お金の話をした途端に空気が冷えるとき

お金の話をした途端に空気が冷えるとき

なぜお金の話をすると気まずくなるのか

司法書士として仕事をしていると、「お金の話をどのタイミングでするか」に神経を使う場面が多々あります。契約前に料金説明するのが当たり前なのに、こちらが報酬の話を持ち出すと、どこか空気がピリッとする。これは地方ならではの文化もあるのか、あまりに率直にお金の話をすると「がめつい」と思われてしまうこともあるのが厄介です。結果、遠回しに話すことになり、かえって不信感を招くという悪循環になりがちです。

依頼人との距離感に潜む壁

依頼人と信頼関係を築くのはもちろん大切ですが、その信頼が「お金の話を避ける理由」にはなりません。にもかかわらず、「金額の話をした瞬間に関係が崩れるんじゃないか」という恐怖が、正直、今でもあります。たとえば、相談が30分以上続いた後に「この相談は有料になります」と伝えると、急に目の色が変わる人もいる。あの瞬間の温度差、居たたまれなさ。わかってもらえない悔しさに、こちらが傷つくことも多いのです。

報酬は事前に伝えているのに嫌な顔をされる

何度も経験しているのが、「最初に説明していたのに、いざ請求したら不満を口にされる」というパターンです。書面にも残しているし、説明もした。にもかかわらず「そんなに高いとは思わなかった」と言われると、こちらとしては納得がいきません。報酬に関する説明は何重にもしているのに、最後に「感じが悪かった」と言われると、心が折れそうになります。誠実さって、何なんでしょうね。

無料相談と勘違いされることへのモヤモヤ

無料相談の多い分野と混同されることも、司法書士にはよくある話です。「ちょっとだけ話を聞いて」と言われて対応したものの、実は調査や判断が必要な案件だった、というケースも。こちらが専門知識を用いて助言しているにもかかわらず、それを「ただの会話」と受け取られることの虚しさ。知識には価値があるはずなのに、その価値を説明すると嫌な顔をされる。この矛盾と、ずっと向き合っています。

対価を伝えることがまるで罪のような感覚

「お金のことを口にする=悪いこと」そんな空気が、まだまだ根強く残っているように感じます。たとえば、報酬について話すと「そんなことよりまず相談を」とか「金の話はあとでいい」と遮られることもあります。こうなるともう、仕事というよりボランティアのような気持ちになります。もちろん助けたい気持ちはあるけれど、こちらにも生活があるし、仕事には責任もリスクも伴います。対価を語ることが罪になるような社会って、ちょっと疲れますよね。

優しさを見せた結果、損をする構造

自分が優しさを見せたときに限って、それが「値引きOKのサイン」になってしまうことも多いです。一度「今回は特別に…」なんて言ってしまうと、それが次も続いてしまう。結局、自分の優しさが自分を追い詰めることになるんです。元野球部時代の「我慢は美徳」みたいな精神が抜けきらず、つい無理してしまう。でも、それって結局、長く仕事を続ける上では損しかない。最近になってようやくそう思えるようになりました。

「お金に汚い人」というレッテルへの恐れ

報酬の説明をするとき、心のどこかで「この人、金にがめついな」と思われるのではないか、という恐怖があります。誠実に仕事をしているつもりでも、言い方ひとつで印象は変わってしまう。「説明が多い=押し売り」と受け取られることすらあります。でも、何も言わなければ誤解される。誤解を恐れて口を閉ざせば、自分を守れない。毎回この板挟みで疲れてしまいます。

誠実さと金銭のバランスの難しさ

司法書士の仕事は、依頼人の大事な人生の節目に関わることが多いです。だからこそ、誠実でありたいし、寄り添いたい。でも、報酬の話をしなければ経営が成り立たない。それなのに、「誠実さ」と「お金」の話は相反するもののように扱われることが多く、悩ましい限りです。時には「人助けでやってるんでしょ?」とまで言われて、心が折れそうになります。誰かの役に立ちたい。でも、生活もある。そのあいだで、いつも葛藤しています。

言葉を濁すことで逆に信頼を失う paradox

はっきり言うと角が立つ、でも曖昧にすると後から「聞いてない」と言われる。このジレンマには何度も悩まされてきました。結局、言葉を選びすぎて要点が伝わらず、「あの人は何を言いたいのかわからない」と思われてしまったこともあります。司法書士は、言葉の専門職でもあるはずなのに、その言葉の使い方で信頼を損ねることがある。これほど皮肉なことはありません。

堂々と説明してもなぜか「がめつい」印象に

逆に、しっかり資料を作って丁寧に説明したら、「なんか営業っぽい」と言われたこともあります。やってることは誠実そのもののつもりだったのに、それが裏目に出る。このあたり、本当に難しいです。「説明が過ぎてもダメ、足りなくてもダメ」って、どうしたらちょうど良くなるんでしょうか。自分でもいまだに正解が分かりません。

結局誰のために働いてるのか分からなくなる瞬間

報酬の話題で誤解されたとき、「じゃあ自分は誰のために仕事をしてるんだ?」という疑問が湧いてきます。依頼人のため?社会のため?もちろんそれもあります。でも、自分の生活のため、将来のために働いているという一番シンプルな理由が、なぜか「言ってはいけないこと」になってしまうことに、虚しさを感じます。自分が大切にされていない感覚。それは少しずつ心を蝕んでいきます。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。