今日は誰とも連絡を取らなかった日のこと

今日は誰とも連絡を取らなかった日のこと

静かすぎる一日が始まった

朝、いつものように事務所の鍵を開けた。パソコンの電源を入れ、電話機の受話器を持ち上げて確認する。通話履歴はゼロ。まあ、こんな日もあるさと自分に言い聞かせるけど、どこか物足りない。普段は煩わしいと思っている「連絡」というものが、ないと逆に自分の存在を疑い始める。まるで透明人間になったみたいだ。今日は事務員も有給でお休み。静かすぎる事務所に、椅子を引く音だけが妙に響いた。

電話が鳴らない朝に感じた不安

朝9時を過ぎても電話が鳴らないというのは、司法書士にとってはある意味異常事態だ。登記の相談、銀行からの連絡、不動産業者とのやりとり、何かしらあるはずなのに全く音沙汰なし。最初のうちは「今日は静かでラッキーだな」と思っていたが、次第にその静けさが不安に変わっていく。「本当に仕事、あるよな…?」と、手帳を確認しながらも心の奥で焦りが芽生える。まるで連絡が途絶えたことで、自分の存在価値まで否定されたような気持ちになる。

メールボックスの未読ゼロが突きつける現実

PCを開いてメールチェックをするのも習慣になっている。普段は広告メールやスパムすらも届くのに、今日は本当にゼロ。これが地味に効く。通知の赤いバッジが一つも点かないメールアプリを見て、思わずスマホを再起動してしまった。「バグかもしれない」と思いたかったのだろう。でも、現実は違った。誰からも、何の用事もない。それは事実だ。

本当に誰からも必要とされていないのかもしれない

普段の忙しさに文句ばかり言っているくせに、いざ何もないと不安で仕方がなくなる。こんなふうに一人きりで過ごすと、いやでも頭に浮かぶのは「自分って今、本当に必要とされてるのか?」という問い。たった一日連絡がないだけなのに、心は勝手に最悪の想像を始める。依頼が減っている、仕事が取れていない、誰も声をかけてくれない──全部、自分の責任のように思えてくる。

「何もない日」に浮かぶ過去の記憶

こんな日は、つい昔のことを思い出してしまう。特に、野球部だった高校時代のこと。毎日汗を流し、仲間と声を掛け合い、練習に打ち込んだ日々。あのころは、電話なんてなくても誰かが隣にいた。声を掛ければすぐに反応が返ってきた。それが当たり前だった。でも今は?誰とも話さずに一日が終わる。年齢を重ねるって、こういうことなんだろうか。

野球部時代の賑やかさとの落差

試合の前日、皆で食べに行ったラーメン屋の味がまだ舌に残っている気がする。あのころは「将来何になるんだ?」なんて笑いながら言い合っていたのに、まさかこんなにも孤独な仕事に就いているとは夢にも思っていなかった。司法書士としての仕事に誇りはあるけど、誰にも頼られず、声もかからず、ただ時間が過ぎていく一日を味わうと、何かがポキッと音を立てて折れたような気がした。

連絡がないことで気づく孤独の正体

独立してからというもの、孤独には慣れたつもりだった。誰も責任を取ってくれないし、誰もスケジュールを気にしてくれない。でも、今日のような「完全なる孤独」はまた違う種類の寂しさだった。仕事相手とさえも関わらない日。誰にも「お疲れさま」と言われない夜。そんな一日に直面して、改めて人とのつながりの重みを実感した。

事務員も有給で不在だった午後

唯一の事務員も今日はお休み。無理やりでも雑談していた昼食時間も、今日は自分一人のコンビニ飯。咀嚼の音だけが耳に残る。無音の事務所。誰かがそこにいてくれるというのは、それだけで気持ちが安定するんだと痛感する。口には出さないけど、彼女の存在は大きかったのかもしれない。

