元気そうに見えるってだけで誰にも頼れなくなる日がある

元気そうに見えるってだけで誰にも頼れなくなる日がある

元気そうに見える人間が一番苦しい瞬間

「元気そうですね」と言われた瞬間、なぜか心の奥がズシンと重くなることがある。自分ではまったくそんなつもりはないし、内心はボロボロだ。それでも外からは「元気そう」に見えるらしい。おそらく、顔色だったり、声のトーンだったり、過去にどんなふうに振る舞っていたかの積み重ねで、そう見られてしまうのだろう。でもそれって、つまり“この人は大丈夫そう”って、誰からも本気で心配されないことにも繋がる。そういう時の孤独感は、何とも言えない痛さがある。

「元気そうですね」の一言が心に刺さる理由

あの言葉、悪意があるわけじゃないのはわかっている。むしろ、あいさつ代わりや励ましのつもりだと思う。でも、その一言がとてつもなくつらく感じるのは、自分の苦しみや疲れが全然伝わっていないことを突きつけられるからだ。がんばってるつもりでも、誰にも気づかれてないんだな、って。以前、過労で軽いめまいがしてたときも「元気そうだね」と言われて、なんとも言えない気持ちになった。あの瞬間、誰にも頼れないって無言で言われたような気がして、息が詰まった。

頼られることと甘えられないことは別問題

司法書士という仕事柄、頼られることが多い。でも、頼られるのと、甘えられるのとは全然違う。自分が疲れていても、弱音を吐いた瞬間に信頼を失うんじゃないか、というプレッシャーが常にある。だから、「大丈夫です」「なんとかなってます」って、反射的に言ってしまう。でも心のどこかでは、「誰かにちょっとくらい頼りたい」と思っている。頼られる役割ばかりが続くと、自分が壊れてることすら気づかなくなる。

無理に笑う癖がついたのはいつからだろう

たぶん、開業して数年経ったころだろう。依頼者の前では常に冷静で、ミスをしない人間でいないといけない。そう意識しすぎて、どんなに疲れてても、つい笑って対応してしまうようになった。「笑顔でいれば大丈夫に見える」なんて思っていた自分が、今では情けなく思える。今でも鏡を見ると、営業スマイルだけが貼りついた自分に、どこかむなしさを感じる。そんな日々が、積もり積もって心をすり減らしていく。

実際のところ全然元気じゃない

毎朝、目が覚めるたびに「今日もか…」とつぶやいてしまう。朝から全力で気合いを入れて、事務所に行って、書類をチェックして、電話に出て、登記申請して――ひたすらそんな繰り返し。しかも、誰かに「忙しいですか?」と聞かれても、「まぁ、なんとか回ってます」としか返せない。この「なんとか」がどれだけギリギリなのか、たぶん誰にも伝わってない。元気そうって思われてるうちは、助けも入らないんだよな、と思ってしまう。

「なんとか回ってますけど」が口癖になる現実

いつからか、「まぁ、なんとか…」が口癖になっていた。便利な言葉だ。相手には深く踏み込まれないし、自分の弱さも表に出さなくて済む。けれど、本当の自分の声がどんどん遠くなっていく。正直、「なんとか」って言ってる時点で、限界の手前にいる。それでも、事務所では代表としての顔を維持しないといけない。事務員の前でも、疲れた顔を見せられない。そんな日々が続いて、気づいたら心のどこかが麻痺していた。

司法書士は強く見せないと信用されない

この業界は、「頼れる専門家」であることが大前提だ。ミスをすれば責任を問われるし、対応が遅れれば信用に傷がつく。だからこそ、多少無理してでも「できる人」に見せないと仕事にならない。でもその姿は、だんだん“本当の自分”とズレてきてしまう。クライアントの前では毅然と、でも内心は「今日も何とか乗り切っただけ」。そんな自己分裂のような働き方に、時折、虚しさを覚えるのだ。

事務員に弱音を吐けないという地味な孤独

事務所には事務員が一人いて、いつも支えてくれている。けれど、その人にさえ弱音は吐けない。「先生、大丈夫ですか?」って気遣ってもらっても、「大丈夫、大丈夫」と言ってしまう。頼りにされているのはありがたい。でも、「この人に心配かけちゃいけない」と思うと、逆に自分の苦しさを閉じ込めてしまう。小さな事務所の中で、ひとりだけ肩に重たい荷物を背負っているような、そんな感覚がある。

