趣味が仕事の話ばかりになってしまう日常

趣味が仕事の話ばかりになってしまう日常

趣味の話を振られても何も出てこない自分に気づく

「先生の趣味って何ですか?」と聞かれた瞬間、正直返答に困る。世間話の延長線での軽い質問のはずなのに、僕にはその問いが妙に重たくのしかかる。気の利いた答えも思い浮かばず、「ああ…特にないですね」と答えるしかない。自分の人生に「余白」がないことを、そういうときに痛感するのだ。かつては野球に夢中だったし、映画も好きだった。でも今はどうか。映画を観る時間すら「この時間で1件処理できたな」と頭をよぎる。趣味がないのではなく、趣味を持つ余裕すら失っているのかもしれない。

休日に何してるのと聞かれて詰まる瞬間

誰かと雑談していて「休みの日は何してるんですか?」と聞かれると、途端に言葉が止まる。実際、僕の休日は、請求書の整理や登記情報の確認、メール返信など「なんとなく仕事をしている」時間に埋め尽くされている。趣味というと、何か楽しくて夢中になれるもののはず。でも僕の休日は、強いて言えば「事務所にいない時間」くらいしか意味がない。自分の人生に「好きなこと」が何も残っていないという現実が、こういう会話の端々であらわになるのがつらい。

気づけば仕事の話ばかりしている

知人との食事でも、気づけば話しているのは業界の動向や不動産登記の変更点の話。最初は「今ちょっと面白い案件があってさ」と語り出してるんだけど、途中で「あ、これまた仕事の話になってるな」と気づく。でも他に話すことがない。高校野球の話も最近は追えてないし、新しい趣味も見つけられてない。仕事の話をやめると沈黙が生まれる。その沈黙に耐えられない自分もいる。

誰も興味がないのはわかってるけど止められない

登記の話なんて、正直誰も興味がないのはわかっている。でも、止まらない。自分の知っていること、自分の中に残っている熱量がそこしかないのだ。話しながら「ああ、またやってしまった」と思い、相手の表情がどんどん無表情になっていくのを見て自己嫌悪する。この繰り返しに、どこかで歯止めをかけなきゃと思うのに、それができない。

気晴らしすら仕事とつながってしまう

何気なく見ていたYouTubeでさえ、「司法書士 開業ノウハウ」「事務員教育のコツ」みたいな動画ばかりにたどり着いてしまう。気晴らしのつもりが、結局仕事につながっていく。意識的に検索してるわけじゃないのに、脳が「仕事に役立つ情報」を勝手に選んでいるような感覚がある。頭の中まで仕事に染まってしまっているのだ。

読書も資格の本 スマホも業務連絡

電車の中や寝る前の読書も、つい六法全書の改正箇所や不動産登記法の解説本ばかりを手に取ってしまう。何かを学んでいないと不安になる。スマホの通知も業者や士業仲間からのLINEが多くて、つい夜遅くまで対応してしまう。これが「生活」だと思っていたけれど、実は自分の首を絞めているだけなんじゃないかと思うこともある。

趣味に「生産性」を求める性分

元来まじめな性格で、何かに時間を割くなら「何かに役立つか」が気になってしまう。だからこそ、気ままに楽しむだけの趣味が続かない。「この時間を事務所のブログに使えば…」とか、「これ、仕事につながる?」と考えてしまい、すぐにやめてしまうのだ。「純粋に楽しいからやる」という感覚を、もう10年以上忘れている気がする。

リラックスと努力の境界が曖昧になる

「リラックスしなきゃ」と思って散歩に出かけても、気づけば「業務効率化について考えながら歩く」時間になっている。気持ちを切り替えようと思えば思うほど、逆に切り替えられない。努力してリラックスしようとしている時点で、もうそれはリラックスじゃないのかもしれない。

元野球部の名残も今はもう話題にならない

高校時代は野球部で、毎日汗を流していた。あの頃の仲間とは、卒業後しばらくは集まって草野球をしていたけど、いつしかそれもなくなった。最近では連絡も取らず、グループLINEも見る専。野球が好きだったことすら、今は話題に出す場がない。昔の話ばかりする自分になるのが嫌で、口にしないようになった。

体動かす時間もないし そもそも話す相手がいない

朝から晩まで事務所で作業。運動不足は自覚しているけど、夜にジムに行く気力も残っていない。何より、一緒に何かやる相手もいない。誘ってくれる人もいなければ、自分から動こうともしない。だからどんどん外の世界から遠ざかっていく。話題も人間関係も、仕事以外は止まったままだ。

昔の仲間とはライフスタイルが合わなくなった

既婚者になった友人たちは、家族中心の生活。僕が連絡しても、すぐには返ってこないし、会う予定を立てるのもひと苦労だ。時間が合わないだけじゃなく、話す内容も価値観も変わってしまっていて、居心地の悪さを感じてしまう。だから、もう連絡を控えるようになってしまった。

過去の自分と今の自分のギャップ

「将来はバリバリ働いて、かっこいい大人になる」と思っていた高校時代の自分。まさか、趣味も人間関係も縮こまった40代になるとは思っていなかった。独立開業して、自分の看板で仕事をしている今の姿は、ある意味で成功とも言える。でも、なんだか寂しい。肩書きや売上では埋められない「空白」が確かにある。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。