肩こりと独り言が増えたのは誰にも頼れない日が続いたからかもしれない

肩こりと独り言が増えたのは誰にも頼れない日が続いたからかもしれない

肩こりも独り言も増える日々が当たり前になっていた

ここ最近、ふとした瞬間に気づくことがある。あれ、また独り言を言ってたなって。自分では無意識なんだけど、書類に目を通しながら「これは違うな」とか「よし次いこう」とか、小声でつぶやいている。誰に言ってるんだろうなと思うけど、結局自分しかいない。肩も常に重たい。昔はこんなじゃなかった。朝起きた時点ですでに疲れてる感覚。肩こりも独り言も、自分の孤独と疲れがそのまま身体に出てるだけかもしれない。そう思ったとき、ちょっとだけ怖くなった。

朝起きるとすでに肩が重たい

40代も半ばにさしかかって、起き抜けから体がしんどい。肩が重くて、首も回りづらい。特別何かしたわけでもないのに、もう一日のスタートから「疲れたな」って感じる。若いころは多少無理しても翌朝にはスッキリしてた。でも今はそうはいかない。寝てる間に疲れが取れるどころか、溜まってるようにすら感じる。これが加齢なのか、はたまた過労なのか。たぶん両方なんだろう。枕の高さのせいにしてみたりするけど、本当は心の問題かもしれない。

一日中誰とも話さずに終わることもある

司法書士という仕事は、人と接する場面もあれば、ひたすら書類と向き合うだけの日もある。最近は後者の割合が増えてきた。事務員さんがいても、打ち合わせがない日は一言も会話しないことも珍しくない。そんな日が続くと、だんだん自分の中で「声を出す」ことが恋しくなってくる。不思議なもんで、誰にも話しかけられないと、勝手に自分に話しかけるようになるんだ。「よし、これで完了だ」とか、「あ、忘れてた」とか。寂しいとも違う、ただの確認作業が、いつしか独り言になっている。

独り言が増えるのは自分への報告なのか

「これは提出書類」「こっちは念のためコピーしとくか」なんてぶつぶつ言いながら作業してる自分に気づいたとき、なんだかおかしくなった。昔は頭の中だけで済んでたことが、今は声に出さないと落ち着かない。人に報告する習慣が減って、自分に言い聞かせてるような感覚。まるで上司のいない会社で、セルフ報告会でもしてるみたいだ。仕事は淡々とこなしてるつもりでも、心の中では不安や確認の連続。それを独り言が埋めているのかもしれない。

笑ってしまうほど誰にも聞かれていない

ある日、コンビニから戻ってきた事務員さんが不思議そうな顔で言った。「先生、さっき一人で笑ってました?」――ぎくっとした。完全に記憶にない。でもたぶん笑ってたんだろうな。ちょっとおかしな書類を見つけて、つい「これ誰が作ったんだよ…俺か」とか言いながら笑った記憶がある。気づけば、笑うのも、しゃべるのも、全部自分ひとり。誰かに見られてたと思うと恥ずかしいけど、それすらも「まあ、いいか」と流すようになってしまった。

頼る人がいないと身体も心もこわばる

自分で事務所をやっていると、どうしても「自分がやらなきゃ」という気持ちが強くなる。責任感ってやつだ。でも、それが過ぎると頼れなくなる。疲れていても弱音を吐かず、仕事が詰まっても手伝ってとは言えず、結局自分に全部返ってくる。その蓄積が、肩に、首に、口に、出ている気がする。甘えるって、そんなに悪いことなんだろうか。そう思っても、元野球部の根性論が染みついているのか、なかなか変えられない。

事務員さんに余計なことは言えない

事務員さんはとてもよく働いてくれている。でも彼女にプライベートな愚痴を言うわけにはいかない。もちろん仕事のミスや改善点は話すけど、それ以上は言葉を飲み込んでしまう。たとえば「最近ちょっとしんどくてさ」なんて言えたら楽になるのかもしれないけど、それはきっと言わないまま一日が終わる。頼れる存在が目の前にいても、立場がそれを許さないように感じるのがまたつらい。だから、つい独り言が増える。

元野球部の自分に甘えるのは恥ずかしいと思っていた

中学高校と野球部だった自分にとって、「甘える」というのは恥ずかしい行為だった。肩が痛くても、声を出して気合で乗り切るような精神論が当たり前だった。そんな自分が、大人になって、独り言で慰めを求めている。情けないようで、少し笑える。昔の自分が今の自分を見たら、苦笑いしながら「もっと頑張れよ」と言うかもしれない。でも今の自分は、そう簡単に「頑張れ」とは言えない。それが年齢であり、経験なのかもしれない。

一人で踏ん張ることが美徳とされがちな業界

司法書士という職業は、「個人事業主」的な要素が強く、どうしても孤独になりがちだ。クライアントには頼られ、関係者との連携もあるけれど、最終的に判断を下すのは自分。誰かと一緒に「迷い」を共有することが許されない空気すらある。だからみんな一人で抱えるし、一人で戦う。その美徳が自分を追い詰めることもある。誰かに「つらい」と言ってもいいのに、なぜか言えない。そうやって今日も、肩がこる。

だけど正直もうちょっと誰かに頼りたい

本音を言えば、誰かに「今日は無理かもしれない」と言いたい日もある。でもそれが言えないのが今の立場。独立して自由になったはずなのに、なぜか不自由になっている矛盾。最近はSNSで同業者の声を読んで、ほっとすることが増えた。「ああ、みんな同じなんだな」と思えるだけで、少し救われる。もうちょっと誰かに頼ってもいいのかもしれない。そう思えるようになったことが、少しだけ前に進んだ証拠かもしれない。

それでもやっていくために必要なもの

肩こりがひどくても、独り言が止まらなくても、仕事は続いていく。じゃあどうやってこれからを乗り越えるか。それは「ちゃんと自分の声に耳を傾けること」なのかもしれない。独り言は、自分のSOS。肩こりは、身体のブレーキサイン。無視し続けてきたツケが、今、目に見えて現れている。だからこそ、ちょっとだけ立ち止まって、自分を労ってみようと思う。

人とつながることを少しだけ恐れない

年齢を重ねると、新しいつながりを持つのが億劫になる。でも、それが独り言の増加や肩こりにつながっているのだとしたら。人との対話は、身体と心のこわばりを解いてくれる大きな鍵なのかもしれない。思い切って地元の司法書士会の勉強会に出てみたら、同じように悩んでいる人がたくさんいた。あのとき、行ってよかったと思った。少しずつでも、声を外に向けていこうと思う。

独り言が教えてくれた本音を見逃さない

「うわ、またミスったか」「これ、本当にこれでいいのか」そんな小さなつぶやきに、自分の本音が詰まっていることがある。独り言をなかったことにせず、ちゃんと拾い上げてあげる。すると、ちょっと自分のことを大切にできるようになる。誰にも聞かれていない声こそ、本当の自分の声かもしれない。肩こりも独り言も、単なる不調や癖じゃない。自分の内側からのメッセージなんだと思えば、少しずつ向き合い方も変わってくる。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。