遺言執行で銀行に通い詰めた日々に疲れ果てた話

遺言執行で銀行に通い詰めた日々に疲れ果てた話

遺言執行ってこんなに手間がかかるのか

遺言執行というと、一見すっきりと書類を整えて、関係者に説明して、はい完了──というイメージがあるかもしれません。しかし実際は、そんな理想からは程遠く、特に銀行とのやり取りには予想以上に労力を奪われます。ある遺言執行案件で、私は同じ銀行の支店に何度も通う羽目になりました。正直なところ、司法書士として慣れているつもりだったのですが、毎回ちがう担当者、毎回ちがう指摘、そして終わらない確認作業。足を運ぶたびに「またこれか…」という溜息が出てしまいました。

期待していたよりもずっと面倒だった

最初に書類を整えて提出した時、「これでだいたい大丈夫でしょう」と担当者に言われて安心していたんです。ところが後日、「本店の確認が必要です」とのことで再訪。そこでまた別の人に違うことを言われ、結局もう一度出直し。あれよあれよという間に三度、四度と通うことに。そもそも預金の払戻し一つでここまで苦労するとは思いませんでした。「遺言書があるならスムーズ」と言われていたのは、どこの誰の話なんでしょうか。

書類が揃っても終わらない

こちらは登記事項証明書も印鑑証明書も戸籍も揃えて万全のつもり。でも、いざ提出すると「こちらの用紙に記入してもらわないと」とか、「本部に確認が必要ですので数日お待ちください」と言われて、手続きが止まる。書類は揃っていても、銀行の「都合」で進まない。これ、相続人の方がひとりで対応してたら心折れますよ。本当に。

印鑑と通帳と、そしてまた印鑑

「印鑑持参でお願いします」と言われて、当然持っていったのに、「あちらの届け印が違いますね」とか、「新しい印鑑登録が必要です」と言われる始末。通帳も必要、でも古い通帳は使えない、新通帳を作るためには別の用紙も必要。もう何のゲームだこれ、という感じでした。1回で終わるわけがないこの仕様、なんとかならないんでしょうか。

「一度で済む」は信じちゃいけない

最初の訪問時、「1週間程度で完了します」と言われていました。でもそれは、何もトラブルがなければの話。実際は細かい手続きの不備や、内部確認の名のもとにどんどん先延ばし。何度も行っているうちに、こちらの心もすり減ってきます。時間がかかることを責めるつもりはないけど、「一度で済む」なんて甘い言葉はもう信じません。

対応する支店で全然違う態度

不思議なことに、同じ銀行でも支店によって対応が全然ちがいます。ある支店では笑顔でていねいに説明してくれたかと思えば、別の支店では「その件はこちらでは扱えません」と突き放される。なんなんだ、この温度差は。同じ看板掲げてるのに、別の会社に来た気分になりますよ。

結局、何度足を運んだか覚えていない

振り返ると、同じ銀行に6回以上通っていました。しかもそのうちの何回かは、たった一つの印鑑を押すだけのために。移動時間も待ち時間もばかになりません。自分の時間単価を考えると、心が折れそうになります。独身のおっさんが黙々と手続きをこなしている姿、他人から見たら滑稽に映ってたかもしれません。

司法書士でもここまで苦労するのかという衝撃

正直、何百件も遺言執行を経験してきたわけではないですが、司法書士という立場上「慣れている人」と思われがちです。でも、銀行のシステムや内部事情に詳しいわけではありませんし、担当者の裁量次第で振り回される現実はどうしようもない。私は専門家ではありますが、全能ではありません。

自分の肩書きがむしろ重荷に感じた

「司法書士さんならすぐ分かりますよね」「このあたりはお任せします」。そう言われるたびに、心の中で「それ、あなたの仕事では?」と呟いていました。肩書きがあるだけで、すべての責任や作業がこちらに押し寄せてくる。それを黙って受け止めるのがプロなのかもしれないけれど、人間だから限界はあるんです。

「先生なら分かりますよね」はただの丸投げ

銀行の担当者に「こちらは分からないので、先生の方でご対応を」と言われたとき、もう笑うしかなかったです。いや、分からないなら聞いてくれたらいいじゃないですか。なぜこちらが銀行の制度やルールまで把握している前提なのか。不明点を調べるのもこちら、補足説明するのもこちら。疲弊しますよ、本当に。

銀行員の冷たい視線が胸に刺さる

ある若い行員に「これぐらい分かりますよね?」と言われた瞬間、なんとも言えない気持ちになりました。こちらは依頼者のために奔走しているのに、見下したような態度を取られると、情けなくなってきます。自分が年をとったのか、ただ疲れているだけなのか……帰りの車で少し泣きました。

それでも依頼者には言えない現実

依頼者からすれば「任せてよかった」と思ってほしい。でも、裏側ではこんな泥臭いやりとりがあることは、やっぱり見せられない。自分がしんどかったとしても、笑って「問題なく終わりましたよ」と言ってしまう。そうしないと、次の依頼が怖くなるんです。

「大変でした」と笑って済ませるしかない

遺言執行が完了したとき、依頼者から「助かりました」と言われて、心のどこかで救われた気持ちになりました。でもその直前までは「もう二度と遺言執行やりたくない」とすら思っていたんです。それでも、自分の役目はここまで。最後はやっぱり笑って終わらせるしかない。そうやって日々をなんとか保っています。

地方での司法書士業務の現実

都会とちがって、地方では移動も一つの負担です。とにかく一回の手続きに時間がかかる。銀行が近くにあるとは限らず、車での移動も日常茶飯事。クライアントとの連絡も電話が中心で、すぐには伝わらない。孤独感と疲労感は、積み重なる一方です。

時間も労力も取られる「外仕事」

事務所で黙々と書類を作るだけならまだしも、外回りや金融機関とのやりとりは想像以上に時間を食います。朝から晩まで、事務所にいる時間よりも車の中の方が長い日もあります。帰ってから書類作業、そしてまた翌日も銀行へ。正直、身体も気力もすり減ります。

車で30分×往復の無駄

今回の銀行も片道30分。何度も通っているうちに「この時間を何に使えたんだろう」と自問するようになりました。本を読む時間も、筋トレする時間も、全部これに消えた。元野球部の体力も、最近ではただの腰痛持ちに変わり果てています。

渋滞と駐車場探しにうんざり

地方といえども、中心地は渋滞します。銀行の駐車場が空いていないと、近隣をグルグル回って結局コインパーキング。その数百円すら惜しく感じるほどには、心が疲れていました。仕事として当然のこととはいえ、「もっと効率よくならないのか」と嘆かずにはいられません。

結局、誰のための遺言執行なのか

遺言執行って、誰のためなんでしょうか。依頼者のため?亡くなった方の意思を尊重するため?それとも、ただ制度に従って粛々と行うだけ?答えはひとつじゃないかもしれない。でも、やっている最中に「なんで俺がここまで」と思う瞬間があるのも、また事実です。

感謝されない努力に意味はあるのか

見えないところで努力しても、それが感謝につながるとは限りません。むしろ「もっと早くできませんか?」と言われたときには、正直ぐったりしました。でも、それでも自分の仕事に誇りを持ちたいと思っています。誰かに伝わらなくても、自分だけは自分の努力を知っている。それで、なんとか立っていられるんです。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。