確認しますが口癖になる

確認しますが口癖になる

確認しますが口癖になった日のこと

「確認します」って、最初は丁寧さのつもりだったんです。だけど、ある日ふと気づいたら、それが口癖になっていて、自分でもうんざりするほどでした。電話の後、お客さんの前、事務員とのやり取りの中。どんな時でも、とりあえず「確認します」と言って時間を稼ごうとしている自分がいたんです。司法書士という立場上、確認することは大事。でも、それが逃げ口上のようになっていたら本末転倒ですよね。

気づいたら毎日言っていた確認します

事務所を始めたばかりの頃は、何がわからないかもわからなくて、「確認します」は保険みたいなものでした。でも、年数が経ってからも、何かあるとすぐに「確認します」と言ってしまう。これはもう反射なんですよ。特に、お客さんがちょっとイラついていたり、質問が曖昧だったりすると、咄嗟に「確認します」と言ってしまう癖が出るんです。自信がないのか、責任を負うのが怖いのか…自分でもわからなくなる時があります。

相手を安心させるつもりが自分を追い込んでいた

「確認します」と言うことで、一見、誠実な対応に見えるかもしれません。でも実際には、相手に「この人、頼りないな」と思われるリスクもあるんですよね。しかも、自分自身に「ちゃんと調べなきゃ」「ミスは許されない」とプレッシャーをかけてしまう。結局、自分で自分の首を絞めている状態です。優しさや慎重さが裏目に出て、疲弊していく感覚って、司法書士あるあるなんじゃないでしょうか。

責任感と不安のバランスが壊れた瞬間

あるとき、依頼者から「それ、確認しないとわからないことですか?」と、少し呆れたように言われたことがありました。ハッとしましたよ。自分の不安からくる言葉が、相手に不安を与えてしまっていたんです。責任感と不安のバランスって、本当に難しい。慎重にやろうとするほど、判断が鈍くなっていく。そしていつの間にか「確認します」にすがっている。情けないけど、これが現実です。

事務員にも伝染する確認癖

事務所で一緒に働く事務員にも、この「確認します癖」がうつってしまいました。何か聞くと「えっと、それ確認してみますね」と返される。まるで鏡を見ているようでした。悪気があるわけじゃないんです。でも、私の姿勢がそのまま事務所の空気になっていたんですよね。ちょっとした相談にも即答できない雰囲気が漂い始めて、だんだんと仕事のスピードが落ちていくのを感じました。

一人が言い出すと事務所全体が確認します病

ある時期、「確認します」があまりに多すぎて、打ち合わせメモの半分が「確認中」になっていたことがあります。これはもう病気ですよ。「確認」って魔法の言葉じゃない。言えば言うほど、事務所が決断できない集団になってしまう。それに気づいたとき、慌てて方針を変えました。「とりあえず答えて、あとで補足する」くらいの勇気が、時には必要なんですよね。

言ってしまえば楽だからこそ危険

「確認します」って便利なんです。とっさの逃げ道として、安心できる。でも、それが楽だと感じた瞬間から、思考停止が始まる。依頼者の目を見て、真正面から「私はこう思います」と言う覚悟。それがないと、信用は築けません。だけど、それができない日もある。疲れてる日、落ち込んでる日、ミスしたくない日。だからこそ、意識してバランスを取らなきゃいけないんですよね。

誰も決断しなくなる空気の恐ろしさ

気づけば、「確認します」が合言葉のようになっていた我が事務所。でもその結果、誰も決断しない、進まない。ある種の麻痺状態です。司法書士というのは決断の連続です。書類一つ、説明一つ、すべてに責任が伴う。でも、それを恐れていたら前に進めない。確認ばかりしていては、信頼を勝ち取ることもできない。これは、私が身をもって体験した教訓です。

野球部時代の返事と今の確認の違い

高校時代、野球部で「ハイッ!」と返事して走っていた頃の自分を思い出すことがあります。あの頃は、間違っていてもとにかく即答が正義でした。でも、司法書士という職業は全く逆。即答すると危険、確認してからじゃないと話にならない。でもね、確認しすぎてもダメなんです。その微妙なさじ加減、未だに慣れません。昔の「ハイッ!」の勢いが、ちょっとだけ恋しい気もします。

昔は即答して怒られ 今は確認して疲れる

野球部では、間違っても怒られ、でも「返事がないのが一番ダメだ」と言われて育ちました。それが染みついていたのに、今の仕事では「すぐ答えるのは危ない」と言われる。このギャップ、なかなかしんどいです。即答は楽。でも、その楽さが命取りになるのが司法書士の世界。だからつい「確認します」に逃げる。反射的に。でも、それじゃあ野球部の監督に怒られるなぁ、って思うこともあります。

判断を避ける癖が染みつくと厄介

毎日「確認します」と言っていると、だんだん「判断しないこと」が自分の中で当たり前になってくる。これは非常に厄介です。判断力って筋肉みたいなもので、使わなければ衰える。あるとき、簡単な相談にも「うーん、それも確認します」と口にして、自分でもゾッとしました。判断できなくなる司法書士なんて、ただの事務屋です。それじゃダメだと、あらためて思い知らされました。

ミスを恐れる気持ちが言葉を奪う

「確認します」の裏には、常に「間違えたくない」という気持ちがあります。そりゃそうです、登記を間違えたら取り返しがつかない。でも、それが強すぎると、自信を持って話すことすら怖くなる。そうなると、依頼者も不安になるし、事務員も判断できなくなる。そして何より、自分がますます疲れていく。「ミスをしないこと」ではなく、「信頼を守ること」が本来の目的だったはずなのに、そこを忘れてしまうんです。

それでも確認は必要な仕事だから

結局、「確認します」は必要なんです。適当に答えて信用を失うよりは、慎重に確認する方が正しい。でも、確認に逃げない姿勢も持ちたい。日々の小さな判断、言葉の選び方、自信の持ち方。全部、少しずつでも磨いていかないと、司法書士という仕事は続けていけません。「確認します」が癖になる自分と、どう向き合うか。これが今の自分の課題であり、日々の戦いです。

いい加減な司法書士になりたくない

最終的に、私が「確認します」と言い続ける理由は、たった一つ。「いい加減な仕事はしたくない」からです。どんなに不器用でも、時間がかかっても、ちゃんと向き合いたい。依頼者の大切な人生の一部を預かっているわけですから。だけど、その丁寧さが「逃げ」にならないように、自分自身を律する必要がある。ここが一番難しいところですね。

信頼と慎重さのバランスをどう保つか

司法書士の仕事は、慎重さとスピード、信頼と柔軟性のバランスが問われます。その中で「確認します」は、武器にもなるし足枷にもなる。私たちはその両方を使いこなさなければなりません。「確認します」を言う前に、本当にそれが必要かを自問する。それだけでも、言葉の重みは変わってくる。そう感じるようになったのは、ずいぶん後のことでした。

優しさと弱さの境目を考える日々

私は多分、優しいと言われるタイプです。でも、それって時に「弱い」とも言い換えられる。確認ばかりするのは、その優しさの裏返しかもしれません。相手を思いやる気持ちと、自分を守りたい気持ち。その間で揺れながら、「確認します」とつぶやく毎日。だけど、これからは少しずつでも、「私はこう思います」と言える司法書士になっていきたい。そう思うようになりました。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。