どこで間違ったのかなんて今さら分からないけど
時々ふと、目の前の仕事を止めて「自分はいつからこうなったんだろう」と思うことがある。司法書士として日々クライアントの手続きに追われ、目の前の案件を処理することに必死だ。でも、何か満たされない。忙しさはある。責任もある。なのに、心はなぜかいつも置いてきぼりだ。思い返せば選択肢はいくつもあったし、その時々で「これが正解だ」と信じて選んできたはずだった。それでも今、何かが欠けているような気がして仕方がない。誰かに間違いを指摘されたわけでもない。だからこそ、「どこで間違えたのか」なんて、誰にも分からないし、自分でも分からない。でも、その疑問だけがいつまでも心に残る。
もう少し違う道もあったかもしれないと考える日
人は選ばなかった未来を美化しがちだと言うけれど、私もそのひとりだ。大学時代の仲間が別の職業で楽しそうに生きている姿を見ると、どうしても「あの時違う選択をしていれば」と考えてしまう。司法書士の資格を取った時は、安定した職を得たという達成感があった。でも年月が経つにつれ、「やりたかったこと」ではなく「やれそうだったこと」を選んだ結果が今なのかもしれないと感じるようになった。
高校球児だった頃の方がよっぽど未来が見えていた
グラウンドで汗まみれになっていた高校時代、プロを目指していたわけじゃない。でも、夢中になっていた。試合の勝敗が全てで、シンプルに努力すれば結果が出る世界だった。今の仕事は、努力しても必ず報われるわけじゃない。理不尽や運や、他人の感情が絡む。そんな現実の中で、あの頃の汗の方がずっと清々しく感じる日がある。
大学進学の時点で「無難」ばかり選んでいた気がする
「安定した職業に就けるような学部を選びなさい」と言われたあの頃。言われるままに法学部を選び、資格の勉強を始めた。別に強い動機があったわけじゃない。周りがやっていたから、自分もなんとなく。気づけば「挑戦」よりも「失敗しなさそう」を基準に生きていた気がする。自分の人生を無意識に縮こまらせていたのかもしれない。
司法書士になったのは間違いだったのか
やりがいを感じる瞬間もある。登記が無事完了し、感謝の言葉をもらうと少しだけ救われる。でも、そうした達成感は瞬間的なものでしかなく、日々のストレスやプレッシャーに埋もれてしまう。誰かに相談したくても、同業者同士の会話はどこか競争めいていることもあって、素直になれない自分がいる。
独立した時は誇りもあったけど今は
開業届を出した日、私は正直ワクワクしていた。やっと自分の力で仕事ができる、そう思っていた。けれど、現実は甘くなかった。電話は鳴らない、依頼もない。広告費をかけても反応がなく、初年度は赤字ギリギリだった。今もなんとか続けているが、あの時の「誇り」はすり減ってしまったように思う。
この仕事を本当にやりたかったのかと問われたら
「司法書士になった理由は?」と聞かれると、言葉に詰まる自分がいる。困っている人を助けたいという気持ちもあったが、正直なところ「食いっぱぐれないから」という理由が大きかった。やりたいことではなく、やれそうなこと。そういう判断を繰り返してきた結果が今なのかもしれない。
忙しいのに寂しいという不思議な矛盾
事務所では常にやることに追われている。登記、相続、相談対応、書類チェック…手は休まらない。でも、心はどこかぽっかりと空いている。仕事が終わって家に帰っても、誰かが待っているわけじゃない。誰かに今日の出来事を話すわけでもない。賑やかなのに孤独、そんな日々が続いている。
誰かと分かち合う時間がほとんどない日常
忙しさは人を黙らせる。昼飯はデスクで済ませ、夜はコンビニ弁当を持ち帰る。事務員と少し話すくらいで、誰かとゆっくり話す時間なんてない。会話のない日もある。人と繋がっているはずの仕事なのに、心が通うようなやりとりは少ない。自分の感情だけが取り残されていくような感覚だ。
仕事の充実と心の空虚は両立するという現実
不思議なことに、案件が多い日は「やってる感」がある。でもそれが満足に繋がるかというと別の話だ。充実と空虚が同居する日々。走っているのにどこにもたどり着かないような。たとえるなら、誰もいないマラソン大会を延々と走っているような感覚だ。ゴールテープもなければ拍手もない。
「頑張ってますね」と言われても素直に喜べない
ときどきお客さんや知り合いに「大変でしょう」「よくやってますね」と言われる。でも、その言葉が重くのしかかる。たぶん、期待に応えようとしすぎている自分がいるのだと思う。頑張ることが当然で、それを続けることが正義のような。たまには「頑張ってない」日があってもいいのに。
褒め言葉すら重荷に感じる時がある
「すごいですね」「偉いですね」と言われるたびに、「いや、そんなことないですよ」と笑って返す。でも心の中では「誰も助けてくれないくせに」と思ってしまう自分がいて、そんな自分がまた嫌になる。褒められることがプレッシャーになって、自分を追い詰める材料になっているのが悲しい。
やる気の源はどこに置き忘れたんだろう
昔は「独立してやるぞ」とか「月に◯件受任するぞ」と目標を持っていた。でも今はどうだろう。目の前の業務をただ淡々とこなすだけ。熱意も情熱も、どこに行ったのか分からない。まるで鞄に入れたはずの財布が見つからないような、そんなやるせなさを感じる。