終わらない申請始まらない恋心

終わらない申請始まらない恋心

申請は今日も終わらない

朝起きて、顔も洗わずにPCを開ける。それが最近の日課になっている。申請は待ってくれない。法務局のオンライン申請画面は、夜中だろうが早朝だろうが、無機質な青白い光を放ってこちらをにらんでいる。まるで「早く送れ」と無言の圧をかけてくるようだ。依頼人は申請が完了することを当然と思っていて、その裏にある苦労など知る由もない。だがそれを言い訳にするのは、きっと違うのだとも思う。

どこまでも続くオンライン申請の波

とにかく、手続きは波のように途切れない。完了の通知が来ると同時に、次の案件が舞い込んでくる。依頼人に「申請は簡単なんでしょ?」と言われたときは、返答に詰まってしまった。確かに数クリックで済むこともある。でも、その前後にある調査、確認、補正対応……それは誰にも見えない。まるで試合のスコアボードに残らないバントのような仕事ばかり。

締め切りに追われるたびに老けていく気がする

終わらない業務を前に、自分の顔が鏡の中で年々老けていくのを実感する。目の下のクマ、重たくなったまぶた、ぴんと伸びなくなった肩。特に繁忙期には、目の焦点が合わないまま仕事をしていることもある。昔、野球部の先輩に「体が資本だぞ」と言われたのを思い出す。今ならその言葉の重みが痛いほどわかる。

「これだけでいいです」と言った依頼人に限って山盛り

「これだけお願いします」──このセリフには何度泣かされただろうか。シンプルなはずの案件が、蓋を開ければ複雑な相続、抜け落ちた書類、名義の重なり…。結局、調整に数日かかり、土日返上で対応する羽目になる。「これだけ」という言葉に慣れてしまった自分もいるが、そのたびに「またか」と小さくため息がこぼれる。

土日も休めない田舎のリアル

地方都市というのは、便利なようで不便だ。顧客の距離は近いが、仕事の境界線は曖昧。土曜日の朝に「急ぎなんですが…」と電話が鳴る。気がつけばそのまま事務所で一日が終わる。日曜も午前中だけ…のつもりが夕方に。結局、週末の予定は白紙のまま、カレンダーだけが空しくページをめくる。

電話が鳴らない日が一番の休日

「休みがほしい」と思うようになったのは、事務所を開いて5年目くらいだったか。特別なレジャーをしたいわけじゃない。電話が鳴らない。依頼メールが来ない。それだけで、肩の荷がふっと軽くなる。温泉や観光より、静かな午前中のコーヒー。それが何よりの贅沢だと思えるようになった。

コンビニのコピー機の前で人生を考える

証明書を印刷するため、夜のコンビニに立ち寄ったときのこと。コピー機の音だけが静かに鳴る店内で、「俺、なにやってんだろうな」とつぶやいた。レジの店員がチラッと見たのが妙に恥ずかしかった。家族もいない、恋人もいない。40代の司法書士が一人、夜中にコピーを取ってる。それが現実なのだ。

恋愛は最初から始まらない

仕事にかまけていたら、いつの間にか恋愛が遠ざかっていた。いや、正確には「最初から何も始まっていなかった」が正しいのかもしれない。思い返してみても、誰かに本気で恋をした記憶がもうずいぶん昔のように感じる。情熱よりも、申請期限に意識が向いてしまうような生活。気づけば、心も少しずつ鈍っていた。

気がつけば十年単位で恋をしていない

恋愛ドラマを観ても、胸がキュンとしなくなった。20代のころは「俺にもチャンスがあるかも」なんて思っていた。でも今は、そのチャンスが何だったのかさえ思い出せない。恋をしていないというより、恋の仕方を忘れてしまったような気がする。もはや、誰かにときめく自分を想像できない。

