仕事帰りの公園で泣きたくなった夜

仕事帰りの公園で泣きたくなった夜

仕事帰りの公園で泣きたくなった夜

司法書士として働く孤独と現実

司法書士という仕事は、一見すると安定していて立派な職業に思われる。しかし、地方で個人事務所を構えていると、孤独な戦いが日常だ。事務員を一人雇ってはいるものの、業務の多くは自分自身で抱え込んでしまう。特に深夜、事務所にひとり残り、山積みになった書類と格闘していると、心細さが胸を締め付けることがある。「これを誰かに相談できたら」と思うが、結局誰に相談したところで解決にはならないのではないか、と考えてしまう。責任は自分にしかない。案件を処理する中で、気づけば愚痴も多くなる。「また今日も帰れないのか」とため息が漏れることも珍しくない。そんな現実と孤独の中で、ふと「自分は何をやっているんだろう」と虚しくなり、外の世界に出たくなる夜がある。

事務所に灯る明かりは自分だけ

夜遅くに窓の外を見ると、自分の事務所だけがぽつんと明かりを灯している。近所の店も家も、とっくに灯りを消し、静かに眠りについている中で、自分だけが孤立して働いているような気分になる。以前、ある依頼人が遅い時間に事務所の前を通りかかり、「先生、まだお仕事ですか」と声をかけてきたことがあった。そのとき、親切に見えたその言葉が、なぜか強烈に心を刺したのを覚えている。「いつも遅くまで働いてすごいですね」と言われても、それを喜びと感じることはほとんどない。むしろ、「どうしてこんな時間まで働いているんだろう」と自己嫌悪の種になってしまうのだ。周囲からは「仕事熱心」と思われるが、自分自身はただ孤独感を募らせるばかりである。

忙しさはやりがいとは限らない

司法書士として忙しく働くことが充実感ややりがいに繋がると考える人もいるが、現実はそう甘くない。忙しいことが必ずしも評価されるわけでもなく、仕事量が多いと小さなミスが増える危険性も高まる。特に、地方で事務所を運営していると、自分のミスがすぐに噂として広がる恐怖もある。野球部だった頃はチームで支え合い、勝利を分かち合ったが、司法書士の世界では基本的にすべて自分一人で完結させなければならない。誰にも助けてもらえないという重圧が、さらに忙しさを苦痛に変えていくことが多い。ふと時計を見たとき、真夜中を過ぎていることに気づくと、「自分はいつまでこんな生活を続けられるだろうか」と不安になる。忙しさは時に自分の心を削り、やりがいとは程遠い場所に自分を追い詰めることがあるのだ。

誰にも打ち明けられない弱音

弱音を吐く場所がないというのは辛い。相談相手もいないため、ただ愚痴を言っても問題の根本的な解決にはならない。それに、自分が司法書士として弱音を吐くことは、信頼を損なうのではないかという恐れもある。地方で個人事務所を営む立場としては、多少無理をしてでも毅然としていることが求められる。ある晩、過去のミスを引きずりながら書類をまとめていると、ふとした瞬間に涙が出そうになった。そのとき、誰にも言えない弱音を胸に溜め込みすぎていることに気づいた。学生時代、野球部で仲間と悩みを共有していたあの頃が懐かしく、余計に今の自分の孤独が浮き彫りになった瞬間だった。

公園のベンチが居場所になる瞬間

そんな孤独感に押しつぶされそうな時、ふと事務所を抜け出して近所の公園に足が向かう。公園は特に何があるわけでもなく、夜になると誰もいない静かな空間だ。しかし、その静かな場所が自分にとって貴重な居場所になる瞬間がある。ある晩、ベンチに座りぼんやり夜空を眺めていたら、思わず胸がいっぱいになり、涙がこぼれそうになった。「ここでなら泣いても許されるかもしれない」と思った瞬間だった。自分だけのために存在しているかのようなそのベンチが、不思議な安心感を与えてくれることに気づいた。それ以来、行き詰まったときは事務所を出て、この公園で少し心を休ませるようになった。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。