好きな人いるのと聞かれて答えに詰まる日が増えた

好きな人いるのと聞かれて答えに詰まる日が増えた

好きな人いるのと聞かれて固まった昼下がり

先日、取引先の若い担当者に何気なく「先生、好きな人とかいるんですか?」と聞かれた。雑談の流れだったし、悪気なんて一切ないのは分かってる。でも、その瞬間、頭が真っ白になった。若い頃なら「いるよ」とか「今はいないけど探し中」くらいは笑って答えていたと思う。でも今は、そのどちらも違う。いるような、いないような、そんな曖昧な感情しか持っていない自分に気づいて、返事ができなかった。話題はすぐ別の方向へ流れたけれど、自分の心だけがその質問に置いていかれたままだった。

昔は即答できたのに今はなぜか言葉が出ない

高校時代、野球部の後輩に「先輩、彼女いるんですか?」と聞かれたことがある。そのときは、「うん、いるよ」と即答して、ちょっとだけ優越感を覚えたものだった。若さゆえの自信や、周りに恋愛が当たり前の空気があったからこそ、何の迷いもなく言えた。でも、司法書士として働くようになってからは、誰かに恋をしても、気持ちを言葉にするのがどんどん難しくなっていった。責任のある立場になればなるほど、自分の感情にブレーキをかけるクセがついてしまったのかもしれない。

相手がいないわけじゃないが気持ちが追いつかない

実は、ほんの少し気になる人はいる。でも、それを「好き」と断言できるかといえば、正直なところ微妙だ。週に一度、同じビルの別事務所で顔を合わせるだけの人。名前は知っているが、プライベートの話をしたことはほとんどない。そんな曖昧な関係の中で、なぜか目が合うと少しだけ嬉しくなる。けれど、その程度の感情で「好きな人がいる」と言えるのか、自分でも分からない。気持ちが育つ前に、現実的な壁や自信のなさが立ちはだかる。

いると言えるような関係でもない

そもそも、「好きな人がいる」と言うからには、それなりに進展がある前提がある気がしてしまう。でも、自分の中で抱えているのは、淡い憧れや一瞬のときめきにすぎない。向こうが自分をどう思っているかも分からないし、連絡先を交換する勇気もない。だから、「いる」とも「いない」とも言えない。恋愛の定義が曖昧になるほど、自分の気持ちもどこかで曖昧になっていく。はっきりしない自分に嫌気がさす瞬間もある。

聞いてくる人の無邪気さが刺さることもある

悪気がないのは分かっている。でも、無邪気な質問ほど、人の心を不意打ちするものだ。「好きな人いるんですか?」の一言で、自分の空っぽな私生活や、進展のない人間関係が全部あらわになるような気がして、言葉に詰まってしまう。若い人たちは軽いノリで恋愛話ができる。でも、こちとら人生の荷物が増えていく一方で、恋愛のハードルも年々上がっている。無意識のうちに心に蓋をしてしまっている自分が、少しだけ哀しかった。

仕事漬けの日々と恋愛感情のズレ

司法書士という仕事は、思っている以上に時間を奪われる。書類の確認、登記の手続き、電話応対、立会い…。気づけば一日が終わっている。そんな日々を続けていると、誰かを好きになる余裕なんて持てなくなる。疲れて帰った夜にLINE一通送る気力も残っていない。昔は少しの時間があれば、誰かと繋がろうと必死だったのに、今では誰かと繋がることすら面倒に感じるようになってしまった。

司法書士ってこんなに時間を取られるんだっけ

開業前は、もっと自由な時間がある仕事だと思っていた。実際、独立すれば自分のペースで仕事ができると思っていた。でも現実は違った。事務員が一人しかいないうちの事務所では、雑務からトラブル対応まで全部自分でこなす必要がある。休みの日にも電話が鳴るし、繁忙期は昼ごはんもまともに食べられない。恋愛どころか、自分の健康管理すらままならない日もある。

土日も電話が鳴るから予定も立てづらい

何かあったらすぐに連絡が来る。司法書士は「連絡がつくこと」が信頼に直結するような仕事だ。だから、休日でも気を抜けない。誰かと会う約束をしても、予定を入れるのが怖くなる。ドタキャンするくらいなら最初から断る方がマシだと思ってしまう。結果的に、誰とも会わなくなり、恋愛の芽も育たない。仕事は安定しているかもしれないけれど、人生そのものがやや不安定に見えてくる。

気づいたら人間関係が仕事関係ばかりに

日々接しているのは、依頼者か業者か、銀行か司法書士仲間。ふと気づくと、プライベートで誰かと話す機会がほとんどない。昔は友達と居酒屋に行ったり、気になる人を食事に誘ったりしていたのに、そんな時間の余裕も、心の余白もどこかへ消えてしまった。孤独を感じる余裕すらないというのが今の現状だ。

それでも好きな人はいていい

曖昧なままでも、答えられなくても、誰かを好きだと思う気持ちは否定しなくていいのかもしれない。即答できないことは、悪いことじゃない。むしろ、それだけ自分の中で大切にしようとしている感情なのかもしれない。誰にも見せられないような心の片隅に、そっと誰かがいる。それだけで、今日をやり過ごす理由になることもある。

誰かを想うことで少しだけ前向きになれる

ほんの一瞬でも、誰かのことを思い浮かべるだけで、不思議と気持ちが明るくなる。無理に進展を望まなくてもいい。連絡先を聞けなくてもいい。その存在が心の中にあるだけで、自分を支える一つの柱になる。そんな気持ちを持てるようになったこと自体、少し大人になった証拠なのかもしれない。

たとえ片思いでも日々の救いになる

朝、事務所へ向かう足取りが重くても、「今日は顔を見られるかもしれない」と思うだけで少し軽くなる。無理に話しかける必要もない。ただそこにいてくれるだけで救われる、そんな存在がいるだけで、なんとか一日を乗り切れる。恋愛は進めば素敵だが、進まなくても十分に意味がある。

会えない日が続いても気持ちは残る

忙しさに追われて、何週間も顔を見ないこともある。それでも、その人のことをふと思い出す。駅のホームで、エレベーターの中で、登記の書類をめくりながら。その度に、自分はまだ誰かを想えるんだなと、ちょっとだけ安心する。即答できなくても、答えが曖昧でも、自分の中にはちゃんと「好き」が残っていた。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。