頑張ってるのに誰にも気づかれない日々に疲れた

頑張ってるのに誰にも気づかれない日々に疲れた

見てほしいわけじゃないけど 見てくれたら救われる

別に褒めてほしいとか、拍手が欲しいとか、そんなつもりで働いてるわけじゃない。司法書士なんて、そもそも裏方の仕事だ。依頼人にとっては、無事に登記が終わればそれでよくて、その過程なんて見向きもされない。でもなあ、たまには誰かに「ちゃんとやってくれてありがとう」って言われたいんだ。そんなふうに思う自分を情けないと思いつつも、心のどこかで期待してしまっている。そんな毎日に、正直ちょっと疲れてきた。

静かな自己満足では埋められない心の空白

「誰かの役に立っている」その感覚だけでやっていける、そう思ってた。でも最近は、その実感すら薄れてきている。書類を完璧に仕上げても、法務局から何も言われなくても、依頼人が無言で帰っていっても、全部“普通のこと”として処理される。別にいいんだけどさ、「無事終わりましたよ」って伝える時に、ちょっとでも笑ってくれたら、それだけで救われるのにな。そういう“ちょっとした何か”が、心の支えになるんだ。

仕事終わりのコンビニ駐車場が唯一の休憩所

今日も遅くなった。事務員も先に帰っていて、事務所の電気を一人で消して、車に乗る。エンジンをかけてコンビニに寄って、ブラックコーヒーと菓子パンを買って、駐車場でぼーっとする時間が一番落ち着く。誰も俺のことを気にしていないこの空間が、不思議と安心する。でも同時に、この孤独がいつか限界を超えるんじゃないかって、時々怖くなる。

誰もいない事務所で缶コーヒーとため息

事務所に戻ると、まだ片付けられていない書類が山のようにある。無意識に溜め息が出るけど、誰も聞いてないから好きなだけつく。コンビニで買ってきた缶コーヒーを片手に、明日の段取りを確認しながら机に向かう。頑張ってるつもりだけど、たぶん誰にも見られてないし、誰にも伝わってない。見返りのない努力を続けるって、こんなにも苦しいんだな。

評価されない努力に慣れすぎた自分が怖い

ここ数年、期待しないことに慣れてしまった気がする。何をやっても、誰かに気づかれることはないと割り切って、ただ業務をこなす日々。司法書士としては正しい姿かもしれない。でも、人としての温度がどんどん下がっていくのを感じる。「ありがとう」を言われることも、「助かった」と言ってもらえることもなくても大丈夫になってしまった自分が、少し怖い。

いつからか感謝されることを諦めていた

新人の頃は、少しでも褒めてもらいたくて必死だった。先輩に認められたい、依頼人に感謝されたい、そう思っていた。でも現実は甘くなかった。どれだけ完璧に仕事をしても、失敗さえしなければ評価されないのがこの世界。「できて当たり前」になると、誰も気にしなくなるんだよな。だから、いつの間にか感謝されることを期待するのをやめた。

ありがとうを言われる側ではなくなる瞬間

ある日、昔からの知り合いの案件を処理したとき、「ああ、ありがとう」の一言が出なかった。それが妙に心に引っかかった。「あ、こいつ、もう俺のことを“当たり前にやってくれる人”って思ってるんだな」って。その時、感謝される対象じゃなくなったことを実感した。期待しないようにしてたのに、なんであんなに寂しかったんだろう。

何も言わずに帰っていく依頼人に少しだけ落ち込む

たとえば、相続登記の手続きが終わって「以上です」と書類を渡しても、無言で「じゃあ」と帰っていく人もいる。忙しいんだろうし、こっちは仕事でやってるだけだし、そう思って割り切るようにはしているけど…正直、少しだけ落ち込む。「お世話になりました」の一言が欲しかった。そんな自分が面倒くさいって分かってるけど、感情は簡単に割り切れない。