女性と話すのは事務員さんと郵便局だけ

日常で女性と話す機会は限られている。事務員さんとは業務連絡、郵便局では書留のやりとり。それ以上の関係に発展する余地なんて、どこにもない。街コンやマッチングアプリという言葉にすら気後れしてしまう。「自分なんかが」と思ってしまう自分が、もうすっかり染み付いてしまっている。

相談は受けるが、恋愛相談はできない

司法書士という職業柄、人の話を聞くことには慣れている。不動産の悩み、相続の悩み、会社設立の不安…。でも、自分の悩みは誰にも相談できない。特に恋愛の話になると、なんとなく恥ずかしさが勝ってしまう。誰に話せばいい?そもそも何を話せばいい?言葉が出てこない。それが自分のリアルだ。

仕事に恋をしてるという言い訳

「俺は仕事が恋人だから」──そんなセリフを、冗談半分に言ってきた。でも、本当はただの言い訳だったのかもしれない。仕事に情熱がないわけじゃない。でも、それだけで人生を満たすのは難しい。目の前の書類が片付いても、心の空白は埋まらない。気づいたのは、年を重ねてからだった。

昔はそんな風に思えた日もあった

開業して間もないころは、やりがいで満ちていた。毎日が新鮮で、達成感があった。恋なんて二の次、仕事が楽しかった。でも、今は違う。慣れと疲労が入り混じった毎日。心から笑う瞬間が、どんどん減っているように感じる。あの頃の情熱はどこへ行ったのだろうか。

気づけば仕事も恋もどこか空虚

毎日申請をこなして、依頼に応えて、日報をまとめる。でも、何かが欠けている。夜、ふと手を止めたときに湧き上がる空虚感。申請は終わったのに、心が終わっていない感じ。恋がしたいわけじゃない、ただ誰かに「お疲れさま」と言ってもらいたいだけ。それがどれだけ難しいか、ようやく分かってきた。

それでも進まなきゃいけない日々

どれだけ孤独でも、どれだけしんどくても、申請は待ってくれないし、依頼は止まらない。結局、今日も画面の前に座って、書類と向き合う。逃げられない。でも、それでも何かを変えたいと、どこかで思っている自分もいる。それだけが、今の希望なのかもしれない。

たった一人の事務員の支えが大きい

愚痴も多いし、お互い不機嫌な日もある。それでも、彼女の存在は本当に大きい。ミスに気づいてくれたり、書類を整えてくれたり。当たり前になっているけど、当たり前じゃない。たった一人のスタッフに、どれだけ支えられてきたか、考えるとちょっと泣けてくる。

小言も多いが心の支えでもある

「先生、また書類が逆です」そう言われて、ムッとする日もある。でも、彼女がいなかったら、今ごろこの事務所は回っていない。厳しさの中にある優しさ。それが心のどこかに届いている。言葉では伝えられないが、いつも感謝している。

ありがとうが言えない不器用さ

「ありがとう」と言えばいい。でも、どうしても言えない。不器用だなと思う。でも、それが自分なのだ。口下手で、不格好で、でも誠実に生きているつもりだ。それだけは、胸を張って言いたい。

元野球部の根性だけでは持たない

野球部時代は、根性で乗り切れると思っていた。多少の痛みも、気合いで押し切った。でも、今は違う。心の痛みや孤独は、気合いではどうにもならない。逃げたくなる夜もある。だけど、それでも朝はやってくる。踏ん張るしかない。それが、今の自分の役割だ。

がむしゃらは通用しない世界

司法書士の世界は、繊細さと冷静さが求められる。がむしゃらに突っ込むだけでは、信用を失うだけだ。昔のように全力疾走しても、今は空回りするだけ。それを知っているからこそ、一歩ずつ。地味でも、丁寧に進むようにしている。

でも踏ん張るしかないと思える自分もいる

結局、誰にも頼れないとき、自分しかいない。泣き言を言っても、画面の申請は終わらない。だから今日も進む。書類と向き合い、依頼人と向き合い、自分と向き合う。その繰り返しの中に、少しずつ何かを見つけていくしかない。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。