申請システムが止まった夜に思ったこと
22時。依頼人のために一件でも多くオンライン申請を済ませようと、パソコンに向かっていた。地方の事務所で一人、事務員もすでに帰宅済み。タイムリミットぎりぎりの申請で、細かい添付書類のチェックも終え、あとは「送信」ボタンを押すだけ。そう思った矢先、「エラーが発生しました。しばらくしてから再度お試しください。」という無機質な文字が画面に表示された。試しにページを更新しても、ログインし直しても、同じエラー。まるで壁に向かって喋ってるような気分だった。
画面のエラー表示に救いの言葉はない
そのエラーメッセージを見た瞬間、頭が真っ白になった。まるで野球の試合で、9回裏ツーアウト満塁からの見逃し三振。誰も責めることはできないけど、自分の中に積もる後悔と焦燥感はどうにもできなかった。システムが止まるというのは、紙の申請なら「役所が閉まった」ってこと。でもオンラインでやるようになったから、締切ギリギリでも間に合うかもしれないという期待があるぶん、余計に落胆が大きい。
一文字ずつ消しては戻す虚しさ
もしかして、何か自分の入力ミスなのかも――そんな一縷の望みにすがって、申請内容を一文字ずつ確認し、少し表現を変えては送信を試みた。でも結果は同じ。どんなに慎重に準備しても、たった一つのバグで全てが無意味になる現実。自分の努力は、この瞬間には無力だった。こういうとき、「慎重さ」とか「責任感」が裏目に出ることがある。
クリックを繰り返す手に汗だけが残る
「今なら通るかも」と思ってはクリック、「やっぱりダメか」と落胆を繰り返す。この作業は、まるで壊れた自販機にお金を入れ続けるような行為だった。やめればいいのに、やめられない。その背後には、明日の朝に依頼人へどう説明すればいいのかという重圧があった。申請が通らなかった理由が「システムの不具合」なんて、通じるのか?いや、それ以前に信じてもらえるのか。
相談相手もいない夜の沈黙
ひとしきりクリックして、諦めがついたとき、ふと気づくと事務所には自分の呼吸音しかなかった。誰かに愚痴りたかった。システムに怒ってるのか、自分の甘さに苛立っているのか、もう分からなかった。ただ、黙っているとその怒りが内側に溜まっていくのがわかった。深夜に叫ぶわけにもいかず、ため息を吐いてパソコンを閉じた。
事務員に聞かせるには気が引けた愚痴
翌朝、出勤してきた事務員さんは「お疲れ様です」と明るく挨拶してくれたけど、さすがにこの件を話すのは気が引けた。彼女にとっては「それシステムのせいなんですね、大変でしたね」で終わるかもしれない。でもこっちとしては、眠れなかった夜と責任の重みを抱えていた。愚痴ることすら憚られるこの関係性も、独立開業した人間の孤独の一部なんだろうな。
一人事務所の孤独はバグよりも厄介
司法書士って、結局「誰かが背負わなきゃいけない責任」を一手に引き受ける職業だと思う。うまくいっても褒められるわけじゃないし、うまくいかなければ全部自分の責任。しかもそれを相談できる相手がいないとなると、ただただ自己嫌悪に沈んでいくだけ。申請システムの不具合なんかより、こういう孤独のほうがよっぽどダメージが大きい。
司法書士という職業の脆さと向き合う
この仕事は、制度の安定性やシステムの動作に大きく左右される。どんなに自分が完璧に準備しても、外部要因で一瞬にして「ミス扱い」されてしまう現実がある。それでも「司法書士だから仕方ないよね」と言われてしまえば終わり。自分の不完全さと、システムの不完全さ、その両方と向き合いながらやっていくのがこの仕事の難しさだ。
便利になるはずの制度が牙をむくとき
本来なら、オンライン申請は業務効率を上げるために導入された仕組みのはず。実際、日中の時間を有効に使えるようになったし、紙の管理も減った。それでも、トラブルが起きたときの対応は、結局すべて人力。なにより「想定外のことが起きたらどうするか」の責任を現場に投げてくるスタイルは、制度の理想と現実のギャップを痛感させられる。
人力でやる方が早いと思ってしまう夜
「こんなことなら最初から紙で出せばよかった」と何度思ったかわからない。しかもバグが起きたときには、サポートセンターも閉まっている。誰にも頼れず、自分で何とかするしかない時間が延々と続く。便利なはずのシステムが、逆に現場の人間を苦しめるって、なんか皮肉だなと思ってしまう。
ミスではないのに責任はこっち
「申請ができなかったのはミスですか?」と聞かれたとき、なんと答えればいいのだろう。実際にはこっちはミスしてない。でも結果として申請できなかったのなら、それはミスだと見なされる。この理不尽さを受け止めて、なお仕事を続けるのが司法書士なのかもしれない。誇りなのか、諦めなのか、自分でもよくわからない。
エラーの先にいる依頼人の顔が浮かぶ
エラーで申請が止まっても、向こうはそんな事情知らない。依頼人には「お任せします」と言われてる以上、「システムの不具合だったので……」は通用しないと思ってしまう。たとえ理解してくれたとしても、「この人にまた頼みたい」とは思われないかもしれない。信頼って、見えないけど重たい責任なんだよなと、夜が明けてから気づいた。
謝るのはいつも現場の人間
システムを管理してるわけでもない、開発したわけでもない、それでも最前線で謝るのは自分だ。おかしい話だけど、これは昔から変わらない。高校野球のときも、ピッチャーがエラーしてもキャッチャーの自分が謝ってた。多分、それが「責任を引き受ける立場」ってことなんだろう。
それでもやめられない理由
たとえ不具合に振り回されようと、深夜に独りで荒れていようと、朝が来ればまた仕事は始まる。そして不思議と、誰かの役に立てた瞬間だけは、この仕事を続けていてよかったと心から思える。そんな些細な一言や笑顔のために、また申請ボタンを押す日々を繰り返している。
今日も誰かの不安を背負っている
司法書士の仕事って、形のない不安や不信を、手続きを通して「安心」に変えていく作業だと思う。だから、うまくいかないときのプレッシャーもすごい。でも、だからこそやりがいもある。自分が動くことで、誰かが安心して眠れるなら、それだけで意味がある。そう信じないとやってられない。
頼りにされることの重みと救い
「先生にお願いしてよかったです」と言われたとき、それまでの苦労がすっと消える気がする。報酬の話やコスト感も大事。でも人って、誰かに頼られた瞬間に「また頑張ろう」と思える生き物だと実感する。あの夜のイライラも、あの一言で帳消しにできたなら、悪くない。
元野球部のしつこさだけが支え
中学高校と野球ばかりしていた。泥まみれで走って、怒鳴られて、それでもやめなかった。今思えば、あのときの粘り強さだけが、この仕事の下地になっている気がする。バグで止まっても、結果が出なくても、翌朝また挑む。それって、野球と同じだ。
どんなピンチもバットは振るもの
見逃したら終わり。なら、どんな球でも振るしかない。バグったオンライン申請も、依頼人の不安も、振らなきゃ始まらない。失敗するかもしれない。でも、振らなきゃ何も変わらない。そうやって毎日をつなぎながら、また今日も一件の申請をこなしている。