それでもやるしかない理由がある

正直、全部投げ出したい日もある。でも、やらなきゃ誰がやるんだって話になる。事務員さんに任せきれないし、そもそもこの仕事は俺の名前でやってる。俺が手を抜けば、それがそのまま信用の低下になる。だから今日も机に向かうし、書類の一字一句まで確認する。報われないと分かっていても、やるしかない現実がある。

潰れたって代わりはいないという現実

「誰か代わってくれないかな」って思うこともある。でも、うちのような小さな事務所には、代わりなんていない。俺が倒れたら、全部止まる。誰かに頼るにも、頼りきれる相手がいない。だから、体調が悪くても、気分が落ち込んでいても、机に向かわなきゃいけない。責任って、こんなにも重いんだと、今さらながら思う。

結局また一人で背負ってしまうクセ

昔からそうなんだ。野球部の頃も、ランナーを背負ってマウンドに立つと「自分で抑えなきゃ」って気持ちが強くなった。チームプレイのはずなのに、どこか一人でなんとかしようとしていた。今も同じだ。事務員さんがいても、つい全部自分でやろうとしてしまう。たまには「助けて」って言えたらいいのにな。

見てる人がいないときの方が本性が出る

誰かに見られてないときこそ、人の本性が出るってよく言うけど、ほんとにその通りだと思う。誰も見てなくても手を抜けない。見てなくても、印鑑の位置がズレていたら直すし、細かい書類も一通り目を通す。誰かに言われるからじゃなくて、自分が許せないから。そんなところだけ、妙に几帳面なんだ。

誰も見てないからこそ手を抜けない性分

元野球部だったせいか、コツコツ積み上げることに慣れてる。筋トレでもノックでも、見てなくてもやる。サボったら自分に返ってくるって、体で覚えた。司法書士の仕事も同じ。誰かに監視されてるわけじゃないけど、書類の不備ひとつで信用が吹き飛ぶ。だからやるしかない。誰も見てなくても、自分が見てるから。

元野球部魂だけがまだ残ってる

正直、体力は落ちたし、気力も昔ほどない。でも、あの頃の「やり切る」という気持ちだけは、まだ残ってる気がする。練習中に怒られてもやめなかった、あのメンタルだけは今も俺を支えてくれている。報われないって分かってても、全力でやる。なんでだろうな、性分なんだろう。

怒鳴るでもなく誉められるでもなく 自分で踏ん張る

誰にも怒られないし、誰にも褒められない。今の自分を動かしているのは、たぶん意地だけだ。それでも、目の前の書類をきっちり仕上げて、トラブルを未然に防ぐ。それだけで十分だと思える日は、ちょっとだけ報われた気がする。誰かが見てなくても、自分だけは自分を認めてやりたい。そうじゃなきゃ、やってられない。

本当は一言でいい 見てたよって

大げさなことじゃなくていいんだ。「いつもありがとう」とか、「助かってます」とか、そんな一言でいい。誰かが見てくれてるって思えるだけで、また明日も頑張ろうって思える。だから、もしあなたが誰かの頑張りを見たら、小さくても言葉にしてあげてほしい。たった一言が、その人を支えるかもしれない。

同業者の愚痴にうなずいて共感するだけで救われた日

この前、久しぶりに同業の友人と会って、何気なく「疲れるよな、この仕事」って言ったら、「わかるよ、それ」って返ってきた。それだけで、胸がすっと軽くなった。別にアドバイスが欲しかったわけじゃない。ただ、共感してもらえたことで、「自分だけじゃないんだ」って思えた。そういう瞬間が、何よりの救いになる。

たった一通の返信が 立ち直るきっかけになる

SNSにこぼした小さな投稿に、同じように疲れてる司法書士さんからの「わかる」の返信。たったそれだけで涙が出そうになった。見てくれてる人がいるって思えるだけで、立ち直れることがある。だから俺も、誰かの「つぶやき」にちゃんと反応できる人間でいたいと思う。見てるよ、って伝えられる人でいたい。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。