誰にも言えないという感情の重さ
「疲れた」と一言言えば済むことなのに、それすら口に出せない日がある。特に司法書士という職業柄、周囲には「頼れる人」「ミスしない人」というイメージを持たれやすく、弱音を吐けば信頼を失うんじゃないかと勝手に思い込んでしまう。だからこそ、気づけばどんなに疲れていても笑ってやり過ごすクセがついた。けれど、心の奥に溜まった疲れは、誰にも気づかれないまま、じわじわと蝕んでくる。声をあげられない疲れこそ、一番厄介だ。
なぜ疲れているのに誰にも話せないのか
「誰かに話せば楽になるよ」と言われることもある。でも、相手の時間を奪ってまで話すほどのことじゃないと思ってしまう。ましてや、忙しい事務所の中では、事務員さんにさえ気を使ってしまう。自分が崩れたらこの小さな体制がもたない。そういう責任感が、さらに口を閉ざさせる。弱さをさらけ出すには、心の余裕が必要だ。その余裕が日々の業務で削られていると、疲れを吐き出すタイミングを永遠に失ってしまう。
優しさと責任感が言葉を飲み込ませる
優しい人ほど、誰かの気持ちを先回りしてしまう。「こんなこと言ったら、気を悪くしないだろうか」「余計な心配をかけてしまわないか」。そうやって、話すことすらやめてしまう。そして気づくと、自分の本音がどこにあるのかもわからなくなってくる。司法書士という肩書きが重くのしかかり、どこかで「自分が耐えるべきだ」と思っているのかもしれない。
話したところで変わらないという諦め
たとえば仕事が立て込んで寝不足になったとき、たとえ誰かに「つらい」と言っても、仕事が減るわけではない。それどころか、「みんな忙しいよ」と返されるのがオチだったりする。そういう小さな絶望の積み重ねで、「どうせ言っても無駄」と口を閉ざすようになる。そしてその習慣が、心をどんどん硬くしていく。だからブログで吐き出すしかないのだ。
ブログという仮の避難場所
日常では言えないことも、画面の向こうには吐き出せる。誰に読まれるわけでもなく、ただ自分のためだけに綴る言葉。それが、なんとか自分を支えている。司法書士としての自分を脱ぎ捨て、ただ一人の人間としての自分に戻れる場所。それがブログなのかもしれない。
書くことで整理される感情
頭の中ではぐちゃぐちゃだった気持ちも、文字にしてみると意外と整理されていたりする。「なんでこんなに疲れてるんだろう」と思いながらキーボードを叩いていると、ああ、自分は誰にも頼れなかったことが一番しんどかったんだと気づいたりする。書くことは、自分を見つめ直す作業でもある。
誰にも読まれなくていいという自由
ブログにはSNSのように「いいね」も「コメント」もいらない。ただ書きたいから書く。それが許される場所。読まれない自由、評価されない自由。日々、依頼者や登記と向き合って「正しさ」や「ミスのなさ」を求められる仕事の中で、この自由は何よりの救いだ。
言葉にした途端に軽くなる疲れもある
書く前は「全部どうでもいい」とすら思っていたのに、書いたあとにはほんの少しだけ前を向けるようになることがある。言葉は不思議だ。形にすることで、自分が抱えていたものが見えるようになって、心がスッと軽くなる。たとえ根本的な問題が何も変わらなくても、その一歩が明日を支えてくれることもある。
地方の司法書士という孤独な役割
都会と違って、地方では司法書士の数も限られていて、横のつながりが生まれにくい。しかも一人で事務所を切り盛りしていると、なおさら孤独感は強くなる。相談できる相手がいない中で、答えのない問題に一人で向き合い続ける日々は、想像以上に精神を削る。
相談相手も少ない業界のリアル
士業同士のつながりは意外と薄い。特に同じ地域にいるとライバル関係にもなりやすく、本音を語り合えるような関係になりにくい。そんな中、情報交換会や勉強会があっても、表面的な話しかできないまま終わることも多い。「ここだけの話なんだけどさ」と言い合える同業者が一人いるだけで、どれだけ救われるだろうと思う。
事務員さんにすら見せられない一面
うちの事務員さんはとてもよくやってくれている。でも、所長としての顔を崩して弱音を吐くのは難しい。頼られる立場である以上、「不安です」なんて言えない。たとえ自分が体調を崩しそうでも、休むという選択肢が出てこない。結局、自分のケアは自分でしかできない現実が、さらに追い込んでくる。
同業者とつながる場の少なさ
年に数回ある研修会で顔を合わせても、そこには壁がある。互いに探り合い、比較し合い、そして距離を取る。気楽な関係にはなかなかなれない。「あの人は仕事をたくさん持ってる」「あの人は年収が高いらしい」そんな噂ばかりが先に耳に入ってきて、ますます話しかけづらくなるのが現実だ。
今日もまた書いてしまった
気がつけば、今日もまた夜にブログを書いている。決して明るい内容ではないし、読み手が元気になるような文章でもない。でも、誰かのどこかの心の片隅にでも引っかかれば、それでいい。誰にも言えない疲れを、言葉にすることで自分を保っている。そうしてまた、明日を迎える準備をしている。