登記完了のメールが届くときの静かな喜び
日々の業務に追われながらも、登記が無事に終わったときだけは少しだけ心が軽くなる。あの「登記完了通知メール」が届いた瞬間、なんとも言えない達成感と安堵が胸を満たす。派手なガッツポーズもなければ、誰かに褒められるわけでもないけれど、それでもやっぱり特別な一瞬なのだ。静かな事務所で、パソコンの画面に表示される「完了」の文字を見るたび、あぁ今日もなんとか乗り切れたな、と小さなガッツポーズを心の中で決めている。
誰にも気づかれないけれど自分には大きな区切り
外から見ればただの業務連絡かもしれないが、こちらにとっては「一仕事終えた」という感覚がある。スポーツで言えば、守備でしっかりアウトを取ったようなもの。誰にも拍手されないが、確実に意味がある。特に登記内容が複雑だったり、依頼者とのやり取りが大変だった案件だと、なおさらこの通知は大きな区切りとなる。少し深呼吸して、次の案件へ向かう切り替えのスイッチになるのだ。
メールの通知音が鳴るたびに胸がざわつく
通知音が鳴ったとき、それが法務局からの完了メールかどうかで一日の気分が変わる。別の案件の催促メールだと肩を落とすが、「登記完了」の四文字があれば、それだけで気持ちが浮上する。たった一通のメールで感情が左右される自分に笑えてくることもあるが、それほどこの通知は自分にとって大きい。たとえ忙しくても、この一瞬だけは自分を労ってやりたくなる。
無事だったかと安堵するその一瞬が好き
完了通知が届いた瞬間、「ああ、ちゃんと通ってた」と心から安堵する。実は、提出したあとに「添付書類間違えてないよな」「受付番号は大丈夫だったか」と不安がぐるぐる回っている。そういう小さな不安が、完了通知一通で一気に吹き飛ぶ。それはまるで、野球でピンチの場面で三振を取った時のような気持ちだ。目立たなくても、自分にとっては誇れる瞬間なのだ。
事務員さんよりも先に気づいて確認するクセ
朝一番、パソコンの電源を入れて最初に確認するのは、法務局からのメール。うちの事務所では、私のほうがメールチェックが早い。事務員が出社してくる前に一人、コーヒー片手にメールを見て、完了通知があれば、心の中で小さくガッツポーズ。なんというか、昔の野球部で、朝練の前に素振りを終わらせておくような感覚に近い。
つい来たなとつぶやいてしまう朝の風景
静かな朝の事務所、私ひとり。プリンターの音も、キーボードを打つ音もまだない中、ポンと届いた完了メールに「来たな」と思わず声が漏れる。声に出して確認しないと実感がわかない。事務所の空気がほんの少し明るくなるような、そんな朝のルーティンになっている。日々の疲れや虚しさも、この瞬間だけは少し遠のいてくれる。
そこから次のタスクを再起動するルーティン
完了メールを確認したあとは、案件一覧を開いて次の作業に入る。登記が無事完了したことで一区切りつき、気持ちをリセットしやすくなる。これは私にとって「再起動ボタン」のような存在だ。気乗りしない案件があっても、前の仕事が終わったという実感があれば、また気を取り直して向き合える。小さな区切りだけど、大事な区切りなのだ。
完了メールが届かない日のそわそわ感
逆に、完了メールが予定より遅れていると、なんだか一日中そわそわしてしまう。頭では「まだ時間かかるかもな」とわかっていても、心は落ち着かない。作業中でも何度も受信ボックスを確認してしまう。これもまた、職業病みたいなものなのかもしれない。
電話もFAXも何も来ない
確認しても確認しても、法務局からは何の音沙汰もない。メールもなければ、電話もFAXも来ない。これはこれで不安になる。「変なところで止まってないよな」「補正とか来ないよな」などと、ついつい悪い想像をしてしまう。実際にはただの処理待ちだったりするのだが、それでも気になって仕方がないのが司法書士の性分だ。
依頼者からの連絡より先に知っていたい
依頼者から「もう完了しましたか」と先に聞かれるのは、なぜかちょっと悔しい。こちらとしては先回りして報告したいし、進捗を把握しておきたい。だからこそ完了メールが来ていないと、タイミングを逸してしまいそうで落ち着かない。ちょっとしたプライドかもしれないけど、それも含めてこの仕事へのこだわりだと思っている。
ミスしてないかと謎に自分を疑い出す
メールが遅れると「自分が何かミスしたのでは」と疑い始める。送信ボタンを押した記憶が曖昧だったり、添付したPDFが最新版だったか不安になったりする。過去のメールを見返したり、提出記録を再確認したりする時間が増える。その結果、「ちゃんとやってた」と安心するだけなのだが、それでも心配になるのが悲しい性。
それでもこの仕事が好きかと聞かれたら
愚痴も多いし、孤独もあるし、なにより女性にもモテない。それでも、完了通知が届いたときのあの感覚があるから、まだやれている気がする。たとえ誰にも気づかれなくても、自分の中で「やった」という感覚がある。その積み重ねだけで、日々を乗り切っているようなものだ。
完了した書類を並べる達成感
通知メールが届いたら、関連書類を整理してファイルに綴じる。整然と並んだファイルを見ていると、「今日もよくやった」と自分を褒めたくなる。人には言えないけれど、これはこれで充実感がある。仕事の成果が目に見えるというのは、心の支えになる。
そのメール一通の重みを知ってるから
他の人にとってはただのメールでも、自分にはその一通が大きい。無事完了したという証であり、自分のミスがなかったという確認でもある。その重みを知っているからこそ、メール一通に一喜一憂してしまう。効率的とは言えないけれど、それでも大事にしたい感情だ。
また明日もなんとかやれる気がしてくる
今日の完了通知が明日への希望になる。次の案件もやりきれるだろうという、根拠のない自信が湧いてくる。野球部時代、試合でヒットが一本出れば翌日も頑張れたように、今はこのメールがその一本になっている。どんなに疲れていても、あの通知があればまた立ち上がれる。それでいいのだと思っている。