依頼人の話を聞いたときの違和感
最初はごく普通の相談でした。依頼人は、亡くなった親名義の不動産を相続し、名義変更の登記をしたいとのこと。戸籍も揃っていて、本人確認も済んでいたし、本人は「他の兄弟も納得していると思います」と自信満々。ただ、その「思います」という言葉に、なんとも言えない違和感が残りました。経験上、「思います」が出てくると、だいたい何かが起きます。案の定、後日「兄が反対していて…」という連絡。その瞬間、私は頭を抱えました。
本人はやる気満々なのに兄弟が出てくるパターン
こういうケース、たまにではなく、けっこうあります。依頼人自身は「これで話はまとまった」と思い込んでいるんだけど、実際には兄弟姉妹とちゃんと話がついていないパターンです。特に長男が健在で、自分が家を継いだつもりでいるケースなんかは厄介です。依頼人が次男や三男だと、「勝手なことするな」と兄から言われる構図になりやすい。こっちは法的な手続きを進める立場なのに、家族の感情の火種に巻き込まれる羽目になります。
遺産分割でもないのにややこしくなる家族関係
法定相続人が一人ならまだ話は早いのですが、複数人いると話が別です。しかも、今回は相続人全員の実印・印鑑証明を集める必要があったので、兄の協力が必須。でも、その兄が「ハンコは押さない」と言い出したんですね。理由を聞いても「納得がいかない」「気に入らない」と抽象的な表現ばかり。結局、法律ではどうにもできない“気持ち”の問題に、こちらが振り回されることになります。
まるで家庭裁判所の調停室にいるような気分
司法書士としての業務なのに、気づけば心理カウンセラーか調停委員のような対応を求められます。話を聞いて、間を取り持って、穏便に進めようと努力する。でも、当事者同士の根深い問題は、こちらの介入ではどうにもならない。結局「もう少し様子を見ましょうか」としか言えない無力感に包まれて、机の上の書類だけが残る午後。あの時の静けさが今も記憶に残っています。
なぜかこっちが疑われる空気感
さらに困るのが、兄弟の誰かがこちらに対して「何か裏で操作してるんじゃないか」と疑いの目を向けてくること。今回は兄の方から「お前もグルなんじゃないのか」と遠回しに言われました。なんでそうなるのか…理屈ではわかっていても、心がついていきません。公正中立な立場であるはずの司法書士が、いざこじれると火種扱いされてしまう。こういうときほど、自分の存在意義を見失いそうになります。
「司法書士が言えば兄も納得するはず」の圧
依頼人からは「兄にも説明してください」と言われます。でも、その“説明”が地雷なんです。家族に代わって説明を始めると、今度は「なぜお前が家のことを決めるのか」と火に油を注ぐ結果になる。私たちは法的な流れや必要書類の説明はできても、家族の感情や納得までは面倒見きれません。それでも「説得してくれませんか」とお願いされるたび、断る勇気も必要になります。
家族間の軋轢を外注されるつらさ
冷静に考えれば、これは家族の内部問題です。でも、司法書士に相談した時点で、解決の矛先をこっちに向けてくる。家族間のしこりを外注されてしまうような感覚です。専門職としてのスキルとは別に、「空気を読む力」や「人間関係の機微への配慮」が求められる。そんなの、法務局の試験勉強じゃ教えてくれなかった。心の中で何度もそうつぶやいてしまいます。
書類が揃っても進まない登記の現実
不動産登記の仕事は、形式的な部分だけを見ればシンプルです。必要書類を集めて、申請書を作成して、オンラインで申請。でも、現実は書類が揃っても進まない案件が多すぎる。今回のように、実印がもらえないだけで何も進まない。しかも、それを依頼人に説明しても「え?揃ってるのにダメなんですか?」と逆に驚かれることも多い。そこに現場のリアルがあります。
法的には問題なしでも実際には動かない
「法律上は問題ないんですけど…」という説明、何度したかわかりません。でも依頼人にとっては、それでは納得できない。法的には進められるのに、感情や現実の壁で動かない――それが司法書士の仕事の難しさでもあります。書類の正確さより、人間関係の摩擦の方がよっぽど強力なストッパーになる。それが毎日の業務で痛感する現実です。
印鑑を預かる文化とその危うさ
中には「兄の印鑑は母が預かってるから、それで押してもいいですか?」なんて無邪気に聞かれることも。もちろん即答でNG。でも、現場ではそうした“慣習”が普通のように流通していることがあり、そこに違法性やリスクを説明すると怪訝な顔をされる。「昔はそれで通った」と言われても、こちらは今の法律を守るしかない。その説明もまた、精神力を削られる瞬間です。
登記申請できる=解決じゃない
無理やり押し切って登記申請しても、兄弟間のしこりは残る。そして後から「そんな登記は無効だ」とゴタゴタが再燃するリスクもある。だからこそ、無理して進めることが正解じゃない場合も多い。なのに「早くして」とせっつかれる。依頼人の希望と現実の間で揺れながら、どこかでこちらの心もすり減っていくのです。
家族の問題と登記業務の板挟み
結局、家族のトラブルが司法書士業務に深く食い込んでくる案件は、精神的な疲弊がすさまじい。しかも、それに対する報酬は普通の登記案件と変わらない。むしろ、倍以上の手間と時間をかけて、同じ金額。そう考えると、虚しさだけが残ります。誰かの役には立っているはず。でも、感謝の言葉より「まだですか?」という催促の方が多いのが現実です。
「他人なのに当事者扱い」される苦しさ
私たちは専門職であって、家族ではない。なのに、感情のやりとりまで巻き込まれて、完全に当事者のように扱われる。説明の仕方一つで、「そっち側の人間だ」と誤解されることもある。そんなとき、自分の立ち位置がぐらついてしまう。いったい、どこまでが司法書士の仕事なんだろう?そう考える時間が増えていきます。
専門家としての線引きがどこまで通じるか
「私は中立です」といくら言っても、通じない相手には通じません。冷静に論理を重ねても、「兄の肩を持ってる」と思われたらそれまで。線引きをしたつもりでも、相手の主観では越境していることになってしまう。専門家としての役割と、対人関係のバランス。その両立が、司法書士の業務を難しくさせているのだと、改めて思います。
感情の着地を待つしかない非効率さ
結局、話が進むかどうかは、相手の感情の着地次第。法律でも技術でもなく、人の気持ちに左右される。そんな非効率な現場に、日々頭を抱えます。でも、それが現実。時間が解決してくれることを信じて、登記簿の空欄を見つめる午後。今日もまた、手が止まったままの案件にため息をついています。