初めての補正通知は突然に
それは何の変哲もない、いつも通りの火曜日の午前中でした。朝イチで届いた登記申請書類を一通り確認して、事務員さんと「今日は比較的静かだね」なんて話をしていた矢先。スマホに見慣れない番号からの着信が入りました。法務局という表示はなく、ただの市外局番付きの番号。なんとなく嫌な予感がして、少し躊躇しながらも電話を取りました。電話の向こうで聞こえた「補正のご連絡です」という一言に、背筋が一気に凍りつきました。あの日から、登記という仕事に対する見方がほんの少し変わりました。
普段通りの業務のはずだった
その日は、特別に難しい案件があったわけでもありません。定型的な所有権移転の登記申請で、資料も揃っており、何度も同じような案件を処理してきた自信もありました。事務所の空気はのんびりしていて、今日は少し早く帰れるかも、なんて淡い期待さえ抱いていました。まさか、そののんびりムードが一変することになるとは、夢にも思っていませんでした。
法務局からの電話に嫌な予感
司法書士をやっていると、電話の音にも敏感になります。特に、非通知や見慣れない市外局番からの着信には「何かあったのか?」と身構えるクセがついています。今回も、その第六感は当たってしまいました。「○○法務局の××です。補正の件でお電話しました」…もうその時点で、胃のあたりがズーンと重くなるのがわかりました。
見慣れない番号に出るか迷う心境
一瞬、出るのをためらいました。出たら何か面倒なことが起きる気がしたからです。けれど出なかったら、事務員さんが代わりに出ることになるかもしれない。そう思ってしぶしぶ受話器を取りましたが、できることならそのまま時を巻き戻したかったです。自分の書類にミスがあるかもしれない…そんな恐怖とともに、脳内で「いや、ちゃんとやったはず」と反論する自分もいて、頭の中はごちゃごちゃでした。
書類に朱書きされたあの赤ペン地獄
その後、補正内容を確認するためにFAXで送られてきた書類を見た瞬間、軽く目まいがしました。朱書きの文字が赤々と記されており、「記載不備」「確認資料不足」「日付の相違」…と、細かな指摘がびっしり。まるで赤点の答案用紙を突き返された高校時代の悪夢が蘇るような気分でした。元野球部のくせにメンタル弱いなと、自分でも思いましたが、それでもやっぱりショックは大きかったです。
「補正してください」の破壊力
「補正してください。」たったそれだけの文言ですが、司法書士にとってはズドンとくる一言です。間違えた自分が悪い、でもどこがどう悪かったのか、何度読み返しても最初は理解できませんでした。あれこれ書き直しても、どこか腑に落ちない。たった一行の修正なのに、全身から冷や汗が止まりませんでした。
自分の何が間違っていたのか分からない恐怖
補正の原因が明確ならまだ救われます。でも、「これ何がダメだったの?」と首をかしげるような指摘ほど、じわじわと精神的に来るんです。特に、自分では完璧に処理したと思っていた案件だったので、自信が粉々に砕かれた気がしました。事務所で一人、FAXを片手にぼんやりと座り込んでしまったのを今でも覚えています。
恥ずかしさと焦りと悔しさと
補正通知を受けたことで、まず最初に襲ってきたのは「恥ずかしさ」でした。次に「焦り」、そして「悔しさ」。ああ、自分はまだまだ未熟だ。そう痛感させられた出来事でした。でも、そんな感情と向き合うことで、少しずつ気持ちの整理ができていったような気もしています。
補正に駆け込んだ昼休みの法務局
その日の昼休み、急いで書類を修正して法務局に駆け込みました。窓口で手続き中の人たちの視線が、なんとなく「この人、補正か…」という目に見えてしまい、ますます肩身が狭く感じました。まるで公開処刑のような恥ずかしさ。でも、これも仕事の一部なんだと自分に言い聞かせて、なんとか修正を済ませました。
あのときの窓口の冷たい視線が忘れられない
窓口の担当者の表情は無表情。でも、なぜかこちらが恐縮しすぎて、勝手に冷たく感じてしまうんですよね。多分、向こうは淡々と仕事をしているだけなのに、「またこの人か」と思われているような気がしてしまう。自意識過剰なのはわかってます。でも、そのときの居心地の悪さは、未だに鮮明に記憶に残っています。
一人事務所のつらさが身に染みる
補正通知を受けたあと、気持ちを立て直すのに少し時間がかかりました。相談する相手もいないし、誰かに愚痴ることもできない。事務員さんには申し訳なくてミスを言い出せず、一人で引きずるしかありませんでした。独立して自由なはずなのに、こういうときは逆に孤独を痛感します。
誰にもミスを相談できない不安
昔の勤務時代なら、先輩司法書士に「これどう思います?」って軽く聞けたのに、今はそうもいかない。電話一本で済むはずなのに、それすらためらってしまう自分がいました。こんな時こそ、横のつながりの大切さを実感しました。でも、自分から連絡をとるのって、案外難しいものですね。
補正通知の真の意味を知った日
あの補正通知がきっかけで、自分の中で登記業務への姿勢が少し変わりました。ただの「ダメ出し」じゃない。もっと正確に、もっと丁寧にと促してくれる、ある意味ありがたい指摘なのだと気づけたのは、時間がたってからのことです。悔しさが落ち着いた頃に、ようやくそう思えるようになりました。
ダメ出しではなく改善のチャンスだった
指摘をされるとつい凹んでしまいますが、裏を返せば「ここを直せばもっと良くなる」というメッセージ。最初は全否定されたような気がして落ち込みましたが、書類を見直すうちに「これは確かにまずかったな」と冷静に反省することができました。今では、補正はむしろ成長のチャンスだと感じています。
見方を変えると成長のきっかけに
補正通知が怖くなくなる日はきっと来ません。でも、「また一歩前に進むための機会だ」と思えるようになっただけでも、自分としては大きな変化です。ネガティブな出来事も、見方を変えるだけで自分の糧になる。そう思えるようになったのは、この歳になってからかもしれません。
一度間違えたからこそ身についたこと
補正された項目は、今でも書類作成時に必ず注意するようになりました。一度やらかした箇所って、妙に頭に残るんですよね。おかげで、同じような案件が来るたびに慎重になれます。あの日のミスは、今の自分の武器のひとつになっているとすら思います。
次から絶対にやらかさないと思える理由
正直なところ、また同じことをやらかしたらどうしようという不安は常にあります。でも、それ以上に「二度と同じ失敗は繰り返さない」という意識が強く働くようになりました。経験は最高の教師。補正通知は、その証明でもあると思っています。