答えが出せない日は自分に問いすら立てない

答えが出せない日は自分に問いすら立てない

答えが出せない日は自分に問いすら立てない

忙しさに理由をつけたくなる夜に

今日もまた、机の上には未処理の書類が山積みで、時計の針はとっくに終業時間を過ぎていた。ふと窓の外を見ると、商店街の明かりが消え始めていて「ああ、今日も終わったな」と、ひとりぼっちの業務終了を噛みしめる。なぜこんなにも忙しいのか。なぜこんなにも一人で抱えるのか。そんな問いに答えを出そうとするたび、どこか言い訳じみたものになっていく。忙しい理由を探しているうちは、まだ自分を責めたり、納得させたりしようとしている証拠なのかもしれない。

なぜこんなに追われているのか

正直なところ、全部自分で選んできたことだ。開業も一人事務所も、好きでやっているはずだった。けれど最近では、その「選んだ責任」によって押しつぶされそうになる。特に月末や相続案件のピーク時は、誰かの人生の節目に立ち会っている感覚が重くのしかかる。ありがたいことだとわかってはいる。けれどありがたいだけじゃ、体も心も持たない。

結局やる人がやるだけの話

昔、野球部でもそうだった。誰がグラウンド整備をするか、誰が道具を運ぶかなんて、結局やるやつがやる。部員が多かった頃は自然と役割分担ができたけど、少人数になるとその“やるやつ”が固定化されていく。今の仕事も同じで、頼まれごとは断れず、気づけば「なんでも屋」みたいな立場に落ち着いている。好きでやっているはずなのに、ふと「何やってるんだろう」と呟いてしまう。

予定を詰めても安心できない性格

手帳は常に埋まっている。けれどその中身が充実しているかと問われれば、首を縦には振れない。予定を入れないと不安になるのは、自分の存在が薄まっていく気がするからだ。だから空白があると、つい自分に課題を課す。でもそれって、結局は自分を追い込んでいるだけじゃないのか。わかっているのにやめられない。これもまた「理由を求める癖」が作り出した罠かもしれない。

事務員の存在に救われつつ

一人だけ雇っている事務員さんには頭が上がらない。自分の足りないところを補ってくれるのはちょっとした雑談に救われる日も多い。だけど、感謝を伝えるのも、時に照れ臭い。そんな自分の不器用さにも、嫌気が差すことがある。

感謝と遠慮の間で揺れる気持ち

昼食後に「これ、よかったら」とお菓子を差し出されたとき、素直に喜べばいいのに、「あ、ありがとう、でも太っちゃうな」と茶化してしまう。本当は「いつもありがとう」と言いたいだけなのに。感謝と遠慮が交差して、結局どちらも中途半端にしか伝えられない。言葉が足りない自分に、モヤモヤが募る。

自分の不器用さが目立つ瞬間

案件の進行で焦っているとき、事務員さんがミスをしてしまうことがある。本来なら穏やかにフォローすべき場面で、声のトーンが荒くなってしまうこともある。あとで謝って、謝られて、「いえいえ」とお互いに笑顔になるけど、自己嫌悪は消えない。不器用さが、事務所の空気にまで影を落とす。それが一番つらい。

元野球部の肩はまだ痛む

高校時代に痛めた肩は、今も梅雨時期になると鈍く重くなる。肉体の古傷と同じように、心にも痛みの記憶が残っている。肩の違和感があるたびに、無理して投げ続けたあの頃を思い出す。そして今、無理して働いている自分と重なって見える。

スポーツと士業の意外な共通点

スポーツは記録が残るが、士業の仕事は「ちゃんとやって当たり前」が前提になる。目に見える成果が残らない中で、自分の存在価値を測るのは難しい。試合に勝てば褒められた野球部時代とは違い、今は「何も起きないこと」が評価になる。その静かなプレッシャーが、地味にこたえる。

一人で守備範囲を広げすぎた結果

昔は外野をカバーするために、フェンス際まで走っていた。今もその癖が抜けず、頼まれごとは自分で背負いがち。結果、事務処理から顧客対応、経営管理まで、全部自分でやってしまう。「人に任せる勇気」もスキルのひとつだと頭ではわかっている。でも「自分がやった方が早い」と思ってしまう。その考えが、じわじわと首を絞めてくる。

チームプレイが難しい職業

司法書士という仕事は、基本的に「個」の力に依存している。最終責任は自分にあるし、判断も自分で下す。だからこそ、信頼できる相手と連携するのが難しい。誰かに任せたくても、最終的には「でも、俺がやるしかない」となってしまう。その繰り返しに、正直うんざりすることもある。

たまには問いをやめる日があってもいい

なぜ自分はこうなのか。なぜこんなに疲れているのか。そんな問いに向き合うことが多すぎると、心がすり減ってしまう。だからたまには、答えを探さず、ただ「そうなんだな」と思って終わりにしたい日もある。理由を求めないことで、逆に心が軽くなることもあるのだ。

答えが出ない時間が心を守ってくれる

湯船に浸かってぼーっとしているとき、なんの意味もないことを考えていたりする。洗濯機が止まる音、冷蔵庫の低い唸り声。そんな生活音の中にいると、ふと心がほどける気がする。問いを立てない時間が、唯一自分を許せる時間なのかもしれない。

休むことに理由はいらない

「なぜ休むのか」「何のために今この瞬間を止めるのか」そんなふうに考えてしまうのは、自分がどこかで“頑張り続けることが正義”だと思い込んでいるからだ。でも本当は、休むことに理由なんていらない。ただ疲れたから、でいい。その一言が言えるようになるまで、ずいぶん遠回りしてきた。

理屈より先に気持ちを認める

理屈では「自分は恵まれている」とわかっている。独立できたことも、仕事があることも。でも気持ちはそれと別で、「しんどい」「孤独だ」「なんかもう嫌だな」と思うときもある。それを認めるだけで、少しだけ救われることがある。人間なんだから、そういう日もある。それでいいんじゃないか。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。





私が独立の時からお世話になっている会社さんです↓