余裕がない人に見える日

余裕がない人に見える日

気づけばいつも眉間にしわが寄っている

ある日、ふと鏡を見たとき、自分の表情に驚いた。眉間に深くしわが刻まれていて、それがまるでデフォルトの顔になっているようだった。忙しさにかまけて、自分の顔を意識する余裕すらなかったことに気づいた瞬間だった。自分では普通にしているつもりでも、周囲から見れば「機嫌が悪そう」「怖い」と思われていたかもしれない。それが積もり積もって、「どこか余裕がない人」という印象に繋がっていたのだろう。知らず知らずのうちに、人を遠ざけてしまっていたのかもしれない。

笑ってるつもりでも写真を見ると怖い顔

先日、事務員さんが撮った仕事中のスナップ写真を見せてくれた。自分では笑っているつもりだったが、どう見ても目が笑っていなかった。「これ、怖いですね」と本人に言われ、心の中で撃沈した。昔はもう少し柔らかい顔をしていた気がする。けれど、今は常に登記、相談、期限、確認のプレッシャー。意識しないうちに顔がこわばり、笑顔すらぎこちなくなっていた。これはもう、表情筋の問題というより、心の問題だと思った。

疲れが抜けないまま次の依頼

毎日が流れ作業のようで、昨日の疲れを引きずったまま次の日を迎えることが多い。若いころは徹夜明けでも何とかこなせていたが、今はそうはいかない。40代半ばを過ぎて、無理が効かなくなってきたのを実感する。なのに、依頼は待ってくれない。気力で乗り切るしかない日々が続くと、心に余裕などあるはずがない。だからこそ、何気ない一言にイラっとしてしまったり、小さなトラブルでパニックになったりするのだ。

深呼吸すら面倒に感じる朝

朝起きたとき、まず思うのが「今日もやることが多い」という焦り。深呼吸でもしてリラックスしようと試みるが、時間が気になってそれすら億劫になる。メールの返信、書類のチェック、役所との調整…そんなことを頭で繰り返しているうちに、結局、慌ただしく出勤してしまう。こんなスタートでは、どうしたって余裕があるようには見えない。自分でもわかっているけど、改善する気力すら湧かないのが本音だ。

「余裕がないですね」と言われた瞬間の衝撃

一番堪えたのは、事務員さんに「先生、最近ちょっと余裕なさそうですね」と言われたときだ。冗談まじりではあったが、思いのほかグサリと胸に刺さった。自分ではそれなりに頑張っているつもりだったし、ピリピリしないよう気をつけていたつもりだった。でも、周囲にはそう映っていなかったのだ。その瞬間、自分の振る舞いや態度が、誰かにストレスを与えていたかもしれないと気づいた。情けなさと申し訳なさでいっぱいになった。

事務員さんの何気ない一言にグサッとくる

長年一緒に働いているからこそ、事務員さんの言葉はズシンと響いた。信頼関係があるから遠慮なく言ってくれたのだと思う。けれど、それだけにダメージが大きかった。言葉には出さなかったが、「やっぱり自分はダメな人間なんじゃないか」という思いが頭をよぎる。いつからこんなに余裕がなくなったのか。どこで間違ったのか。そうやって自己否定が始まるのは、もはやお約束だ。

優しさに応えられない自分が嫌になる

忙しそうにしていると、事務員さんがそっとお茶を淹れてくれたり、気遣いの言葉をかけてくれたりする。でも、余裕がない自分はそれに素直に「ありがとう」と言えない。気持ちでは感謝しているのに、言葉が出ない。そしてあとで一人になってから後悔する。「ああ、また余裕のなさを出してしまった」と。こういう日が続くと、自分に嫌気がさしてくる。

言い返さなかったけど心の中では動揺していた

「余裕なさそうですね」の一言に対して、笑って「そう?」と流した自分。でも内心はかなり動揺していた。見抜かれていたこともショックだったし、何よりそれを否定できなかったことがつらかった。今の自分は本当にそうだ、と認めざるを得なかった。心の中では「余裕ってどうやったら戻るんだろう」と答えのない問いがぐるぐる回っていた。

一人で背負い込みすぎていたのかもしれない

気がつけば、何でもかんでも自分で処理しようとしていた。人に任せるより、自分でやった方が早いという癖が、ますます自分を追い詰める結果になっていたのだと思う。完璧主義だったわけではないが、責任感が強すぎたのかもしれない。それが余裕のなさを加速させ、疲弊のスパイラルから抜け出せなくなっていた。

誰かに任せる勇気が持てなかった

事務員に仕事を任せることもできるはずなのに、細かい確認まで自分でやってしまう。信頼していないわけではないが、責任を背負わせたくないという気持ちがある。けれど、それって逆に相手を信用していないことにもなるんじゃないか…と後になって気づくこともある。任せる勇気、それが今の自分に一番足りないものかもしれない。

「頼ること」が苦手な元野球部体質

高校時代、野球部で「人に迷惑をかけるな」と叩き込まれた。それが今も尾を引いているのだと思う。自主練、泥だらけのユニフォーム、声出し、根性論。あの時代の価値観が、自分の中に深く根付いている。「弱音を吐くな」「自分のことは自分でやれ」という精神が、今の働き方を決めてしまっているような気がする。

ミスが怖いから完璧主義に陥る

「先生に任せてよかったです」という言葉が嬉しい反面、それがプレッシャーになることもある。期待に応えたい、ミスは絶対に許されない、という思いが強すぎて、結果的に自分を苦しめている。完璧を目指すことは悪くない。でも、それが常に自分を追い詰める刃になっていたのだ。余裕を持つには、少し不完全でもいいと思える勇気が必要だと感じる。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。