朝の静けさに耐えられない日がある
朝7時。目覚まし時計が鳴る前に目が覚める。窓を開けると、鳥の声と風の音しか聞こえない。地方の司法書士事務所で働く私は、毎朝この静けさに包まれて一日が始まる。けれど、時にはこの静けさがやけに重く感じる。孤独が体にまとわりついてくるような、そんな朝がある。ラジオのスイッチに手を伸ばしても、聴きたい番組はもう終わっている。朝の始まりが、むしろ終わりに感じることすらある。
カーテンを開けた瞬間の虚無
以前は朝日を見るのが好きだった。だが最近は、カーテンの向こうに広がる光がまぶしいというより、現実を突きつけられるようで怖くなっている。まるで「今日もまた一人で頑張れ」と言われている気がするのだ。元野球部でチームで動くことが当たり前だった私には、この「一人で始まる一日」がどうにも苦手だ。
ラジオも鳴らない朝の事務所
事務所に着いても、誰もいない。事務員の彼女が出勤するまでは、私一人の時間が続く。スイッチ一つで事務所は明るくなるが、それと比例するように胸の中はどこか冷めたままだ。BGM代わりに流しているラジオも、今日は妙にうるさく感じる。結局、電源を切った。
元野球部だった頃の仲間が恋しい
高校時代、仲間と汗まみれになって白球を追いかけていた頃。負けた悔しさも、勝った喜びも、いつだって誰かと分かち合っていた。あの頃は「一人でやる」なんて想像もつかなかった。士業という職業に進んだのは自分の選択だ。でも、たまに無性にあのベンチの雑談や、グラウンドの泥臭い会話が恋しくなる。
コーヒーを入れても満たされない
朝のコーヒーは、もはや味ではなく習慣になっている。豆から挽くのがこだわりだったが、最近はインスタントでもいいやと思う自分がいる。湯気の立ち上るカップを見ても、心が温かくなることはない。ルーティンで何とか気を保っているだけ。そう思うと、自分がまるでロボットのように感じられる瞬間がある。
仕事前のルーティンが逆にしんどい
スケジュール帳を開く、メールを確認する、電話を一本かける。その一つ一つが、なぜか最近は重く感じる。以前は「段取りが好きなタイプ」だったはずなのに、今はそれが義務に変わってしまった。何のためにやっているのか、自問してしまう瞬間が増えた。
事務員の出社時間が待ち遠しい
朝9時、事務員がやってくるとホッとする。「おはようございます」と言われるだけで、自分の存在が肯定されたような気持ちになる。たった一人のスタッフだが、彼女がいることが私にとってどれだけ大きいかは、本人にはとても言えない。
士業という肩書きが重く感じる瞬間
「先生」と呼ばれるたびに、少し背筋が伸びる。そう呼ばれることに慣れているはずなのに、今でもどこか気恥ずかしさがある。その呼び方に見合う人間なのか、ふと自信をなくすこともある。責任が増すばかりで、逃げ道のない場所にいるような錯覚すら覚える。
「先生」と呼ばれるたびに身構える
スーパーで偶然依頼人と出会い、「あ、先生」と呼ばれたときのことがある。その瞬間、普段着でいた自分が恥ずかしくなった。相手にとっては敬意のつもりなのだろうが、こちらには少しプレッシャーになる。「完璧でいなきゃ」という鎧を着させられる感覚。それが日常の疲れをさらに増幅させる。
本当に頼られているのかという不安
相談に来る人たちの中には、明らかに不安そうな人もいる。私が少しでもミスをすれば、その不安が現実になってしまう。そのプレッシャーに潰されそうになる夜もある。本当にこの人の役に立っているのか、自分を信じてくれているのかと、堂々巡りの思考から抜け出せなくなる。
責任だけが積み上がっていく
業務が終わるたびに「これでよかったのか」と心の中で確認する。誰にも褒められない仕事だ。失敗が許されない世界で、成功は「当然」とされる。だから責任だけが積み上がっていく。ときどき、ただの「手続き屋さん」になってしまったような虚しさが押し寄せる。
「独立しててすごいね」の言葉が刺さる
友人に久々に会ったとき、「独立しててすごいね」と言われた。その一言が刺さった。独立=自由と思っているのかもしれない。でも実際は、自由の代わりに孤独と責任がセットでついてくる。休みも自由に取れる?いや、取れない。気持ちの余裕がないからだ。
すごくなんてない ただ一人でやってるだけ
正直なところ、「すごい」という言葉は少し空しい。一人でやるということは、すごさよりも地道さが求められる。帳簿のチェック、請求書の処理、突発の相談。どれも派手さはない。でも、これが現実。私は今日も、誰にも見えないところで一人でやっているだけなのだ。
他人の期待が怖くなる日もある
「先生なら何とかしてくれる」と言われることがある。嬉しい反面、それが怖い日もある。完璧な対応ができなかったら?ミスをしたら?その恐怖は、夜中に突然やってきて眠れなくさせる。人の人生に関わる以上、逃げたくても逃げられない。だからこそ、他人の期待に対して心が疲れてしまうのだ。