恋人より印鑑と向き合う日々が続いている

恋人より印鑑と向き合う日々が続いている

恋人より印鑑と向き合う日々が続いている

印鑑とだけは長く続いている関係

正直な話、もう何年も恋愛らしい恋愛をしていない。休日に誰かと出かけることもなければ、LINEが鳴るのはクライアントか、事務員からの確認連絡くらい。そんな中で、唯一変わらずそばにあるのが、印鑑だ。事務所の机の引き出しを開ければ、代表印、銀行印、認印、ゴム印――ずらりと並んでいる。まるで同棲中の恋人たちのように、いつも一緒にいる。朝一番で出すのも印鑑、帰る前にしまうのも印鑑。恋人には逃げられたが、印鑑はいつまでも僕の手の中に収まっている。

押しても押しても終わらない日常

毎日届く郵便物の山、FAXで届く書類、そしてメールで添付されたPDFの数々。目を通して、確認して、捺印。これを繰り返していると、自分がスタンプマシンになったような感覚すらある。「ここにもお願いします」「この箇所にも」「すみません、こちらも再度」――人間としてより、印鑑係として存在しているような気がしてくる。時々、「自分の存在意義って、これだけなんだろうか」と虚しくなるけれど、それでも押し続ける。だって、それが僕の仕事だから。

終わりの見えない申請書類の山

特に相続案件が立て込んでくると、書類の数が倍増する。登記識別情報通知や固定資産評価証明書、被相続人の出生から死亡までの戸籍謄本。どれも欠かせないものばかりで、揃えるのも、チェックするのも一苦労だ。しかも書類がそろったら終わりじゃない。その後の申請、補正対応、そしてようやく完了。印鑑はそのすべての工程に関わる、いわば「恋人」どころか「戦友」だ。

休日返上ももう慣れっこ

かつては土日になると草野球に出ていた。今ではそのバットを、印鑑に持ち替えた。急ぎの案件が入れば、土曜日だろうが日曜日だろうが出勤する。事務員さんは家庭があるから休ませる。僕は独り身だからと、自分に言い聞かせながら。いつしか休日のほうが集中できるようになってしまった自分に、ちょっとした恐怖すら覚える。

印鑑の感触が唯一の安心材料

どんなに忙しくても、どんなに疲れていても、印鑑を押すときの「トン」という音だけは落ち着く。あれはある種の儀式だ。人によっては茶道とか、ヨガとか、そういう心を整えるものがあるのだろう。僕にとってはそれが捺印。紙の上に朱肉の跡が残ると、「よし、これで一区切り」と思える。その小さな達成感に、何度も救われてきた。

恋愛の代わりに積み重ねた実務経験

気づけば、恋愛のノウハウはゼロになり、実務経験だけが積み重なっていった。「この場合は相続登記と抵当権抹消を同時申請ですね」「あ、それは委任状の記載が不備ですね」――そんなことはすらすら言えるのに、女性と会話するときは「えっと、あの…」とつまってしまう。まるで別世界の住人になってしまったようだ。

事務所に響くのはキーボードの音だけ

外は雨。事務所の中は静かで、ただ僕の打つキーボードの音だけが響いている。たまにプリンターがガガガ…と音を立てて、また静寂に戻る。人の声がしない時間が長くなると、自分が何か機械にでもなってしまったような気がする。でもこの音が、僕の日常の証でもある。誰かに必要とされている証拠でもある――と、そう思おうとしている自分がいる。

電話が鳴らない夜の事務所

19時を過ぎると電話も鳴らなくなる。窓の外はもう真っ暗で、時折通る車のライトが反射して眩しい。そんな中で一人、書類の山と向き合っていると、自分が「夜警」か何かのように思えてくる。何か異常が起きたら僕が責任を取る。それが司法書士という仕事なんだと、どこか割り切っているつもりでも、やっぱり少し寂しい。

静かすぎて自分の溜息がうるさい

誰もいない空間で、「ふう…」と漏らす溜息。これがやけに響くのだ。まるで、自分自身に「お前、疲れてるぞ」と言われているようで、ちょっと腹が立つ。昔はこんな溜息ついてたっけ?と思うが、思い出せない。仕事があるだけありがたい、そう自分に言い聞かせるけれど、正直なところ、「そろそろ誰かと一緒に溜息つきたい」と思う瞬間もある。

誰かと食べる昼ごはんっていつ以来だっけ

昼ごはんもいつも一人。コンビニのサンドイッチを事務所でかじりながら、スマホでニュースを眺めて終わり。誰かと他愛もない話をしながら食べるランチって、どんな味だったっけ。事務員さんとタイミングが合えば話すこともあるけれど、基本は一人。食事がただの「栄養補給」になっていることに、ちょっとした切なさを感じる。

元野球部の肩でハンコを押し続けて

高校時代、僕はエースだった。肩にはそこそこ自信があった。今、その肩はバッキバキで痛み止めを飲みながら、印鑑を押している。まさかこんな未来が待っているとは思わなかった。でも、試合と同じで、今やるべきことを淡々とやる。目の前の一件一件に集中していく――それが、司法書士という仕事なんだろう。

ボールを投げていた手が今は印鑑を持っている

かつては速球を投げるために筋トレしていた手が、今では朱肉を整えるために細かい動きを求められている。ボールと印鑑、持つものが変わると人生も変わる。だけど、真剣勝負という意味では似ているのかもしれない。どちらも「一発勝負」。ミスは許されない。だからこそ、今も僕はこの仕事に向き合い続けているのかもしれない。

肩は壊したけど責任感は残っている

肩は正直もう限界。でも責任感だけは残ってる。クライアントの大事な手続きが、僕の一押しにかかっている。その重さに耐えるのは、元野球部としての「責任感」の名残なのかもしれない。昔はマウンド、今は事務所のデスク。その場所は変わっても、守りたいものはある。そんな気持ちで今日もまた、印鑑を手に取る。

チームプレイの記憶と今のひとり仕事

野球はチームスポーツだった。でも今の仕事は、ほぼ一人でこなすものだ。事務員さんがいても、最終的な責任は全部僕にある。プレッシャーはあるけれど、どこかで「ひとりでやり切る」ことに、達成感も感じている。ただ、たまには背中を預けられる仲間がいたら…と思わない日はない。

それでも続けているのはなぜか

こんなふうにぼやきながらも、辞めようとは思わない。それはたぶん、この仕事が「誰かの人生にちゃんと関われる」仕事だからだ。誰かの相続、誰かの新生活、誰かの事業。その節目に立ち会えることは、孤独な日々の中でも、確かな「生きてる実感」をくれる。だから今日もまた、印鑑と向き合う。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。