一人で抱え込む毎日が当たり前になっていた
司法書士という仕事は、一見すると堅実で淡々と進むように思われがちだ。でも実際は、常に時間との勝負で、ミスが許されない世界。そんななかで事務員一人と二人三脚でやっていると、何もかもが自分の責任に思えてきて、知らぬ間に「全部自分でやらなきゃ」と思い込んでしまう。気づけば誰かに頼ることも、弱音を吐くことすら難しくなっていた。たまに家に帰っても、明日の準備が頭をよぎるばかりで、心が休まる暇がない。愚痴を言いたくても言える相手もおらず、ただ自分で自分を追い詰める日々。それが当たり前になっていた。
「なんとかなる」が口癖になっていた頃
忙しいときほど、自分に言い聞かせるように「なんとかなる」と口にしていた。でも実際には、なんとかなっていなかった。登記のミスは許されないし、依頼人の信頼を失えば、それは事務所の死活問題になる。そうやってプレッシャーが積み重なっていく。元野球部のプライドもあるのか、つい「自分は耐えられる」と思ってしまうのだ。肩にのしかかる重荷を、自分で降ろす方法すらわからなくなっていた。気づけば笑う回数も減っていた。机の前で溜息をつきながら、いつも「次の書類、間に合うかな」なんてことばかり考えていた。
頑張っても感謝されないという現実
この仕事、誰かが見ていて褒めてくれるわけじゃない。どれだけ夜遅くまで残って書類を仕上げても、「ありがとうございます」の一言もなく終わることなんて当たり前。むしろ少しでも遅れると文句が出る。責任がある立場だからこそ、結果がすべてだというのは分かってる。でも、心が折れる瞬間は確かにある。たとえば、休日返上で準備した登記が無事終わったとき、「もっと早くできなかったんですか?」って言われたことがあった。そのときは笑ってやり過ごしたけど、内心はズタボロだった。
事務員にすら気を遣ってしまう自分
雇っている事務員は一生懸命で、ミスも少ない。ただ、だからこそ余計に気を遣ってしまう。彼女にも生活があるし、定時で帰ってもらいたい。でも現場の状況は待ってくれない。結局、自分が残って仕事を片付けることが多い。そんな日が続くと、ふと「自分ってなんのためにやってるんだっけ」と思うようになる。誰にも頼れず、誰にも弱音を吐けない状態が続くと、仕事そのものへのモチベーションすら揺らいでしまう。そんな中、たまに漏れる「すみません、今日も残業で…」という言葉に、ますます自己嫌悪に陥っていった。
誰にも頼れないという思い込み
「一人でなんとかしなきゃ」と思い込むようになったのは、いつからだったか。多分、最初のころのミスで誰にも相談できず、怒られた経験が尾を引いていたのだろう。自分の判断で進めることが当たり前になると、逆に人に聞くことが怖くなる。それに、地方の小さな事務所だと、相談できる同業者も限られている。失敗を共有することで、「あいつダメだな」と思われるんじゃないかと不安になる。だからこそ、壁にぶつかっても黙って飲み込んでしまう癖がついていた。
「プロなんだから当たり前でしょ」と言われた一言
あるとき、登記の説明中に依頼人からこう言われた。「先生、プロなんだからそれくらい当然でしょ」。確かにその通りかもしれない。けれど、説明しても伝わらないもどかしさや、裏でどれだけの作業があるかは見えていない。たった一言が胸に刺さる。そんなときは、ただうなずいて「はい、もちろんです」と言うしかなかった。けれど、事務所に戻る途中の車の中では、ずっとその言葉が頭から離れず、ため息ばかりが出ていた。自分の努力が軽く扱われたような気がして、辛かった。
自分のキャパを自分で狭めていた
「頼られたい」「信頼されたい」という気持ちが強すぎると、逆に自分の限界を見せられなくなる。できるふりをして、なんでも引き受ける。そうやっていつの間にか、キャパオーバーになっていた。断ることが怖いのだ。実際、「無理です」と言った後に別の司法書士に依頼が移ったことがあった。それ以来、自分にできる限界を超えても受けてしまうようになった。でも本当は、それって長くは続かないやり方だ。心も体も持たない。そんなことにも、なかなか気づけなかった。
ある日、現場で声をかけてくれた人がいた
そんな自分に、転機となる出来事があった。ある日、現地調査のために土地家屋調査士と一緒に現場に行ったときのこと。そのとき初めて顔を合わせた人が、ふとした雑談の中で「先生って、大変ですよね。書類だけじゃなく人の気持ちも扱うから」と言ってくれた。その一言が、自分の中で何かを溶かした。理解されることって、こんなにも救われるんだと初めて実感した瞬間だった。助けてくれる人って、意外とすぐそばにいたのかもしれない。
あの依頼人のさりげない一言に救われた
登記相談の帰り際、年配の依頼人がぽつりと「先生、毎日こんなに人の話聞いて大変でしょう?」と笑いながら言ったことがある。そのとき、思わず涙が出そうになった。誰も気づかないような部分を、さらりと気づいて言ってくれる人がいる。それだけで、これまでの苦労が報われたような気がした。見返りなんてなくても、人って思いやりだけで立ち直れるときがあるんだなと思った。
「先生、大変ですよね」ってたったそれだけなのに
本当にそれだけの言葉。でも、心の奥に染み込んで離れなかった。何度も頭の中で繰り返しては、「ああ、自分は一人じゃなかったんだ」と思い返す。誰かに見てもらえていたというだけで、明日への力が湧いてきた。その日は帰りの車でひとり、コンビニの肉まんをかじりながら、久しぶりに空を見上げた。「たまにはこういう日があってもいいな」と、そう思えたことが嬉しかった。
同業者の何気ない共感の言葉
偶然、役所で同業の司法書士さんと並んで書類提出をしていたとき。「ここの登記官、ちょっと厳しいですよね」とぽつりと話しかけてきた。それだけの会話だったのに、やたら嬉しかったのを覚えている。普段は競合関係かもしれない。でも、それより先に同じ苦労を知っている仲間という感じがして、少し肩の力が抜けた。敵ばかりじゃない。共感してくれる人は、現場にちゃんといる。そう思えるだけで、心が軽くなった。
競争相手じゃなく、味方だった瞬間
ライバル意識って、悪くない。でも、そればかりが先行してしまうと、人間関係がどんどん孤独になっていく。同業者の一言で、ふと「敵じゃないんだな」と思えた瞬間、まるで長年の肩こりが取れたような感覚があった。お互いが同じ現場で戦ってる。だからこそ、時には助け合ったり、労ったりしてもいいはずだ。自分の中の視野が広がった出来事だった。