元野球部のくせに心はもうヘロヘロです

高校時代、野球部で鍛えた根性と体力があれば、何とかなると思ってた。実際、開業して数年は、徹夜もこなしたし、無理も利いた。でも、40を越えてから明らかに違ってきた。体よりも先に、心が先に疲れてくる。昔はどんなに疲れても、「練習終わったらメシだ!」で切り替えられたけど、今は違う。終わっても、何も残ってない。試合のない毎日、終わりのない書類処理の繰り返し。心のグラウンドが荒れ放題だ。

体力勝負だと思ってたがメンタルの摩耗が本番

司法書士の仕事は体力も使うが、何よりも精神的に消耗する。細かい書類ミスひとつで全体が崩れる世界だから、常に神経を研ぎ澄ませていなきゃいけない。そんな毎日が何年も続けば、メンタルの方が先にバテてくるのは当然だ。今でも、登記の手続きでちょっとした不備を見つけた瞬間、「あ、もうダメかも」と感じることがある。元気そうに見せるために張った糸が、ある日ぷつんと切れそうな感覚が怖い。

「根性で乗り切る」はもう幻想だった

若い頃は、「根性で何とかなる」が口癖だった。でも今は、「根性だけじゃ無理」が現実になっている。疲れているのに寝つけない、朝起きても回復していない、気持ちだけが空回りしていく。そんな状態で根性を振り絞るのは、燃えかすに火をつけようとするようなものだ。必要なのは「根性」ではなく「支え」だったんだと、今になってやっと気づく。でも、誰にも頼れないからこそ、ますます根性に頼るという矛盾がある。

結局誰にも弱音を吐けずに夜がくる

どれだけ忙しい日でも、夜はやってくる。静まり返った事務所で一人、電気を消す瞬間にふと「今日もまた本音を誰にも言わなかったな」と思う。気づけば、その繰り返しだ。SNSもやらないし、酒を飲みに行く相手もいない。気軽に弱音を吐ける場所も、相手も、年々減っていく。そういう夜に限って、布団の中で「誰かに大丈夫って言ってもらいたかったな」と思ってしまう。自分で自分にそう言い聞かせて、明日を迎えるしかない。

「元気そう」に見せたその代償

人から「元気そうですね」と言われるたびに、自分はうまく仮面をかぶれてるんだなと思う。でも、その仮面は重い。表情や声を整えるたび、内側の自分がすり減っていく。笑顔で対応する一方で、心の中では「助けてほしい」と叫んでいる。けれど、それは誰にも届かない。元気そうでいることの代償は、誰にも頼れないという孤独。そんなこと、誰が気づいてくれるだろうか。

モテない男は黙って疲れていくしかないのか

恋人もいない。家に帰っても誰もいない。疲れて帰宅しても、「お疲れさま」と言ってくれる人すらいない。そんな毎日が普通になった。ふとした瞬間に、「なんでこんなに頑張ってるんだっけ?」とわからなくなる。モテない、孤独、でも仕事は山積み。だからせめて「元気そう」に見せるしかないのか。男は泣いちゃいけない、なんて誰が決めたんだ。そんな気持ちを抱えながら、また明日も、元気なふりをする。

それでもまた朝が来るからやっている

なんだかんだ言っても、朝はやってくる。今日も誰かのために書類を作り、登記を進める。その繰り返しの中に、小さな誇りもある。自分の弱さも孤独も、それごと引き受けて、また一日を乗り切る。それが司法書士という仕事かもしれない。「元気そうですね」と言われても、もう少しだけ頑張ってみようと思う。そして、この記事が誰かの共感になったら、少しだけ報われた気がする。

「大丈夫じゃないけどやるしかない」の連続

「大丈夫です」と言いつつ、大丈夫じゃないことばかり。でも、大丈夫じゃなくても、やるしかない。人生はそういうものかもしれない。休んでも、誰かが代わってくれるわけじゃない。そんな現実を受け止めながら、それでも仕事に向かう。日々の中で少しでも心を癒せる瞬間があれば、それでいいのかもしれない。そう自分に言い聞かせながら、今日もまた前を向く。

同じような誰かに届くことを願って

この文章をここまで読んでくれた人がいるなら、それだけで救われる。同じように疲れている人、頑張っている人、孤独を抱えている人が、この世界にはきっとたくさんいる。誰にも言えないことがあるなら、無理に言わなくてもいい。ただ、「一人じゃない」と思えるだけで、少しだけ気持ちが楽になる。そんな思いを込めて、また明日も「元気そうですね」と言われながら、生きていく。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。