外出もないまま時計だけが進む

「今日は外出も予定もなし」そんな日は体も動かない。歩数計の数字はほとんど変わらない。気づけば時計の針は午後5時を過ぎていて、ただひたすらデスクに座り、存在しない誰かを待っていたような感覚になる。誰からも連絡がないと、自分が社会から切り離された気がして、重い空気が心に沈殿していく。

相談されない司法書士という存在

司法書士という職業は、基本的に「必要なときだけ頼まれる存在」だ。何かトラブルがあったとき、書類を作るとき、相続や登記のとき。逆を言えば、何もなければ思い出されることすらない。今日のような日は、その事実が胸に刺さる。必要とされてない日は、存在してないのと同じなんじゃないかと思えてくる。

ふと感じた「誰かと話したい」という衝動

人付き合いが得意なわけじゃない。でも今日は違った。誰かと話したい、声が聞きたい、ただそれだけを強く感じた。でも、スマホの連絡帳を開いても、誰にかけていいかわからない。変な気を使わせてもいけないし、かといってこちらの寂しさを押し付けるのも違う。結局、誰にも連絡できないまま画面を閉じた。

連絡を取る相手が思い浮かばなかった

昔はもう少しだけ、気軽に連絡できる相手がいた気がする。でも今は、その関係もいつの間にか消えていた。結婚して家庭を持った友人たちは、こんな時間に電話したら迷惑だろう。独身仲間も、きっとそれぞれの孤独に忙しい。気づけば、ただの知り合いリストになってしまったスマホの中に、今の自分の気持ちを受け止めてくれる相手はいなかった。

付き合いの薄さと年齢の現実

年を取るにつれて、友人関係はどんどん絞られていく。深くなるはずだったつながりも、忙しさや環境の違いで自然と薄れていく。何か用事がなければ連絡を取らない、そんな関係ばかりだ。気軽なLINEも、理由のない電話も、今では重く感じられる。この年齢になってからの「気軽なつながり」の難しさを、今日ほど痛感した日はなかった。

モテなかった過去と独身の現在

「女性にモテなかった」という事実は、今でも冗談のようにして話すことはあるけれど、内心では結構こたえている。結婚していたら、家に帰れば誰かがいたのかもしれない。今日みたいな日も「どうだった?」と聞いてくれる相手がいたかもしれない。そんな想像をしてしまうのは、やっぱりどこかで「独りであること」を寂しいと思っているからだ。

それでも今日を終える覚悟

誰からも連絡がなかった一日。でも、日が沈み、電気を消す時間になったら、また次の一日がやってくる。今日は誰とも話さなかった。けれど、明日はもしかしたら誰かと笑えるかもしれない。そんな淡い希望を胸に、今日をそっと終わらせる。孤独は確かに重たい。でも、同じように感じている誰かがいると思えば、少しだけ救われる気もする。

愚痴すら言う相手がいない夜

テレビをつけても笑えず、SNSを見ても心が動かない。結局、独り言のように「疲れたな」とつぶやくしかない。誰にも届かないその言葉が、空気の中に消えていく。せめて、事務員が明日来てくれるのが救いだ。自分の存在をちょっとでも確認できる相手がいるだけで、気持ちは違ってくる。

「また明日も頑張るしかないか」の一言

自分で選んだ仕事だ。独立したとき、覚悟したはずだった。でも、日々の中で、ふと足が止まりそうになるときもある。それでも、自分を支えるのは「また明日も頑張るしかないか」という一言。決して前向きではない。でも、その一言が今日を終わらせ、明日を始めるスイッチになる。

見えないところで誰かも同じ思いかもしれない

こんなふうに感じているのは、きっと自分だけじゃない。どこかで、同じように孤独な日を過ごしている誰かがいる。そう思えると、不思議と少しだけ心が軽くなる。声に出せない思いを抱えながら、それでも仕事を続ける仲間たちへ。今日も本当にお疲れさま。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。