法書士としての肩書きがあっても、それを確認してくれる人がいなければ、ふとした瞬間に「自分って何者だっけ?」と思ってしまう。
他人の気配が、意外と自分を支えていた
同僚のタイピング音、誰かがコーヒーを淹れる香り、会議室のドアが開く音――そんな些細な気配が、自分を「社会の中の一員」として実感させてくれていたことに、今さらながら気づく。今の事務所にはそれがない。静かで快適だけど、あまりに「無」だ。気配のない空間にいると、逆に神経がすり減る。特に忙しい時ほど、人の存在が支えになっていたのだと痛感する。
「誰かとすれ違うだけで少し救われてた」あの頃
朝、玄関で「おはようございます」とすれ違うだけの関係でも、救いになる時がある。エレベーターで一緒になる近隣オフィスの人、コンビニで顔を覚えてくれた店員、週末に行くクリーニング屋のおばちゃん。そういう「ちょっとした人間関係」が、知らず知らずのうちに、自分を社会につなぎとめていた。今、独立して一人事務所になって、その「誰かとすれ違うだけの関係」が失われたことの影響を、じわじわと感じている。
それでもまた、朝はやってくる
こんなふうに愚痴っぽくなってしまう日もあるけれど、結局はまた朝が来て、また机に向かって仕事が始まる。文句を言いながらも、やっぱりこの仕事が好きなんだろうと思う。誰にも会わない日でも、誰かのために登記をしている。書類の先にいる依頼者が、少しでも安心できるように。その思いだけで今日もまた、誰もいない事務所に足を踏み入れる。
孤独な司法書士でも、誰かに届く仕事がある
たとえ誰とも話さない一日でも、郵送した書類の向こうに「ありがとう」と思ってくれる誰かがいるかもしれない。面談のない依頼でも、その人の人生に関わっているという事実がある。そう思うことで、少しだけ気持ちが救われる。直接顔を合わせる機会が減っても、司法書士という仕事には「見えない相手を支える力」があると信じている。
見えない依頼者のために、今日も書類を綴る
ふと、誰の目にも触れないまま積み上がっていくファイルを見て、「これ、誰が感謝してくれるんだろう」と思うこともある。でも、そんな時こそ立ち返りたい。たとえ報われる実感が薄くても、誰かの人生に確実に関与している。トラブルを避けるための準備を整える。それが司法書士の役割であり、存在意義だ。だから今日も、誰の声も聞こえないまま、静かな事務所で書類を綴っている。
満員電車を横目に、誰もいない事務所へ向かう背中
通勤途中、駅のホームで見かける満員電車。かつてはあの中にいた自分。今はその横を通り抜け、誰もいない事務所へ向かう。静けさの中に不安を抱えながら、それでも仕事を続けていく。孤独に慣れるのではなく、孤独を抱えながらも、誰かのために生きていく。それが、今の自分にできる精一杯の仕事なのだと思う。